おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

トルコとロシア、そもそもは16世紀に遡る

2015年11月27日 | Weblog

 

午前6時の気温は零度。

暖かな朝でござる。

昨夜から今朝にかけて、けっこう雨が降り、そこそこ降り積もっていた雪もずいぶん融けた。

雪が少なくなって、元の暗い朝を迎えておりまする。

そんなことで、ご近所の人気スキー場「ニセコグラン・ヒラフスキー場」はいまだオープンしておりません。

「中山峠」は25日からオープンで、「ルスツリゾート」は26日から部分オープンしておるそうですけどね。

まだこの程度の雪の量ではねぇ、、、

今シーズンは50万泊に及ぶ外国人などの予約がすでにあるというご当地だけど、本格的なスキーシーズンは12月半ばからでしょうかね???

さて、

トルコとロシアがややこしいことになっておる。

先日トルコがロシアの爆撃機を撃墜したのをきっかけに、今度はロシアがトルコの物資輸送車を空襲したそうな。

なんと両者の因縁16世紀まで遡る。

帝政ロシアとオスマン・トルコの確執は、ロシアが冬でも凍らない港「不凍港」を求めて南下したことに始まるとか。

「露土戦争」と呼ばれておるそうで、1500年代から延々12回も戦争しておる。

あのナイチンゲールが看護師として活躍したクリミア戦争もその「露土戦争」のひとつで、これはトルコの勝利。

ですが「露土戦争」のほとんどは、トルコが負けておる。

だからトルコは、日露戦争でロシアに勝利したニッポンには、そもそも好意を持っておったね。

現在ニッポンで公開中の日本とトルコの合作映画「海難1890年」は、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本町の沖で遭難し、これを町の人々が救ったことを映画化したものじゃ。

おぢ夫婦のトルコ旅行をきっかけに、この「エルトゥールル号遭難事件」については当ブログで何度か書いた。

この事故をきっかけに、トルコ人はニッポン人が大好きになる。

トルコの田舎町では、ニッポン人と見れば、子どもたちが一緒に写真を撮ろうと寄ってくるほどですわ。

そして1985年のイラン・イラク戦争の時のこと、テヘランに約200人のニッポン人が取り残されましたです。

一刻も早く救出しないとニッポン人の命はヤバかった。

しかしテヘランにはトルコ人も600人が取り残されておったね。

当時の伊藤忠商事の方がトルコ首相と親しくしておったので、トルコに救援をお願いした。

そしたら、トルコは自国民よりニッポン人を優先して飛行機を飛ばし、全員を救出したのでした。

これについてその後、駐日トルコ大使はこう申したという。

「エルトゥールル号の借りを返しただけです」。

涙モノです!!

そんなことで、ニッポンとトルコの間には大感動のドラマがあったりするのです。

またその後、東大に留学しておったトルコ人留学生が、当時、あんなことやこんなことをする場所を「トルコ風呂」と呼んでいたことに怒り心頭、文科省に抗議した。

そのころ、ニッポンの男どもはススキノに繰り出した勢いで「トルコにいくべ!!」とか申しておったわけ。

そしたら我がニッポン国政府は、役人とはとても思えぬ異例の速さでトルコ風呂を「ソープランド」と改名。

いまは誰も「トルコ」が、あんなことやこんなことをするところとは、まるで想像しないことに相成った。

風俗の世界では、いまやすっかりソープが定着だもねぇ、、、

そもそもトルコとロシアの話を書くはずだったけど、なんだか、ずいぶんと逸れちゃったなぁ、、、

書くのも疲れたので、今日はソープの話で終わりじゃ!!

数少ない読者の皆さん、スマンね!!