西野了ブログ この世界に在ることについて

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう」で掲載中です。

僕らの時代11.「田村の死んでいる顔、笑ってた」

2017-05-20 19:44:39 | Weblog
 八月二十日も真夏の太陽が照りつけていた。
 なぜ夏休みなのに、登校日が二日もあるのか僕は疑問に思うのだ。そんなことを考えながら始業時間前の数分前に教室に飛び込んだ。しかしエアコンが効いている教室でサイトーや小藪そして汐崎の姿を確認すると、僕は先ほどの登校日に関する疑問が一瞬にして消え去った。
「コーイチ、オハヨ」
 僕の右肩を軽く叩く人間がいた。僕は反射的に振り返ると、そこには髪をピンクに染めた麻衣が立っていた。その横には微笑を浮かべている石井圭のほっそりとした姿もある。
 僕は意外な二人の組み合わせに若干戸惑いながら「オウ」とだけ返事をした。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
 石井は相変わらず丁寧な言葉使いで小さくお辞儀をすると、サイトーと小藪それから汐崎にも同じように挨拶した。
「大西君、おはよう」
 石井は僕の前の席で俯いている大西にも爽やかに声をかけた。その声に大西は両肩をビクッと小さく震わせた。そのあと横目で石井を見て、「ああっ」と小さく頷いた。
「アレーッ、オーニシ、どーしちゃの? ちゃんとガッコに来てェ」
 大仰な声を出した麻衣は、右手で大西の左肩をバンバンと遠慮なく叩いた。大西はさも嫌そうな顔をして、ジロッと陰険な眼差しで麻衣を睨んだが何も言わなかった。
「麻衣、偉そうに言うなよ。お前だって前の登校日には来なかったじゃないか。それに最近どこ行ってるんだよ。おばさん心配していたぞ」
 僕はしばしば所在が不明になる幼馴染にイラついていた。
「ウッサイナァ。アタシがどこに行こうと勝手ジャン。ネッ、ケイチャン」
「エッ、アアッ、はい」
 いきなり話を振られた石井は、少し驚いたようだが麻衣の言い分に同意した。
 僕はいつの間に麻衣が石井と仲良くなったのか不思議に思った。だけど麻衣の神出鬼没ぶりと彼女のつかみどころの無い交友関係を考えると、そういうこともあるだろうと自分を納得させた。
 ガラッというドアの開く音とともに藤井が入ってきた。その後ろには少しくすんだ白っぽいブラウスと灰色のスカートを野暮ったく身につけ、そして分厚いレンズの眼鏡をかけたショートカットの女性がついて来た。
「みなさん、席についてくださいぃ」
 カン高い藤井の声が響き、クラスの人間はノロノロと着席した。みんなは一様に藤井の後について来た女性を物珍しそうに見ている。
「赤木のカバ、どーした?」
「くたばちまったんじゃんーのか」
「ションベンたれたから、出てこれねーんじゃねーのかぁ」
「あのブタにそんな神経あるかっよ!」
 そんな言葉が教室のあちこちから聞こえる。
「静かにしてくださいぃ! 静かにぃ!」
 藤井のヒステリックな声が大きくなった。人をいらだたせるその声を聞くよりは黙った方がまだマシだと感じたのか、それまで喋っていた人間は渋々口を閉じた。
 藤井は教壇の机の前に立つと素早く教室全体を見渡した。それから「コホン」とわざとらしく咳をした。
「えーっ、大変残念なお知らせですぅ。担任の赤木先生がですねぇ、体調不良のためしばらく休養されますぅ」
 その発言に対し、クラスの奴らは「やったぁ」と喜び、そして「シッキン」とか「ダップンキョーシ」とかの嘲りの言葉で答えた。そんな言葉を聞いて「クスクス」と笑う女子もいた。
 そんなざわめきの中でも、藤井のカン高い声は耳障りに響いた。
「それでですねぇ、しばらくの間ぁ、赤木先生が復帰するまでぇ、私が担任を務めますぅ。それから岡本先生ぃ、こちらで自己紹介をぅ」
 藤井の右手の指がカクンカクンと昆虫的な動きをした。その動きに誘われるように、岡本と呼ばれた女性は藤井の隣にゆっくりと歩いてきた。すると藤井が机の前からすっと横に移動し、岡本先生にその机を指差した。岡本先生は緊張した面持ちでその机の前に立った。
「ああっの、初めまして。岡本綾といいます。藤井先生から言われたように、私、副担任します!」
 岡本先生は教室の殺伐とした雰囲気に冷静さを失っているのか、説明不十分な自己紹介をした。丸尾や沖田、宮本たちはニタニタ笑っている。
「センセーは何教えるんっスかぁ?」
 丸尾が巨体を左右に小刻みに揺らしながら尋ねた。
「ハイッ、あのっ歴史、えっと日本史です。赤木先生が受け持っていた授業です」
「じゃあ、センセーもオムツをしてるんっスかぁ?」
「エッ、ハイッ?」
 岡本先生は丸尾の質問の意味がわからず、困惑した表情で藤井の方へ視線を移した。
「丸尾君っ、そのような質問は受け付けられません!」
 藤井は銀縁眼鏡を右手で上下に軽く動かしながら、威圧的に答えた。
「岡本センセ、赤木はこの教室で失禁したんだぜぇ」
「丸尾君!」
 藤井の制止を無視して、沖田と宮本が「シッキン、シッキン」とはやし立てた。
「赤木の後釜なら岡本センセも失禁するんじゃないかと、俺は心配してやってんだぜ」
「丸尾クン、ヤサシィー」「ヒューヒュー」またも沖田と宮本が太鼓持ちの本領を発揮した。
「バカ」
 汐崎の低い声に僕は思わず噴き出した。クラスの数人も小さく笑った。
「なんだとう!」
 丸尾が赤面しつつ汐崎を睨んだ。
「ヘタレブタ」
 今度はサイトーのクールな声が飛んだ。先程よりも更に笑い声が大きくなった。
「ぐっ」丸尾は何か言いたそうだったけど、サイトーに軽く睨まれ何も言えなかった。
「ハイハイ、みなさん聞いて下さいぃ」
 目ざとい藤井はこの瞬間を逃さずに、伝達事項を早口で伝えた。その内容は夏休みの宿題対策として、明日から一週間補習が組まれているということの確認だった。(落ちこぼれ対策を学校も形式的にはやっているということだ)それから今から三十分後に体育館でインターハイと野球部の全国大会の報告会がある。その報告会にはちゃんと参加するようにと藤井は釘を刺した。
 僕は左斜め後ろの汐崎をチラッと見ると、彼女はちょっぴりおどけた表情を見せた。
 伝達事項を言い終えると、藤井は足早に教室から出て行った。岡本先生は納得いかない不安げな顔で教室内をチラチラ見ながらも、先輩教師の後を追った。
 二人が教室から出て行った後、小藪が嬉しそうに僕の席にやってきた。
「ねえねえ、中島、赤木先生のこと知っていた?」
「いや」
「サイトー君は?」
「俺も初耳だ」
「高橋に急所蹴られて、大事なものが潰れたのかな」
 僕は赤木と対峙した高橋の青白い顔を思い出しながらそう呟いた。すると隣の席の麻衣がニタニタと嬉しくてしょうがないような表情を浮かべ、僕に訊いてきた。
「ネッネッ、コーイチ。大事なモノって何よ?」
「股間にあるモノだよ、股間に」
「ヘッ、コカイン? コイン?」
「股間!」
(コカインって何だよ?)と訊きたかったが、僕はその言葉を飲み込んだ。
「コカンってナニよ?」
「ここだよ、ここ!」僕は喋っても埒が明かないので、足を広げて自分の股間を指差した。
 僕が指差したところを見た麻衣は「ヤダァー、エッチィ!」と叫び、思いっきり僕の右肩を右の平手で叩いた。自分の無知を棚に上げてなにが「ヤダァー、エッチィ!」だと、僕は左肩をさすりながら胸の中で文句を言った。
「あのさ、赤木先生は身体の方じゃなくって、心の方が問題らしいよ」
 小藪は例によって小さな目をキョロキョロ動かしながら言った。
「ほう」サイトーが興味深そうに反応した。
「なんかさ、聞くところによると赤木先生、ノイローゼっていうか鬱っていうか、そんな感じらしいよ」
「ヘェー」僕は驚いた。僕の周囲にいた人間も同じように驚いていたと思う。いつものように片肘をついて外を眺めていた汐崎も、チラッと小藪を見た。
「やっぱ赤木先生は高橋クンにKOされて、それでショック受けたのかな」
「そうかな?」僕はこの学校の教師は殴られても、そんなにショックを受けないのではないかと思った。ほとんどの教師がタフでしたたかな人間だと僕の目には映っている。
「コヤブゥ、あのブタゴリラにそんな神経があるわけナイジャン」
「じゃあ渡辺さんは何が原因だと思うのさ?」小藪は少しムキになって訊いた。
「そりゃあ、みんなの前でシッキンしたことよ。アタシだったら恥ずかしくって、首くくって死んじゃうモンネ」
 僕はこいつにそんなデリカシーがあるはずもないと思ったが、それとともに麻衣の言葉に何がひっかかるものを感じた。
「麻衣、この間の登校日、休んだくせに赤木のことよく知ってるな」僕はその違和感を口にした。
「ヘヘン、アタシはナンデモ知ってるのよ」
 僕はそのとき麻衣が一瞬、前の席の石井を意識したような気がした。
「う・・・・・・」
 僕の前の席から、低くくぐもった声が聞こえてきた。
「ん? 大西君どうしました?」
 それまでみんなの会話を静かに聞いていた石井が、隣の席の大西健一に優しく声をかけた。大西の青白い顔は俯いたままだったが、再び呻くように言った。
「違う」
 その声は消え入りそうだったけど、確かに大西はそう言ったのだ。
「オーニシィ、何が違うのよ!」
 麻衣は自分の意見が大西に否定されたので感情的になった。彼女は大西に対してはいつも高圧的な態度で接しているので、なおさらだ。
 麻衣に反撃された大西は、またいつものように黙り込んでしまった。
「アンタなんかね、たまにしかガッコに来ないくせにエラソーに言うんじゃネーよ」
「麻衣、お前だってしょっちゅうサボッたり、途中でフケたりするじゃないか」
 僕は思わず口を挟んだ。
「ハァー! コーイチだって中学までフトーコーでぇ、アタシが助けてやったジャン!」
「あーっ、お前が何してくれたんだよ? 麻衣、お前は勝手に俺の家にあがりこんで、俺の漫画を読んでヘラヘラしていただけだろうが!」僕は本気で怒り始めている自分を感じた。
「エーッ! ナニィ、その言い方ァ。シンジラレナァーイ!」
 麻衣の声も大きくなっていた。彼女はガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、僕の机の前で仁王立ちした。そして丸い鼻の穴を大きくふくらませ、目と鼻の間に力を入れて僕を睨みつけた。僕も頭の中の何かがプッツンと切れて、椅子から立ち上がり百五十五センチの幼馴染を見下した。まさに一触即発というときに「まあまあまあ」とサイトーが麻衣の左肩を優しく叩いた。
「カオルゥ、コーイチったらヒドイのよゥ」
「ああ、ひどい。ひどいよね」
(どこがひどいのだ!)
「アタシがあれだけ心配してあげたのにィー」
「中島は鈍感だからなあ」
「デショー、ドンカンのニブチンよ!」
「麻衣ちゃんの優しさがわからないとはねぇ」
「ネーッ!」
(何がネーッだ!)
 僕は二人の会話を聞いていると、自分が怒っていることが急にバカバカしくなってしまった。気が抜けてしまい、ドスンと椅子に腰をおろした。そのとき後方からの視線に気がつき振り向くと、汐崎が笑いを噛み殺して僕を見ていた。
 僕は汐崎に恥ずかしいものを見られたような気がした。そして体中の血液が顔の辺りに集まってくる感覚に戸惑った。
 麻衣をなだめたサイトーは大西の前の空いている椅子を机から引っ張り出した。その椅子に長い足を広げて逆向きに座り、背もたれの上の部分に交差した腕を置き、そこに引き締まった顎を乗せた。
「大西の従兄弟は今度から野球部のエースだろ?」
「あっ、ああ・・・・・・」
 サイトーに声をかけられた大西は、少し驚いたように一瞬顔を上げた。
「今年の大会も活躍したサウスポーだったっけ? えっとぉ大西・・・・・・」
「秀太・・・・・・」
「そうそう大西秀太。彼、球速いよねーっ」
 こわばっていた大西の体がみるみるリラックスしていくのが、後ろの座席にいる僕にもわかった。
「秀太・・・・・・見た」
 大西健一は糸のような細い目で、端正なサイトーの顔を見つめながらそう言った。
「えっ? 大西の従兄弟は何を見たの?」
 サイトーは軽い調子で大西健一の言葉にテンポよく反応した。だが大西は臆病な小動物が巣穴に隠れるように、再び黙り込んでしまった。
 三十秒それとも一分が経過しただろうか。「ガタン!」と椅子を床に激しく打ちつける音が響いた。麻衣がその椅子から立ち上がり、隣の大西の机をバン! と平手で叩いた。その衝撃音に大西はビクッと一瞬大きくのけ反った。
「オーニシィ! 言いたいことがあるなら早く言えよォ! ウジウジウジウジ、うっとおしい奴やなあ!」
 気の短い麻衣は大西の曖昧な行動が我慢ならないのだ。それでも麻衣にしては一分間くらいの時間にせよ、よく我慢したものだ。
「まあまあまあまあ、麻衣ちゃん。大西にも話せない、いろんな事情があるのではないのかな?」
「もー、オーニシはイラつくーッ!」
「誰でも麻衣ちゃんのように、テキパキできるわけじゃないよ」
「あーっ、そっかあ、そーだね。エヘへへーッ」
 しかしまあサイトーはあれほど気分屋の麻衣をよくコントロールできるものだ。こいつだったら新興宗教の教祖になって、たくさんの女性信者から莫大なお布施を巻き上げることもできるのではないか。それともナンバーワンホストになってリッチな暮らしをすることも可能だろう。僕はサイトーが新興宗教の教祖になって大勢の信者の前で説教をしている姿を想像していると、石井の「大西くん、落ちつきましたか?」という澄んだ声が聞こえてきた。
 大西は糸のように細い目を左横に動かし石井を見た。それからまた下を向いた。だがそのときの大西を包む空気はちょっと異質なものだった。だから麻衣も何も言わず黙っていた。
「笑ってた」
 大西がぼそりと言った。
「えっ?」
 サイトーが首をひねった。
「田村の死んでいる顔、笑ってた」
 大西の声の調子は変わらなかった。
「それ、従兄弟から聞いたの?」
 さすがのサイトーも驚きながら目の前のクラスメートに尋ねた。大西は何も言わずに首を縦に小さく振った。
「大西の従兄弟は朝練で早く登校していたのかな?」
 大西は黙って首を縦に振った。
「でもどうして田村の死に顔を見ることができたの?」
 サイトーは名探偵にもなれるかも―僕は友人の頭の回転の速さに感心していた。
「赤木が呼び止めたって・・・・・・」
「それで」サイトーの声も珍しく緊張していた。
「赤木、田村の顔見て、超ビビッていたって」
 大西はそこまで言うと再び俯いた。誰も何も言わなかった。気がつけば教室には僕らのほかに誰もいなくなっていた。そして教室の空気はエアコンの冷気ではない冷たさが混ざっていた。ホワイトボードの上方に設置されている小型スピーカーからはインターハイと野球部の報告会の放送が始まっていた。
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