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辞書、字書

2016-11-07 01:35:43 | まさごと


日本国語大辞典の項目より

じ‐い[:ヰ] 【字彙】
解説・用例
【一】〔名〕
(1)漢字を類別して集め、読み方・意味などを解説した書。字引。字書。
*石梁‐草字彙後序「草字彙、彙草字之所経見者、如字彙編次之、以便稽考也」
(2)「じい(辞彙)」に同じ。
*春迺屋漫筆〔1891〕〈坪内逍遙〉をかし・二〇「博士ジョンソンが字彙(ジヰ)を編みける時Curmudgeon といふ語の語源詳(つまびら)かならざりしかば『ゼントルマン、マガジン』社へ手簡を送りて問ひ合せしに」
*永日小品〔1909〕〈夏目漱石〉クレイグ先生「シュミッドの沙翁字彙(ジヰ)がある上にまだそんなものを作るんですか」

【二】
明の梅膺祚(ばいようそ)の編集した字書の名。一二集。ほかに首・尾二巻。万暦四三年(一六一五)刊。三万三一七九字を二一四部首に分類。画引字書の最初のもの。
*随筆・折たく柴の記〔1716頃〕上「これら皆皆句読を授(さずけ)し師あるにもあらず、みづから韻会(いんゑ)・字彙(ジヰ)等の書によりて誦じ習ひたれば」


じ‐い[:ヰ] 【辞彙】
解説・用例
〔名〕
ことばを分類して集めた書物。それぞれのことばに相当する他国語をあげただけのもの、それぞれのことばの所在を示した索引と同様のもの、辞書と同様にそれぞれのことばに解説をつけたものなど種々のものがある。字彙。



じ‐てん 【字典】
解説・用例
〔名〕
(1)「じしょ(字書)(1)」に同じ。
*春迺屋漫筆〔1891〕〈坪内逍遙〉梓神子・発端「今字典(ジテン)を見れば楚語を引きて男に在りては覡(げき)と曰ひ女にありては巫と曰ふとあり」
*破戒〔1906〕〈島崎藤村〉五・三「忠孝といふ字義の解釈は奈何(どう)聞えました〈略〉種々な字典を参考するやら」
*康熙字典‐序「凡五閲歳、而其書始成。命曰字典」

(2)「じしょ(辞書)(1)」に同じ。
*基督信徒の慰〔1893〕〈内村鑑三〉一「罰なる語は爾の如何なる者なる乎を知る者の字典(ジテン)に存すべき語にあらざるなり」
*永日小品〔1909〕〈夏目漱石〉クレイグ先生「先生は此の字典(ジテン)を大成する為に、ウエールスのさる大学の文学の椅子を抛って」
*近代文明と芸術〔1924〕〈吉江喬松〉二・二・農民と文芸「いったい『百姓』とは何を意味するのであらう。日本語の字典はかう説明してゐる」


じ‐てん 【辞典】
解説・用例
〔名〕
辞書(1)のやや新しい呼び方。明治以降、辞書名に用いられるようになって広まった。明治一一年(一八七八)の「日本小辞典(物集高見)」、同二一年の「和漢雅俗いろは辞典(高橋五郎)」、同二九年の「日本大辞典(大和田建樹)」、同四五年の「大辞典(山田美妙)」など。
*日本小辞典〔1878〕〈物集高見〉序〈近藤真琴〉「文明諸国莫不有辞典」
*郵便報知新聞‐明治一七年〔1884〕一月一九日「本邦言語の正訂一致より辞典の編纂を為すべしとは先年学士会院に於ても議論のありし事なるが」
*珊瑚集〔1913〕〈永井荷風訳〉序「我頃日辞典の助により辛くも訳し得たる西洋近代の詩若干ありしを」


じ‐しょ 【字書】
解説・用例
〔名〕
(1)漢字を集めて一定の順序にならべ、その読み方、意義、用法などを解説したもの。字典。
*将門記〔940頃か〕「未だ勝負の由を知らずと雖も、兼て莞爾とほほゑみ、熙怡とよろこぶらくのみ。〈字書に曰く、莞爾は倭言つはゑむなり〉」
*古活字本毛詩抄〔17C前〕八「去ども新渡の字書には畠の字があるぞ」
*随筆・秉燭譚〔1729〕三「書画の訣に皴と云ことあり〈略〉字書を検すれば、音逡、説文に皮細に起とあり、皴の本義しるべし」
*魏書‐江式伝「式於是撰集字書、号曰古今文字、凡四十巻」

(2)「じしょ(辞書)(1)」に同じ。
*日本風俗備考〔1833〕七「日本の字書は、仮名の順次を逐て編輯せり、然れども或は毎字の内に、大区別を為せる体裁の者も又これあり」
*西国立志編〔1870〜71〕〈中村正直訳〉八・一一「イムポッシブル『能はず』と云ふ字を、字書より除き去らんと欲せり」
*思出の記〔1900〜01〕〈徳富蘆花〉三・一五「頻りに字書をひっ張りながら、スヰントン万国史の仏国革命の章〈略〉に喰ひ入って居ると」
*青年〔1910〜11〕〈森鴎外〉一二「芸者といふ語を世界の字書(ジショ)に提供した日本に」

(3)漢字と漢籍。漢字で書かれた文献。
*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「其後漢土より字書を伝へける時、倭と書きて此国の名に用ゐたるを、即領納して」


じ‐しょ 【辞書】
解説・用例
〔名〕
(1)ことばや文字をある観点から整理して排列し、その読み方、意味などを記した書物。外国語辞書・漢和辞書・国語辞書などを含めていう。国語辞書の中には、普通のもの以外に、百科辞書や地名辞書・人名辞書、また、時代・ジャンル・作品などを限ったもの、各学問分野別に専門用語を中心に集めたもの、方言・隠語・外来語など語の性質別にまとめたもの、表現表記に関するものなど、内容上多くの種類がある。辞典。字引。字書。字典。
*和蘭字彙〔1855〜58〕「woordenboek 辞書」
*西洋道中膝栗毛〔1870〜76〕〈仮名垣魯文〉七・上「三人よれば文字の智恵、辞書(ジショ)と地理書を便りとし、英人『モテル』の案内にひかれ」
*舞姫〔1890〕〈森鴎外〉「我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん」
*或る女〔1919〕〈有島武郎〉前・九「辞書でも繰り当てたやうに、自分の想像の裏書きをされたのを」
*侏儒の言葉〔1923〜27〕〈芥川龍之介〉文章「文章の中にある言葉は、辞書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ」

(2)コンピュータの仮名漢字変換システムで、入力した仮名に対応する語句を登録しておくファイル。また、自動翻訳システムで、語と語の対応や文法などが登録されているファイル。

(3)辞職するむねを書いて差し出す文書。辞表。じそ。
*続日本後紀‐承和四年〔837〕一二月丁酉「然今進れる辞書非御意として左近衛中将従四位下和気朝臣真綱を差使返給と宣」
*小右記‐長和三年〔1014〕二月一四日「大弐辞書送侍従中納言之許」
*栄花物語〔1028〜92頃〕見はてぬ夢「『世はかうこそは』と見思ふ程に、この頃大弐辞書奉りたれば、有国をなさせ給へれば」
*栄花物語〔1028〜92頃〕玉の村菊「かかる程に、大弐辞書(ジショ)といふ物、公(おほやけ)に奉りたりければ」
*台記‐仁平四年〔1154〕正月一二日「去年献辞書之後、未返給、不能結番者、雑人可結番乎」

(4)新帝が先帝に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈るに際し、先帝がこれを辞退する意を述べる書状。御辞書。御報書。

(5)ことばや文章。
*蘭東事始〔1815〕下「蘭学は、実事を辞書に其まま記せし者故、取り受けはやく、開け早かりし歟」



世界大百科事典

辞典
じてん

辞書ともいう。英語のディクショナリーdictionaryにあたり,主として単語を配列してそれぞれの発音,語形,語義などを解説した書をさすが,ひろくは事物の名や用語を配列してそれらの内容を解説した百科事典(エンサイクロペディアencyclopaedia)の類をもふくめる。後者は近来では〈事典〉と書かれる場合が多い。


日本大百科全書(ニッポニカ)
辞典
じてん

ことばや文字をある視点から整理して配列し、その読み方、意味などを記した書物(日本国語大辞典など)をいう。辞書、辞彙(じい)、字典、字彙、字引などともいう。
[彌吉光長]

日本
日本では古代に中国の辞典を盛んに使った。『玉篇』は中国では逸書になったが、石山寺や早稲田(わせだ)大学には古写本の一部が現存する。また『楊氏(ようし)漢語抄』や『弁色立成』が奈良時代につくられ、『東宮切韻』が菅原是善(すがわらのこれよし)の編であることは『日本国見在書目録』にみえている。850年(嘉祥3)に空海が『篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)』30巻を編し、『玉篇』の省略に日本人に必要な注釈と読みを加えて、偏旁(へんぼう)配列にした。昌泰(しょうたい)年間(898~901)になると、僧昌住(しょうじゅう)(856―901?)は『新撰字鏡』12巻を編し、『玉篇』などから2万1300余字を収め万葉仮名の訓を付した。平安末につくられた『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』(著者不詳)10巻は、漢字3万2000字で忠実に和訓1万余を付している。
[彌吉光長]

和語辞典の出現
和語最初の辞典は、源順(したごう)が承平(じょうへい)年間(931~938)ごろ編した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』であり、十巻本(24門分類)と二十巻本(32門分類)とがある。種々の名詞を分類して和訓と解釈に引用文を付したもので、辞書であるとともに百科事典(類書)の初期形式をなしている。江戸末期、狩谷[木夜]斎(かりやえきさい)の考証により(1883年印刷局版)学界に知られた。橘忠兼(たちばなのただかね)は天養(てんよう)~治承(じしょう)(1144~1181)に初めて、いろは順の『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』2巻をつくるが、やがて三巻本となり、さらに『伊呂波字類抄』十巻本に拡大された。これは、和語に漢語をも加え、いろは順にしたものである。
 中世になると、類書式分類の『下学集(かがくしゅう)』2巻(1444)が東麓破衲(とうろくはのう)によって著わされたとされ、江戸時代になって流行した。室町中期には『節用集』がつくられて、伊勢(いせ)本は古くて盛んであり、ほかにも乾(いぬい)本と印度(インド)本の3系統に分かれて発展し、類書や重宝記として、庶民に愛用された。『玉篇』を日本的な『和玉篇』3巻に改めたのは文明(ぶんめい)(1469~1487)以前らしく、慶長(けいちょう)刊本以後、江戸に流行した。五山の学僧虎関師錬(こかんしれん)は、1306年(徳治1)序の『聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)』5巻で本邦最初の詩作韻書を編して流行した。
 江戸時代になって、ようやく言語学的・科学的な国語辞典が出現する。谷川士清(ことすが)は『和訓栞(わくんのしおり)』93巻を編したが、これは、古語から現行語までの語彙を収め、五十音順に配列して解説を加え、引用句を配したものである。1777年(安永6)に前編を刊行して中絶、1877年(明治10)後編が刊行され、1898年に、井上頼〓(よりくに)・小杉榲邨(こすぎすぎむら)(1834―1910)共編で改修して『増補和訓栞』を刊行した。石川雅望(まさもち)は1826~1849年(文政9~嘉永2)に『雅言(がげん)集覧』を編したが、中島広足(ひろたり)の行った改訂版は1887年に57冊で完成した。これは、古代語をいろは順に配列し、解釈に出典を記している。太田全斎の『俚言集覧(りげんしゅうらん)』26巻は稿本で伝わり、1899年に井上頼〓・近藤瓶城(へいじょう)(1832―1901)校訂『増補俚言集覧』となった。また、越谷吾山(1717―1787)は『物類称呼』5巻で全国の方言辞典を編した。貝原益軒(かいばらえきけん)の『日本釈名(しゃくみょう)』3巻(1700刊)、新井白石(あらいはくせき)の『東雅(とうが)』20巻(1717完成)は、ともに優れた語源辞典である。
[彌吉光長]

明治以降の辞典
明治維新後、活版印刷の盛行とともに辞典も多く印刷された。まず、文部省が木村正辞(まさこと)ら10人の学者に編集させた『語彙』であるが、これは初編13冊で財政窮乏のため中絶。しかし大槻文彦(おおつきふみひこ)が西洋言語学の辞典に倣って、その事業を継ぎ1889~1891年(明治22~24)に刊行するが、これが『言海』であり、百数十版に達した。その増補は死後も大久保利男(としお)らに継がれ、東京大学国語学科の応援で『大言海』5巻となり、1932~1937年(昭和7~12)に刊行した。ほかにも、物集高見(もずめたかみ)編『日本小辞典』、高橋五郎(1856―1935)編『漢英対照いろは辞典』(1886)などがある。新形式の金沢庄三郎(しょうざぶろう)の『辞林』(1907)は朝鮮語を語源に引くなど新機軸も多い。これより遅れて、新村出(しんむらいずる)編『辞苑(じえん)』(1935)が出版された。松井簡治(かんじ)は上田万年(かずとし)に計って『大日本国語辞典』5巻を1915~1919年(大正4~8)に刊行、国語の厳正な科学的解釈を行い、引用文の適正で高く評価される。芳賀矢一(はがやいち)は落合直文(なおぶみ)の『ことばの泉』5巻(1898)を増訂して、『日本大辞典言泉(げんせん)』(1921~1929)6巻に拡大し、固有名詞も倍加した(27万語)。平凡社編『大辞典』26巻は1934~1936年に60万語を集成して百科事典的要素を加えた。さらに小学館は『日本国語大辞典』20巻を1972~1976年(昭和47~51)に完成、62万語を収録、百科事典的要素も加え、200万の引用句と用例をあげている。『辞林』は『広辞林』(1925)に増訂され、『辞海』に拡大され、現代語を主として『明解国語辞典』に展開された。『辞苑』も中型辞典で百科的要素をもつが『広辞苑』(1955)に発展していった。古語には三省堂の『時代別国語大辞典 上代編』(1967)、松岡静雄(1878―1936)編『日本古語大辞典』(1929)、丸山林平(1891―1974)編『上代語辞典』(1967)、また長島豊太郎(とよたろう)編『古字書綜合(そうごう)索引』(1958~1959)は『新撰字鏡』ほか8点の古辞典の親字索引である。ほかにも、東条操(みさお)編『全国方言辞典』(1951)、荒川惣兵衛(そうべえ)(1898―1995)編『外来語辞典』(1941、1977増訂)、楳垣実(うめがきみのる)(1901―1976)編『隠語辞典』、『朝日現代語辞典』(1972・朝日新聞社編)など種々の辞典がある。
[彌吉光長]

漢語辞典
漢語の辞典は江戸時代には中国の『康煕字典』『玉篇』が用いられたが、明治時代に漢和辞典となって発展した。1868年(明治1)の荻田嘯(おぎたしょう)編『新会字解』、1885年の猪野中行(いのちゅうこう)編『明治字典』はまだ『康煕字典』の親字に熟語を加えたにすぎないが、1903年(明治36)に重野安繹(しげのやすつぐ)・三島毅(こわし)(中洲)(1830―1919)・服部宇之吉(はっとりうのきち)監修、三省堂編『漢和大字典』は『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』系で、漢和辞典の形式を創出した。浜野知三郎(ともさぶろう)(1869―1941)編『新訳漢和大字典』(1912)は、初めて熟語を初字で配列し、尾韻配列を改め、語釈を平易にしたが、これに次いで、特色のある漢和辞典が相次いで出版された。すなわち、服部宇之吉・小柳司気太(おやなぎしげた)(1870―1940)編『詳解漢和大字典』(1916)、上田万年・栄田猛猪(さかえだたけい)(1879―1962)編『大字典』(1917)、簡野道明(かんのみちあき)編『字源』(1923)、小柳司気太編『新修漢和大字典』(1932)などである。このうち『大字典』は説文に語釈を求め、検索に大改変を行った。諸橋轍次(もろはしてつじ)編『大漢和辞典』全13巻(12巻・索引1巻)は1927~1960年にかけて完成した(1943年に第1巻刊行後、空襲による焼失で中断し、1955~1960年に全13巻を刊行)。親字5万で『康煕字典』をしのぎ、熟語52万、故事各句の引用約200万、多年の苦心の結果である。
[彌吉光長]

西欧系日本語辞典
耶蘇(ヤソ)会(イエズス会)士をはじめ西欧人の日本語研究は、言語学の立場から重視されている。耶蘇会士の辞典は布教の必要のために編せられ、まず1595年(文禄4)天草のコレジオで耶蘇会版『羅葡日(らほにち)辞書』Dictionaricum Latino-Lusitanicum, ac Iaponicumが刊行された。これは、カレピノAmbrosio Calepino(1440ころ―1510)の『ラテン・イタリア対訳辞典』にポルトガル語と日本語をはめ込んだものであった。この辞典は1630年マニラでドミニコ会編『日西(にっせい)辞書』に、1632年ローマでコリャド編『羅西日対訳辞書』に改められている。耶蘇会は1598年(慶長3)『落葉集』を行書漢字・平仮名活字で刊行。810ページで漢語・和語に分け、『小玉編』を付した。1603年(慶長8)には、『日葡(にっぽ)辞書』Vocabulario lingua de Iapam com adeclara〓a em Portuguesが完成、翌1604年補遺版が刊行されたが、これは『下学集』『節用集』などからのほか、当時の通用語を集めた画期的著述である。これらの事業の中心人物はロドリゲスであった。残念ながら現存しているのは世界中で1、2部にすぎない。また、パジェスはローマ版から『日仏辞典』(1862~1868)を編し、ヘボンも有名な『和英語林集成』を完成、1867年(慶応3)上海(シャンハイ)の長老派布教会印刷所American Presbiterian Mission Pressで印刷、横浜で発行した(1872再版/1886 3版・丸善)。
 オランダ系では『ハルマ和解(わげ)』がみごとに結実した。すなわち、稲村三伯(さんぱく)は1796年(寛政8)にハルマFran〓ois Halma(1653―1722)編『蘭仏辞典』Woordenboeck der Nederduitsche en Fransche Taalen(1708)に拠(よ)って元オランダ通詞(つうじ)の石井庄助(恒右衛門)(1743―?)、宇田川玄随らと苦心して日本語に訳し、『ハルマ和解』13巻を30部印刷した。これが『江戸ハルマ』といわれるものである。1798年には森島中良(なから)(万象亭)は『類聚紅毛(こうもう)語訳』をつくり、日本語を20種に分かち蘭語を片仮名書きで印刷したが、1848年(嘉永1)に『改正増補蛮語箋(ばんごせん)』と改名して出版した。長崎ではドゥーフが吉雄権之助(よしおごんのすけ)(1785―1831)ら通詞と前述のハルマの辞典を翻訳して、『道訳法爾馬(ドゥーフ・ハルマ)』8巻を1816年(文化13)幕府に献上し、さらに訂正に努力するよう内命を受け、通詞11人が加わった。これを『長崎ハルマ』という。これにウェイランドPetrus Weiland(1754―1841)の辞典を参照して、桂川甫周(ほしゅう)が『和蘭字彙(オランダじい)』12巻をつくり、1855~1858年(安政2~5)に出版した。
[彌吉光長]

英語辞典
英語辞典は初期はオランダ系、のちにはアメリカ系となっている。通詞本木庄左衛門(もときしょうざえもん)(1767―1822)は幕命でブロンホフJan C. Blomhoff(1779―1853)の援助を受け、『暗厄利亜(アンゲリア)国語和解』を編し、1814年(文化11)に増訂して『暗厄利亜語林大成』と改題した。村上英俊(ひでとし)は1854年(嘉永7)『三語便覧』を刊行し、英語・フランス語・オランダ語3語に日本語を対照させ、同年さらにラテン語を加えて『五方通語(ごほうつうご)』3巻に増訂した。1862年(文久2)、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で堀達之助(1823―1894)らは『英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書』を同調所版とし、1867年(慶応3)に再版を行ったが、この原本はピカールH. Picard(1810―1858?)編『新英蘭・蘭英袖珍辞典』1857年版であった。次にイギリス系は、バタビアで宣教師メドハーストWalter Henry Medhurst(1796―1857)が『英日・日英辞典』An English and Japanese and Japanese and English Vocabularyを1830年(天保1)に発行したのが最初である。彼は日本にきたこともなく、ただ文献で研究したのであった。メドハーストの辞典は1857年に『英語箋』として前編3巻が井上修理(しゅり)校正で、また1863年に後編4巻が室岡東洋ら校正で翻刻された。アメリカ系では、柴田昌吉(しょうきち)(1841―1901)と子安峻(こやすたかし)(1836―1898)共訳『英和字彙』を1873年(明治6)日就社版で出版し、挿画入りで有名になった。原本はオージルビーJohn Ogilvie(1797―1867)編『総合英語辞典』Comprehensive English Dictionary(1863)であった。次にイーストレーキF. Warrington Eastlake(1858―1905)と棚橋一郎共訳『ウエブスター氏 新刊大辞書 和訳字彙』を1888年三省堂から出版、さらに和田垣謙三(わだがきけんぞう)(1860―1919)編『新英和辞典』(1901)、神田乃武(ないぶ)他編『新訳英和辞典』(1902)、斎藤秀三郎編『熟語本位英和中辞典』(1925)、岡倉由三郎(よしさぶろう)編『新英和大辞典』(1927。研究社は1980年に23万語の大辞典とした)と続いた。
[彌吉光長]

ドイツ語辞典
ドイツ語は、1871年(明治4)の中村雄吉訳『普語(ふご)箋』に始まり、木村謹治・相良守峯(さがらもりお)編『独和辞典』(1940)から、相良守峯編『大独和辞典』(1958年版14万語)となった。また、もっとも新しいものとして国松孝二(1906―2006)他編『独和大辞典』(1985年版15万語)がある。
[彌吉光長]

フランス語辞典
フランス語は、1871年(明治4)ニュジャンThomas Nugent(?―1772)編・好樹堂(こうじゅどう)(岡田好樹、1848―1926)訳『官許・仏和辞典』(上海美華書院)に始まった。野村泰亨(やすゆき)(1852―1935)訳『仏和字彙』4巻は、1886~1889年にリトレの簡約版を訳したもの。白水社版『模範仏和大辞典』(1931)は『小図解ラルース』を拡大したものであった。また鈴木信太郎・朝倉季雄(すえお)(1909―2001)他編『スタンダード仏和辞典』は約10年の苦心の結果、1957年(昭和32)に出版された(7万語弱)。そのほか、伊吹武彦他編『仏和大辞典』(1981年版8万語弱)がある。
[彌吉光長]



日本大百科全書(ニッポニカ)
字彙
じい
中国の字書。明(みん)の梅膺祚(ばいようそ)の撰(せん)。1615年(万暦43)刊行。3万3000余の漢字を214の部首に分け、部首の配列および部首内部の漢字配列はいずれも筆画の多少により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索しやすく便利な字書として広く用いられた。部首内の漢字を筆画順に並べることは金(きん)の韓道昭(かんどうしょう)『五音篇(へん)海』(1208刊)に始まるが、本書は筆画順の原則を部首にも適用し、かつ部首の数を『説文解字(せつもんかいじ)』の540、『五音篇海』の444から大幅に整理した。214部による筆画順の漢字配列法は、清(しん)朝の『康煕(こうき)字典』、中華民国の『辞海』、日本の各種漢和字典にも受け継がれ、字書史上に大きな意味をもつ。
[平山久雄]


じ‐い[:ヰ] 【辞彙】
解説・用例
〔名〕
ことばを分類して集めた書物。それぞれのことばに相当する他国語をあげただけのもの、それぞれのことばの所在を示した索引と同様のもの、辞書と同様にそれぞれのことばに解説をつけたものなど種々のものがある。字彙。
ジャンル:
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