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モーター屋のおやじ 追悼

2016-11-02 22:34:50 | 日記
永く世話になった方が亡くなった。思い起こせば、アコードハッチバック、シビックセダン、トルネオ、インテグラSJ、ストリーム、アコードハイブリッドと、乗り継いできたのは、その付き合いだが、始まりは何であったか。ホンダ車には営業のS600、N360、TN360、そして、ゼットがお気に入りで乗り始めた。店に通って、車種を乗り継ぎで買い求め、車の手入れ点検だけは欠かさずにおこなって、いつも車の談義をしていたことだった。そうすると、店には38年のことになるし、話し相手をしてくれたものだ。そのおやっさんには、セールスのころの果たせない思いを、ユーザーになって、あれこれと返し物をしたようなことになる。昨暮れの点検で会ったときに、ふっと、これで会うのは終わりになるかと予感をして、年明け早々にすっと言ってしまったようで、それからしばらく、ハイブリッドの車には点検いらずで過ごしてきたのが不覚であった。残念なことであるけれど、しあわせなことであったかと、自分を慰めるしかない。

N600は輸出用のタイプで、国内ではN360、軽自動車のベストセラーだった。業販で販売店に卸して、テリトリー30店舗ぐらいをもって、自転車屋さん、バイク屋さんに、鵜匠よろしく、N360、TNシリーズをセールスをしていたことがある。大学に入る前の青春のひとこま、給与がいまの初任給の10分の一そこそこ、という時代である、高卒にはありがたいことであったのは、ほかよりよかったからだ。それでホンダ営研は新会社で鍛えてくれたが、研修で鈴鹿サーキットを走り、工場でエンジンの部品を削って、ミーティングではブレーンストーミングにKJ法をした。簿記の見方まで覚えて、車のコスとを叩くなどなど、それで、店のおやじたちへの思いも、やればやるほどに、学歴社会に勝てず、営業所でガチンコをして、7か月ばかりでやめた。

それから受験勉強をして、大学に入る算段をして、本を読む生活に入ったのであるが、いまを去る42年前の、生意気盛りの疾風怒濤に、味わった人生経験である。そのころのモーターやのおやじを忘れることができずに、なぜかというと、二輪屋が四輪車を作って店先に置けと言わんばかりに、セールスの口先は会社の信用にかかる、いつまた、都合よく扱われるかをおやじたちは知っていて、セールスのひよっこを、そう簡単には信じてくれないというようなことがあったからである。

商売は信用第一と仕込まれていたから、大阪の池田の街を走り回り、宝塚の山の上まで上がって下取り車の査定をしに行ったことがあるものの、なかなか信用は得られない、10万位にもならないポンコツ車を15万で取れといわれてへこんだことがあり、うまく付き合ってさえいれば、電話で売れる情報をくれたりして、この業販は続くかなと悩んだものだった。

ホンダは空冷エンジンで、オートバイの駆動であったチェーンを回してカシャカシャと高速道を100キロで走って飛ばす車が売れて、メーカーとしての第一歩だった。ほどなく空冷エンジンの1300ccの乗用車を1969年に開発してホンダは本格的な車づくりを目指すが、そのころに軽自動車を売り歩いていたので、わずかな期間であったが、VWのカブトムシはいざ知らず、ホンダ1300の空冷エンジンは続かないと思っていたから、やはり、水冷に切り替えてしまって、1972年にCVCCエンジンを搭載するシビックで車作りは軌道に乗る、その時は、もう、大学3に入って3年生だったが、相変わらずのホンダ車ファンでいた。その後に、初めての車はホンダのゼットを手に入れて、豊橋で大学通勤をしたものである。
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