私は嘘をついている。ずっと前から社長のことを知っていた。そしてある目的があってこの会社に入社した。
「会社説明会どうだった?」
「やっぱ東京だね、地方とは規模が違うわ。就活上手くいくといいな」
「頑張ってね」
「うん、もし東京で就職出来たらお姉ちゃんと一緒に住もうかな」
「えっ? ここじゃちょっと狭いかと」
「あっ さてはいい人がいるな~ねえねえどんな人?どこで出会ったの?」
「仕事で使ったカメラを運んでいたんだけど、カメラって重いのよね。それで転びそうになってカメラは身を挺して守ったんだけど,それで足くじいちゃって」
「助けてくれたんだ、なにっそのドラマみたいな展開、目の前に白馬の王子様が~てね」
「そう王子様ばりにカッコ良くて、一緒にカメラ運んでくれたんだけど、なんだかとても高そうなスーツ着てたから汚れたらどうしようって気が気じゃなかった」
「カッコ良くて優しくて高そうなスーツってことはお金持ってそうだね。お姉ちゃんはお金に惹かれる人じゃないってのはわかってるけどないよりある方がいいよ」
私たちの両親は私が小学生の頃に離婚した。父親の作った借金が原因だった。母は二人とも引き取りたかったけど父は一人じゃ寂しくて生きていけないと姉にすがり、優しい姉は父親に付き私たち姉妹は離れて暮らすことになった。母は再婚し経済的に困ることはなくなったが私は早く家を出たかった。義父に学費を出してもらうのは気がひけるから大学は地元の国立大学にしたが卒業したら姉のいる東京に住みたかった。父と暮らした姉はいろんな苦労があっただろう。その父は3年前に事故で他界した。姉には絶対に幸せになって欲しい。
「今度その人紹介して、写真はないの?
「写真嫌いなんだって、無事に就職できたら紹介するね」
「うん、頑張る」
数か月後・・・
「お姉ちゃん!」
「忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう」
「そんなの当たり前じゃない、何処が悪いの?」
「進行性の癌で余命いくばくもないらしいわ」
「そんな・・・」
私は言葉を失った。
「ちゃんと診てもらった?助かる方法が他にあるかも知れないじゃない、この病院だけでなく他の病院に」
「幼馴染の和ちゃん覚えてる? 和ちゃん医者になってこの病院にいるの、私は和ちゃんを信頼してる、看護師さんもいい方ばかりよ」
「やだっ そんなのやだ・・・」
「お母さんに心配かけたくない」
「気持ちはわかるけど、折をみて私が言うよ」
「うん・・・ごめんなさい、お母さんに一つも親孝行しないでこんなことになって」
「あやまらないで、お姉ちゃんはなんにも悪くない。ねえあの人は?お姉ちゃんの彼氏」
「別れた」
「えっ?」
「正確に言うと失踪かな、携帯解約して、アパートも引き払った」
「どうして! 優しい人なんでしょ、どうして甘えないの?」
「優しくて誠実な人だよ。彼は大きな会社の息子さんで私とは釣り合わないんだけど、彼はそんなことは微塵も思ってなくて必ず父を説得して私と結婚するって言ってくれた」
「お姉ちゃんのこと凄く愛してるのね、だったら」
「だから病気のこと知ったら全てを捨てて私のところに来てしまう、そんな彼を見るのは私にとっても負担なの。正直今すごくしんどい。でも時々は彼の笑顔を思い出すの、それだけでいい(微笑)」
「お姉ちゃん・・・」
「悔しいよ、悔しくて悲しくて辛くて泣き叫ぶこともある、人は強くない、弱い生き物だよ。神様なんていないと思った。それでも彼に合わせてくれたことは神様の私に対する罪滅ぼしなのかなって思った。それくらい幸せな日々だった・・・それでいい。出来れば彼の中で少しでも私が生きていればいいなって、でも失踪したから酷い女だって恨んでいるかもね」
「そんなことないよ、余程の事情があったに違いないって思ってるよ」
「だといいな」
それから間もなくして姉は亡くなった。姉は美しかった。少し微笑んでいるようにも見える死に顔だった。
たかしさん・・・寝言でそういうのを一度聞いたことがある。姉が最期に見たのはきっとたかしさんの笑顔だったのだろう。
姉の恋人のことは「たかし」という名前しかわからなかったが遺品を整理していると1枚の写真が出てきた。幸せそうなお姉ちゃんと笑顔のたかしさん、とめどもなく涙が溢れた。いい男だね、こんなカッコいい人見たことないよ・・・ん?なんかこの顔見た気がする。就活特集の記事目当てに買った月間ビジネスだ。
「二科コーポレーションの社長に就任した二科隆」 間違いない、この人だ。こんな二枚目ふたりといない。
*
携帯は一向に繋がらない。アパートも引き払っていてもぬけの殻だった。アパートの大家を尋ねた。普通はこんなこと教えてくれないのだろうが白い封筒を差し出すと、契約書の紙を見せてくれ、そこには保証人だった父親の住所が書いてあった。直ぐに長崎へ向かった。白い封筒も忘れてはいけない、こういうところは自分は二科家の人間だなとつくづく思う(苦笑)
アパートを訪ねると既に父親は他界していて、当時父親が住んでいたときと大家が変わっていた為になにもわからなかった。途方にくれた。「私の家はちょっと複雑なの」と言ったことがあった。話したくなったら話せばいいと思ってなにも聞かなかった。俺は彼女の全てを知っていたわけではない。だけど愛していた。どうしようもなく愛してた。付き合った女性は何人かいたが誰かをこんなに好きになったのは初めてだった。なにがあっても父を説得する。それが無理だったらこの家を出てもいい、そう考えていた。父に話すタイミングを見計らっていたときに彼女は姿を消した。なにがあった?なにか余程の事情があるのだろうか・・・。ときには突然失踪した彼女を憎み、ときにはもう愛する人をこの手に抱けない夜に君を狂おしく思った。
それでも時は少しづつ平常を取り戻していく。
「隆は結婚を考えてる女性がいるのか?」
「いえ・・・」
父の質問に驚いたと同時に次に何を言われるのか予測がついた。
「なら見合いしろ、木下製薬のお嬢さんだ。年は30を超えているが母親の看病でやや結婚が遅れたらしい。感心な話じゃないか。一度会ったことがあるが控えめで感じのいい娘さんだった。それに木下製薬と縁が出来るのは心強い」
断る理由が見つからなかった。
「はじめまして・・・」
派手さはないが物腰がやわらかく優しそうな人だった。父は気に入ったらしく終始にこやかだ。俺はこの人と結婚するのか?
「品が良くて知性と教養もある、仁科家の嫁として申し分ない」
断る理由が見つからないままに結婚した。多くの人に祝福されて二科家を支える為の結婚、これも一つの幸せなのだろう。
良く出来た妻で父が倒れたときも献身的に看病しその甲斐あって父は仕事に復帰することが出来た。
「父さん、俺に話って?」
「私は社長を辞任する」
「えっ?」
「次の社長は隆だ」
「俺が? 晃兄さんは?」
「晃に社長は無理だ、わかるだろ?」
「だけどすっかり元気になったしまだやれるよ」
「いつ倒れるかわからん、速いうちにおまえに全てを引き継ぎたい。会社と二科家の全てをだ」
「二科家の全て?」
「ああ、今から話す」
言葉が出なかった。二科家の全てとは思いもしない驚愕の事実だった。
「来月には社長就任会見を開く、準備しておくように」
会社だけならまだしも俺にこの事実も受け止めろというのか? こんな話し聞きたくなかった。俺はそんなに強くない。だけど兄さんにはもっと無理な話だ。俺たちはなにも知らずに育ってきた。大きな会社の家の子として裕福に。その裏で流された血のことなど知る由もなかった。激しく動揺し頭は混乱した。
そんなときに娘が生まれた。
「小さい・・・」
未熟児ではないものの2500gと色の白い小さな赤ん坊だった。
「ちょっと小さいですが元気な赤ちゃんですよ、さあお父さんにも抱っこしてもらいましょうね」
赤ん坊の手が俺の指をしっかりと握った。こんな小さな手にもうこんな力があるのか?
守りたい、この子は俺が守る! 俺は俺の家族と会社を守る!
会社を守るためには鉄の鎧が必要だった。冷静に冷徹に、ときには泥水を飲むようなことさえあった。兄貴や楓は人が変わったような俺を怪訝な眼で見て非難した。誰にも話せない、誰にも助けてもらえない。それでも守らなくてはならない。だが会社の経営は芳しくなかった。会社を立て直す手はずが欲しい。二科コーポレーションを救う画期的なプロジェクトを考えなくては・・・そしてそれは会社を救うだけでなく人の役に立つものであって欲しい。誰かを救うことが出来たなら少しは父のしたことの贖罪になるだろうと。
*
私は二科コーポレーションに入社した。そして短期間で必死に取った秘書検定1級が役に立ったようで秘書課に配属された。私は知りたかった。隆社長の胸の中に姉は生き続けているのだろうか。だけど果たしてそれを知る日なんて来るのだろうか、秘書課に配属されたとはいえ私の仕事は社長秘書のサポート。覚えることもやることも沢山ある。私的感情は二の次で社会人としてとにかく仕事を頑張ろう。たまに見かける隆社長はいつも難しい顔をしている。姉のいう「優しい笑顔の素敵なたかしさん」はピンとこない(^^;
仕事にも慣れてきた3年目の春、秘書課の先輩が産休に入り忙しくなった。そしてその年の秋に社長秘書の長谷川さんが家庭の事情で突然会社を辞めた。
「わっ私が社長秘書ですか!私には荷が重すぎます」
「君しかいないんだ、総合職の方から優秀な人材をまわしてもらって君をサポートしてもらう」
「ですが」
「社長が君でいいと言ったんだ、死ぬ気で頑張りたまえ」
「はい! 死ぬ気で頑張ります!」
私としたことがつい感情的になってしまって死ぬ気で頑張れなんて言ってしまった。みっともない by 七尾
社長秘書になってわかったこと・・・二科コーポレーションは大きな会社だが、その経営状態はいいとは言えない、厳しい状況にある。だがらいつもあんな難しい顔してるんだ。私は社長の難しい顔と作り笑いしか見たことがない。ただ誠実な人というのはわかる。偉い人だけど偉そうではなく不条理なことは決して言わない。会社の経営が上手くいけばお姉ちゃんの言っていた「優しい隆さん」の顔を見ることもあるんだろうか?余計なことを考えるのはよそう、七尾さんの言うとおり死ぬ気で頑張らないと。
*
この三ヶ月いろんなことがあった。詳しいことはわからないがなにかがあったのだろう。会長は会長職を退き、表には出なくなった。社員を集めての社長の話は社員の心を掴んだように思う、社内に活気が出てきた。社長を中心として二科コーポレーションは生まれ変わるのかも知れない。
「社長、資料の準備が出来ました」
「短時間でよくこれだけ集めたな」
「秘書の仕事ですから」
「フッ」
「えっ?(今笑ったよね)」
「秘書は君でいいと言ったとき、七尾に反対されたのを思い出した、なんとかなるもんだな」
なんとかね(^^;
「あの、どうして社長は私でいいと」
「君しかいなかったんだから仕方ないだろ、七尾の言うように優秀な人材をどこかから引き抜くというのも簡単ではないし・・・それと似ていたんだ」
「えっ?」
「一生懸命なところが、両腕に抱えた沢山のファイルを落としそうになって、身を挺してファイルは守ったがどこか打ったらしく痛そうにしてた。その姿が知り合いにかぶって見えた。ガッツがあるのだけはわかったよ」
「あの、その人って美人でした?(清水の舞台から飛び降りたつもりで聞いちゃえ)」
「ああ、とても。だけどそれ以上に心の綺麗な人だった(微笑)」
*
お姉ちゃん、いたよ。 隆社長の中にお姉ちゃんは生きてたよ、美人で心の綺麗な人だったって。よかったね、お姉ちゃん!
「ありがとう」
姉の声が聞こえた気がした。
*
「少し時間あるか?」
「20分でしたら」
「そこの信号を右折して」
「はい」
君はあの日、この桜の木の下にいた。モデルの代わりにカメラテストというのをやっていたんだったね。髪はひっつめで顔はほぼすっぴん、よれよれのジーンズを履いて汗かきながら走り回ってる私のどこがよくて一目ぼれしたの?近くに凄く綺麗なモデルさんがいたのに、隆さんて眼が悪いの?て笑いながら君はそう言った。
君だけが輝いていた。君しか見えなかった。そう言ったら恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いた。そんな君が愛しくて僕は君に口づける。
その手を放したくなかった。ずっと抱きしめていたかった。二人で作る家庭を夢見た俺は全てを捨ててもかまわなかった。
だけど全てを捨てる前に君はいなくなった。。。
元気ですか? 病気になったり怪我をしていませんか?
周りには優しい人がいますか?
そして君の傍らには君を愛してくれる優しい人がいますか?
どうか幸せに、幸せにいてください。君の幸せを心から願っています。
ごめん、一つだけ嘘を付きました。
本当は突然姿を消した君がときどき恨めしいです。
もう一度、もう一度だけ君に会いたいです。
だけど・・・やっぱりごめん。
もし何処かで君に偶然出会ったとしても僕は素知らぬ顔をします。
それが妻への愛だから。
だけど・・・もし生まれ変わったならもう一度この桜の木の下で君に会いたいです。 end
「会社説明会どうだった?」
「やっぱ東京だね、地方とは規模が違うわ。就活上手くいくといいな」
「頑張ってね」
「うん、もし東京で就職出来たらお姉ちゃんと一緒に住もうかな」
「えっ? ここじゃちょっと狭いかと」
「あっ さてはいい人がいるな~ねえねえどんな人?どこで出会ったの?」
「仕事で使ったカメラを運んでいたんだけど、カメラって重いのよね。それで転びそうになってカメラは身を挺して守ったんだけど,それで足くじいちゃって」
「助けてくれたんだ、なにっそのドラマみたいな展開、目の前に白馬の王子様が~てね」
「そう王子様ばりにカッコ良くて、一緒にカメラ運んでくれたんだけど、なんだかとても高そうなスーツ着てたから汚れたらどうしようって気が気じゃなかった」
「カッコ良くて優しくて高そうなスーツってことはお金持ってそうだね。お姉ちゃんはお金に惹かれる人じゃないってのはわかってるけどないよりある方がいいよ」
私たちの両親は私が小学生の頃に離婚した。父親の作った借金が原因だった。母は二人とも引き取りたかったけど父は一人じゃ寂しくて生きていけないと姉にすがり、優しい姉は父親に付き私たち姉妹は離れて暮らすことになった。母は再婚し経済的に困ることはなくなったが私は早く家を出たかった。義父に学費を出してもらうのは気がひけるから大学は地元の国立大学にしたが卒業したら姉のいる東京に住みたかった。父と暮らした姉はいろんな苦労があっただろう。その父は3年前に事故で他界した。姉には絶対に幸せになって欲しい。
「今度その人紹介して、写真はないの?
「写真嫌いなんだって、無事に就職できたら紹介するね」
「うん、頑張る」
数か月後・・・
「お姉ちゃん!」
「忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう」
「そんなの当たり前じゃない、何処が悪いの?」
「進行性の癌で余命いくばくもないらしいわ」
「そんな・・・」
私は言葉を失った。
「ちゃんと診てもらった?助かる方法が他にあるかも知れないじゃない、この病院だけでなく他の病院に」
「幼馴染の和ちゃん覚えてる? 和ちゃん医者になってこの病院にいるの、私は和ちゃんを信頼してる、看護師さんもいい方ばかりよ」
「やだっ そんなのやだ・・・」
「お母さんに心配かけたくない」
「気持ちはわかるけど、折をみて私が言うよ」
「うん・・・ごめんなさい、お母さんに一つも親孝行しないでこんなことになって」
「あやまらないで、お姉ちゃんはなんにも悪くない。ねえあの人は?お姉ちゃんの彼氏」
「別れた」
「えっ?」
「正確に言うと失踪かな、携帯解約して、アパートも引き払った」
「どうして! 優しい人なんでしょ、どうして甘えないの?」
「優しくて誠実な人だよ。彼は大きな会社の息子さんで私とは釣り合わないんだけど、彼はそんなことは微塵も思ってなくて必ず父を説得して私と結婚するって言ってくれた」
「お姉ちゃんのこと凄く愛してるのね、だったら」
「だから病気のこと知ったら全てを捨てて私のところに来てしまう、そんな彼を見るのは私にとっても負担なの。正直今すごくしんどい。でも時々は彼の笑顔を思い出すの、それだけでいい(微笑)」
「お姉ちゃん・・・」
「悔しいよ、悔しくて悲しくて辛くて泣き叫ぶこともある、人は強くない、弱い生き物だよ。神様なんていないと思った。それでも彼に合わせてくれたことは神様の私に対する罪滅ぼしなのかなって思った。それくらい幸せな日々だった・・・それでいい。出来れば彼の中で少しでも私が生きていればいいなって、でも失踪したから酷い女だって恨んでいるかもね」
「そんなことないよ、余程の事情があったに違いないって思ってるよ」
「だといいな」
それから間もなくして姉は亡くなった。姉は美しかった。少し微笑んでいるようにも見える死に顔だった。
たかしさん・・・寝言でそういうのを一度聞いたことがある。姉が最期に見たのはきっとたかしさんの笑顔だったのだろう。
姉の恋人のことは「たかし」という名前しかわからなかったが遺品を整理していると1枚の写真が出てきた。幸せそうなお姉ちゃんと笑顔のたかしさん、とめどもなく涙が溢れた。いい男だね、こんなカッコいい人見たことないよ・・・ん?なんかこの顔見た気がする。就活特集の記事目当てに買った月間ビジネスだ。
「二科コーポレーションの社長に就任した二科隆」 間違いない、この人だ。こんな二枚目ふたりといない。
*
携帯は一向に繋がらない。アパートも引き払っていてもぬけの殻だった。アパートの大家を尋ねた。普通はこんなこと教えてくれないのだろうが白い封筒を差し出すと、契約書の紙を見せてくれ、そこには保証人だった父親の住所が書いてあった。直ぐに長崎へ向かった。白い封筒も忘れてはいけない、こういうところは自分は二科家の人間だなとつくづく思う(苦笑)
アパートを訪ねると既に父親は他界していて、当時父親が住んでいたときと大家が変わっていた為になにもわからなかった。途方にくれた。「私の家はちょっと複雑なの」と言ったことがあった。話したくなったら話せばいいと思ってなにも聞かなかった。俺は彼女の全てを知っていたわけではない。だけど愛していた。どうしようもなく愛してた。付き合った女性は何人かいたが誰かをこんなに好きになったのは初めてだった。なにがあっても父を説得する。それが無理だったらこの家を出てもいい、そう考えていた。父に話すタイミングを見計らっていたときに彼女は姿を消した。なにがあった?なにか余程の事情があるのだろうか・・・。ときには突然失踪した彼女を憎み、ときにはもう愛する人をこの手に抱けない夜に君を狂おしく思った。
それでも時は少しづつ平常を取り戻していく。
「隆は結婚を考えてる女性がいるのか?」
「いえ・・・」
父の質問に驚いたと同時に次に何を言われるのか予測がついた。
「なら見合いしろ、木下製薬のお嬢さんだ。年は30を超えているが母親の看病でやや結婚が遅れたらしい。感心な話じゃないか。一度会ったことがあるが控えめで感じのいい娘さんだった。それに木下製薬と縁が出来るのは心強い」
断る理由が見つからなかった。
「はじめまして・・・」
派手さはないが物腰がやわらかく優しそうな人だった。父は気に入ったらしく終始にこやかだ。俺はこの人と結婚するのか?
「品が良くて知性と教養もある、仁科家の嫁として申し分ない」
断る理由が見つからないままに結婚した。多くの人に祝福されて二科家を支える為の結婚、これも一つの幸せなのだろう。
良く出来た妻で父が倒れたときも献身的に看病しその甲斐あって父は仕事に復帰することが出来た。
「父さん、俺に話って?」
「私は社長を辞任する」
「えっ?」
「次の社長は隆だ」
「俺が? 晃兄さんは?」
「晃に社長は無理だ、わかるだろ?」
「だけどすっかり元気になったしまだやれるよ」
「いつ倒れるかわからん、速いうちにおまえに全てを引き継ぎたい。会社と二科家の全てをだ」
「二科家の全て?」
「ああ、今から話す」
言葉が出なかった。二科家の全てとは思いもしない驚愕の事実だった。
「来月には社長就任会見を開く、準備しておくように」
会社だけならまだしも俺にこの事実も受け止めろというのか? こんな話し聞きたくなかった。俺はそんなに強くない。だけど兄さんにはもっと無理な話だ。俺たちはなにも知らずに育ってきた。大きな会社の家の子として裕福に。その裏で流された血のことなど知る由もなかった。激しく動揺し頭は混乱した。
そんなときに娘が生まれた。
「小さい・・・」
未熟児ではないものの2500gと色の白い小さな赤ん坊だった。
「ちょっと小さいですが元気な赤ちゃんですよ、さあお父さんにも抱っこしてもらいましょうね」
赤ん坊の手が俺の指をしっかりと握った。こんな小さな手にもうこんな力があるのか?
守りたい、この子は俺が守る! 俺は俺の家族と会社を守る!
会社を守るためには鉄の鎧が必要だった。冷静に冷徹に、ときには泥水を飲むようなことさえあった。兄貴や楓は人が変わったような俺を怪訝な眼で見て非難した。誰にも話せない、誰にも助けてもらえない。それでも守らなくてはならない。だが会社の経営は芳しくなかった。会社を立て直す手はずが欲しい。二科コーポレーションを救う画期的なプロジェクトを考えなくては・・・そしてそれは会社を救うだけでなく人の役に立つものであって欲しい。誰かを救うことが出来たなら少しは父のしたことの贖罪になるだろうと。
*
私は二科コーポレーションに入社した。そして短期間で必死に取った秘書検定1級が役に立ったようで秘書課に配属された。私は知りたかった。隆社長の胸の中に姉は生き続けているのだろうか。だけど果たしてそれを知る日なんて来るのだろうか、秘書課に配属されたとはいえ私の仕事は社長秘書のサポート。覚えることもやることも沢山ある。私的感情は二の次で社会人としてとにかく仕事を頑張ろう。たまに見かける隆社長はいつも難しい顔をしている。姉のいう「優しい笑顔の素敵なたかしさん」はピンとこない(^^;
仕事にも慣れてきた3年目の春、秘書課の先輩が産休に入り忙しくなった。そしてその年の秋に社長秘書の長谷川さんが家庭の事情で突然会社を辞めた。
「わっ私が社長秘書ですか!私には荷が重すぎます」
「君しかいないんだ、総合職の方から優秀な人材をまわしてもらって君をサポートしてもらう」
「ですが」
「社長が君でいいと言ったんだ、死ぬ気で頑張りたまえ」
「はい! 死ぬ気で頑張ります!」
私としたことがつい感情的になってしまって死ぬ気で頑張れなんて言ってしまった。みっともない by 七尾
社長秘書になってわかったこと・・・二科コーポレーションは大きな会社だが、その経営状態はいいとは言えない、厳しい状況にある。だがらいつもあんな難しい顔してるんだ。私は社長の難しい顔と作り笑いしか見たことがない。ただ誠実な人というのはわかる。偉い人だけど偉そうではなく不条理なことは決して言わない。会社の経営が上手くいけばお姉ちゃんの言っていた「優しい隆さん」の顔を見ることもあるんだろうか?余計なことを考えるのはよそう、七尾さんの言うとおり死ぬ気で頑張らないと。
*
この三ヶ月いろんなことがあった。詳しいことはわからないがなにかがあったのだろう。会長は会長職を退き、表には出なくなった。社員を集めての社長の話は社員の心を掴んだように思う、社内に活気が出てきた。社長を中心として二科コーポレーションは生まれ変わるのかも知れない。
「社長、資料の準備が出来ました」
「短時間でよくこれだけ集めたな」
「秘書の仕事ですから」
「フッ」
「えっ?(今笑ったよね)」
「秘書は君でいいと言ったとき、七尾に反対されたのを思い出した、なんとかなるもんだな」
なんとかね(^^;
「あの、どうして社長は私でいいと」
「君しかいなかったんだから仕方ないだろ、七尾の言うように優秀な人材をどこかから引き抜くというのも簡単ではないし・・・それと似ていたんだ」
「えっ?」
「一生懸命なところが、両腕に抱えた沢山のファイルを落としそうになって、身を挺してファイルは守ったがどこか打ったらしく痛そうにしてた。その姿が知り合いにかぶって見えた。ガッツがあるのだけはわかったよ」
「あの、その人って美人でした?(清水の舞台から飛び降りたつもりで聞いちゃえ)」
「ああ、とても。だけどそれ以上に心の綺麗な人だった(微笑)」
*
お姉ちゃん、いたよ。 隆社長の中にお姉ちゃんは生きてたよ、美人で心の綺麗な人だったって。よかったね、お姉ちゃん!
「ありがとう」
姉の声が聞こえた気がした。
*
「少し時間あるか?」
「20分でしたら」
「そこの信号を右折して」
「はい」
君はあの日、この桜の木の下にいた。モデルの代わりにカメラテストというのをやっていたんだったね。髪はひっつめで顔はほぼすっぴん、よれよれのジーンズを履いて汗かきながら走り回ってる私のどこがよくて一目ぼれしたの?近くに凄く綺麗なモデルさんがいたのに、隆さんて眼が悪いの?て笑いながら君はそう言った。
君だけが輝いていた。君しか見えなかった。そう言ったら恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いた。そんな君が愛しくて僕は君に口づける。
その手を放したくなかった。ずっと抱きしめていたかった。二人で作る家庭を夢見た俺は全てを捨ててもかまわなかった。
だけど全てを捨てる前に君はいなくなった。。。
元気ですか? 病気になったり怪我をしていませんか?
周りには優しい人がいますか?
そして君の傍らには君を愛してくれる優しい人がいますか?
どうか幸せに、幸せにいてください。君の幸せを心から願っています。
ごめん、一つだけ嘘を付きました。
本当は突然姿を消した君がときどき恨めしいです。
もう一度、もう一度だけ君に会いたいです。
だけど・・・やっぱりごめん。
もし何処かで君に偶然出会ったとしても僕は素知らぬ顔をします。
それが妻への愛だから。
だけど・・・もし生まれ変わったならもう一度この桜の木の下で君に会いたいです。 end
今の奥さんのことも考えている所が、とても隆さんらしいな~と思いました。
父である会長の言葉は、市村さんの声で再生されました(*^^)v
秘書さんに、そんなバックグラウンドがあったとは・・・!
ドラマでは意味深に見えそうな見えなさそうなで、少し中途半端でしたよね。
隆さんの応援団が意外と近くにもいたという、温かいお話で、ホッコリしました(*^^*)
アリガトーショコラです!(←ドラマが違うm(__)m)
隆さんならlこうだろうなと思いました。私も滅茶市村さんの声で聞こえてました
視聴者が勝手に怪しんでいたのかも知れませんね、秘書らしく見えなかったのはそういう作戦でしょうか?たまたまなのかさっぱりわかりません。
でもあの秘書だったからこそ浮かんだ話で秘書さんに感謝です。
私はパセリの見方が変わりそうです。これからはちゃんと見てあげようかなと(笑)
奥様は政略結婚だろうなとは思っていました(笑)
隆さんは切ない話が似合いますね。
本当は忘れられない好きだった人がいるのに、政略結婚。
「俺はこの人と結婚するのか」というセリフなんか好きです。
奥様は「この人と結婚できるの?超ラッキー」って思ったに違いない(笑)
秘書さん目線も良かったです!
見る視点が違うのも良いですよね。
ありがとうございました。また楽しみにしています(^.^)
隆さんも直人さんも切ない役が似合いますよね。誰もが思っていたであろう政略結婚です
>奥様は「この人と結婚できるの?超ラッキー」って思ったに違いない(笑)
あはは、ウケました(笑)ホント超ラッキーですよね。でもあの会長の世話をしているんだから良く出来た奥様ですよね。
秘書に見えない社長秘書はなにか秘密でも?と思って最初の頃そう思って見てましたが、なにもなかったので小説が書けてよかったです。
Web拍手の方でもいつも感想ありがとうございます(嬉)
また妄想が沸き起こるような作品やキャラに出会えたらなと思います。