原子核の巨大エネルギーとパンドラの箱と人類の未来
1.原水爆開発実験、関連条約、動向(出典WEB)
1942年10月 アメリカ合衆国大統領ルーズベルトは、原子爆弾の製造に着手し、マンハッタン計画(MED)を指示。
- 7月から9月 - 物理学者のオッペンハイマーはカリフォルニア大学バークレー校で夏の会議を招集、原爆の設計を議論した。
- 9月17日 - レズリー・グローヴス大佐がMEDの司令官に任命。6日後准将に昇進。
▼1945年
7・16 米、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で史上初の核爆発実験(トリニティ実験)、爆縮型のプルトニウムを用いた原爆
8・6、 8時15分、広島に原爆が投下、ガンバレル型高濃縮ウラン原子爆弾(Mark1)
8・9 、11時02分、長崎に原爆が投下、プルトニウム・インプロージョン型原子爆弾(ファットマン・Mark3)
▼1946年7・1 米、ビキニ環礁で原爆実験シリーズを開始
▼1951年9・8 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約
▼1954年
3・1 ビキニ水爆実験に、静岡県焼津港からのマグロ漁船「第五福竜丸」が東方約160キロで遭遇
7・1 防衛庁・自衛隊が発足
8・8 東京で原水爆禁止署名運動全国協議会結成大会。代表世話人に湯川秀樹京大教授、片山哲・元首相。寄せられた署名は四四九万人
9・23 第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんが国立東京第一病院で死去。四〇歳。死因、放射能症。米原子力関係者は死因に疑問と発表
▼1955年7・9 ラッセル・アインシュタイン声明
▼1957年
5・15 英、クリスマス島で初の水爆実験を実施
7・6 第一回パグウォッシュ会議
▼1961年9・1 ソ連が核実験を実施
▼1964年10・16 中国が初の原爆実験
▼1972年5・27 米ソが戦略核兵器制限条約(SALTI)に調印
1974年5.18 インド初の核実験
▼1979年
3・28 アメリカのスリーマイル島原発二号炉で放射能漏れ事故
6・18 米ソが第二次戦略核兵器制限条約(SALTII)調印
▼1982年6・29 米ソ戦略兵器削減交渉(START)はじまる
1983年 核の冬( Nuclear winter)は、カール・セーガンらにより提唱された現象で、核戦争により地球上に大規模環境変動が起き、人為的に氷河期が発生する、というもの。
▼1987年12・8 米ソがINF(中距離核戦力)全廃条約に調印
▼1991年
7・31 米ソが戦略核兵器を三〇%削減する戦略兵器削減条約(STARTI)に調印
12・21 ソ連消滅、独立国家共同体を創設
▼1995年
5・11 核拡散防止条約(NPT)の無期限延長決定、直後に中国が核実験、フランスも実験再開
12・8 高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ火災事故
▼1996年9・24 包括的核実験禁止条約(CTBT)調印
1998年5.28 パキスタン初の核実験
2006年10.9 北朝鮮初の核実験
(以下省略)
2.核実験回数(出典WEB)
核実験は、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり維持技術を確立するために実験的に核爆弾を爆発させる。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。