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日本語教育史再掲 

2016-10-18 23:03:07 | 日本語教育史
201408-日本語教育史 再掲

歴史となると記録である。歴史記述として歴史書がある。それは歴史物語としてもある。語られる歴史として記録し記述される歴史書と、人々の記憶にある歴史を語ることと、そのいずれが歴史であるか。日本語教育の歴史に、その記録を求めるとすると、その歴史研究としてのことがらがある。また歴史には時代をわけて時間的な経緯に述べていくものと、出来事の起こりを視点としてそのものごとの伸張また消長を述べる立場がある。

日本語教育の歴史を見ると、時代的な画期をもとにその流れをたどることができる。視点にはいくつかのとらえ方があるだろうが、日本語を外国語教育としたのは、やはり、留学生に行った教育の歴史である。わたしには1980年代の留学生について変化があったことをとらえている。その前に日本語教育の歴史にとらえられるのは、なにかを述べてみたい。

言語教育として母語のほかに言語を学ばなければならないとしたら、それは民族の衝突要因にある。領土争い、侵略による征服が言語に影響する。勢力の強い民族には文明語としての征服者の言語があって、常に征服される側の周辺の民族は蛮語を用いているとされるのである。野蛮という語はその言語を理解できない者たちという意味であるから、つねに言語対立は起こっていたのである。その時代を経て国としての言語を中心にすれば、外国語という考えができるようになる。

そのような視点に立てば、日本語教育の歴史にも画期のできごとがある。それを並べてみると、民族移入の時代、遣唐使の時代、漂流民の時代、交易の時代、布教の時代、そして留学生の時代である。外国語教育は文明の伝播にあって、その文化文明を取り入れる働きをしていた一方で、たとえば軍隊の遠征による、また、冒険者たちによる技術思想の伝達があったりもした。日本語教育は、もともと、中国を受け入れ、ヨーロッパの文明を受け入れて、中国語を学び、英語を学びしてきたので、日本語を教えると言うことは、近代になって留学生を受け入れるところから始まったのである。

日本語教育の歴史は留学生教育にあるとその視点を据えて述べようとする。すると、このとらえ方にはすぐに日本語とは何か、留学生とはなにかを明らかにすることが前提となる。これはさかのぼって留学生、留学僧と知る遣隋使、遣唐使派遣のことがらにまで考え及ぼすことになる一方で、日本語はいつから日本語であるかという根本の疑義にいたる。そこでその捉え方について思いを巡らせて、それ以前のことがらに日本語の系譜をたどるようなことになる。わざわざ日本語教育の歴史に民族の移入ということを見ようとしたのはそのゆえんであるが、民族という概念も近代以降に成立したことのようであるから、その民族の概念において言語教育を見るようなことは時代が異なることになるから、民俗の移入とでもすべきことを思い合せようとする。

日本語教育が成人に対して第2言語習得のために行われるとすれば、日本語母語話者ではない人々への外国語としての日本語教育となる。この外国語としての日本語は日本語母語話者が内省的にとらえる国語と異なって、すでに持つ第1の言語教育に対してそれ以外の言語教育を行うことを表わしているので、日本語の外から見た言語である。この日本語教育の見方は時代とともに展開してきた現代の日本語学学習の情況の一つとして認められることである。この日本語教育の観点から留学生の日本語教育を捉えようとすれば留学生が学ぶ外国語教育のことになる。日本語を外国語としてとらえて学習する留学生の立場を、外国語を学ぶ日本の留学生にも置き換えてみようとする。

日本語教育史と日本史

歴史の時代区分は都、幕府、行政府の所在地にその名称が表わされている。あるいはそこに行政の長が権力者として名前を重ねる。日本史は、都に平城京平安京をおいたところから、鎌倉幕府室町幕府と移り、徳川幕府が続いた。その後に東京遷都が時代を継続して明治、大正、昭和となり再び都と行政府が同じ場所において政治が敷かれた。昭和の後半から平成の時代へ現代になって国家体制が新たになった。

時代名称を奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして明治時代以降としてたのは政治が執り行われたところからであるが、支配者は豪族貴族の統一朝廷、武家による封建制、そして立憲君主制を経て民主国家となってきた。その始まりを平城宮以前にどの時点に置くかは議論があるが、7世紀から凡そ200年、400年、400年、そして250年、近代は100年と70年になろうとする年数である

歴史の時代は画期に、できごと、政治社会、為政者など、歴史事件によって記録される。そこには時代を特徴づける風潮、イデオロギー、人々の生活によってもとらえられることがあるし、経済、技術、地域交流などにも表わされることがある。人類にとって戦争という、近年の世界大戦に見る時代の特徴もある。このような視点から歴史を見るならば、日本語教育には何があるだろうか。

これまでの研究では、関(1997)による日本語教育時代区分があり、次のようである。
(1) 外国人主体の日本語学習・日本語教育の時代(19世紀末以前)
(2) 「侵略的」日本語普及教育の時代(19世紀末~1945年)
(3) 国際交流のための日本語教育の時代(戦後~現代)<関正昭(1997)『日本語教育史研究序説』>

日本語教育と日本語研究は大きく影響する。日本語教育は外国語としての日本語という見方を与える。するとその日本語は国語を内省でとらえていた場合と異なって、個別言語としての日本語をほかの言語と合わせてみることになる。日本語研究は対照研究としても行われるので、その研究手法には日本語教育での語学研究などと影響する。

日本語教育史を知ることはその日本語研究の具体的な成果を知ることにつながる。視点をもって見るなら、日本語の歴史は、20世紀半ばまで行われた漢文訓読語法と20世紀後半からの英語教育に、日本語教育の歴史は、日本語を教えはじめた、留学生教育にはじまって、第2次大戦とアジア地域に、日本語史と日本語教育史は、朝貢の隋、唐へ使節派遣から留学生10万人受け入れ政策までという区分ができる。


台湾
台湾の日本語教育は国語教育であったとする見方がある。台湾島の歴史から見ると、ウイキペディアの歴史区分による、日本統治時代のことになる。もちろん台湾国民政府の時代から民主化後にいたる、日本語教育の時代がある。

1.1 先史時代 (1624年以前)
1.2 オランダ植民統治時代(1624年 - 1662年)
1.3 鄭氏政権時代(1662年 - 1683年)
1.4 清朝統治時代(1683年 - 1895年)
1.5 日本統治時代(1895年 - 1945年)
1.6 第二次世界大戦後(1945年 - 現在)
1.6.1 南京国民政府(1945年 - 1949年)
1.6.2 台湾国民政府(1949年 - 1996年)
1.6.3 民主化後(1996年 - 現在)


国際交流基金による地域別情報によれば、次のようである。

http://www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/country/2013/taiwan.html#RYAKUSHI


台湾における日本語教育は、おおよそ次の5段階に分けられる。


(1)1895年~1945年(日本統治時代)
日清戦争後に日本が台湾の領有権を得てから第二次世界大戦終結まで、半世紀にわたった日本統治時代には、日本の教育制度が持ち込まれ、初等教育を中心に国語としての日本語教育が行われた。初等教育の就学率は、日本統治時代終了直前には70%超にまで達したという。
(2)1946年~1971年(第二次世界大戦後)
戦後の台湾では国語(中国語)教育が進められ、日本映画の上映や新聞・雑誌・公共放送など公式な場での日本語の使用は禁止された。しかし、日台間の人的・経済的交流が盛んであったことから、日本語教育の需要は高く、主に語学学校で日本語が教えられていた。1960年代からはそれまで教材として利用されていた日本の小学校教科書や戦前に中国大陸で作られた教材に代わり、台湾製の日本語教材が増加した。1963年、私立の中国文化学院(現在の中国文化大学)に日本語学科が設立され、戦後初めて高等教育機関における日本語教育が開始。その後、中国文化学院に続いて、淡江大学、輔仁大学、東呉大学が加わり、計4校の私立大学に日本語学科が設置された。中国文化学院には修士課程も設置された。
(3)1972年~1986年(日台断交後)
日中国交回復に伴う日台断交後、日本語学科の増設は一切許可されなくなった。しかし、一方で日台間の経済的・文化的交流は拡大を続け、日本からの観光客の増加もあったことから、日本語教育の需要は高かった。
 1980年、国立の高等教育機関として初めて台中商業専科学校(現在の台中科技大学)に日本語学科が設置された。同時期に、既に日本語学科を有していた東呉大学、淡江大学に修士課程が設置され、教育部(文部科学省に相当)所属の教育ラジオで日本語講座が始まり、さらに官庁でも日本語人材養成クラスが設けられた。
(4)1987年以降~1990年代前半(戒厳令解除後)
1987年の戒厳令解除、1988年の李登輝総統就任以降、政治状況が一変すると、一元的言語政策による国語(中国語)教育の徹底から転じて、母語(「郷土語言」という。台湾語、客家語、原住民族語がある)教育が始まり、また国際化へ向けて外国語教育が推進された。外国語教育の推進は、最も人気の高い日本語の普及につながることとなる。1989年に国立政治大学、1994年に国立台湾大学に日本語学科が設置されると、日本語学科開設の波は台湾全土に広がった。また、1989年に台湾日本語文学会(日本語・日本文学関連の学会)、1993年に台湾日語教育学会(日本語教育関連の学会)が設立された。
(5)1990年代後半以降
1996年から高等学校(「高級中学」という)での第二外国語教育が試験的に実施され始めた。
 教育部による「推動高級中学選修第二外語課程実験計画」の試行(1996年)、及び「推動高級中学第二外語教育五年計画」の施行(1999年7月~2004年12月)により、日本語教育の実施校および学習者数は飛躍的に増えた。教師の待遇や大学における外国語教育との連携などの反省点を踏まえた「推動高級中学第二外語教育第二期五年計画」(2005年1月~2009年12月)では、「高級中学学生預修大学第二外語課程専班」(APクラス=Advanced Placement class)を開始。これは選抜試験に合格した高校生を対象に、大学教員が週末に教える特別授業であり、履修した授業の単位は大学の単位として認められるなどの特典がある。続いて「推動高級中学第二外語教育第三期五年計画」(2010年1月~2014年12月)が施行されている。
当初は日本語、ドイツ語、フランス語、スペイン語の4言語からの選択となっており、うち日本語学習希望者は全体の7割以上を占めた。2004年から韓国語、2005年からロシア語、ラテン語、2010年からベトナム語、インドネシア語、2011年からイタリア語が加わって言語選択の幅が拡がり、高等学校における日本語学習者数は一貫して増加しているものの、第二外国語学習者全体における日本語の割合は58%と、近年、減少しつつある(2013年第1学期(8月~翌年1月)、教育部)。
また、2000年代に入ってからは、わずかではあるが小学校や中学校においても日本語をカリキュラムに取り入れた機関も登場している。


>日本語教育略史
1895年 日本統治の開始。初等教育を中心に国語としての日本語教育を実施(~1945年)
1963年 私立中国文化学院(現:中国文化大学)に、高等教育機関として戦後初の日本語学科(当時の名称:東方語文学系日文組)設置、68年に修士課程設置
1980年 台湾省立台中商業専科学校(現:国立台中科技大学)応用外語科に国立の高等教育機関として初の日本語学科(当時の名称:応用外語系日文組)設置
私立東呉大学に修士課程開設
1981年 教育部所属の教育ラジオにて日本語講座開設
1983年 私立淡江大学に修士課程設置
1989年 国立政治大学に国立大学初の日本語学科設置
台湾日本語文学会設立
1991年 日本語能力試験の実施開始
私立東呉大学に博士課程設置
1993年 台湾日語教育学会設立
1994年 国立台湾大学に日本語学科設置
1999年 「推動高級中学第二外語教育五年計画」開始
2000年 台湾日本語言文芸研究学会設立
2002年 台湾応用日語学会設立
2005年 「推動高級中学第二外語教育第二期五年計画」開始
2010年 「推動高級中学第二外語教育第三期五年計画」開始



小川尚義と台湾の日本語教育
東呉大学客員教授
蔡 茂豐
1、初めに
小川尚義が1907 年に『日台大辞典』を出した。212 ページに及ぶ緒論で、
「第一章台湾ニ於ケル言語」から始まり、「第三章 台湾ニ於ケル支那語」
で客人語(客家語)、南部福建語に言及し、漳州語と泉州語及びこれに類似せ
る方言を入れて、福建語音韻史・読書音と俗音の比較などを現代言語学研究の手法で論じた。
本学会主催者側では本著を台湾の漢語言語学研究における学術論文の草分
けだとみなし、そして氏を「臺灣言語學的奠基者」と称することに決め、本著
出版百周年を記念して国際シンポジュームを開催するに至った。
それはそれでよいが、筆者にとって、氏は日本領台時代の日本語教育、とり
わけ草創期に大きな貢献があった言語学者と見たい。言い換えれば、1907 年
『日台大辞典』が出版される前まで、氏は台湾の日本語教育に心身を傾けてい
たのであった。つまり、日本語を如何に異民族に教えればよいかと苦心してい
たのである。そこで氏の渡台した1896 年から1907 年まで氏の台湾における足
取をまとめてみることにした。
筆者は日本領台時代の日本語教育を次のように分けて研究してきた。
一、摸索時代(1895~1919)
二、確立時代(1919~1921)
三、内台人共学時代(1921~1943)
四、義務教育時代(1943~1945)1
これから見れば分かるように、氏はまさに摸索時代、伊沢修二とともに台湾
の日本語教育の基礎を築き上げた人なのである。具体的言えば、伊沢は日本語
教育の政策を決めた人で、氏は日本語教育の方法をアレンジした人だと言える。
ジャンル:
文化
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