A Challenge To Fate

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【Disc Review】川島誠『Dialogue』〜存在の耐え切れない重み、そして喪われた者が眠る大地との対話。

2017年08月04日 01時23分03秒 | ネコ動画


Mokoto KAWASHIMA (Alto Sax)
Homosacer Records (HMSD-00)2017
Recorded YAMANEKOKEN OGOSE
Cover is Makoto KAWASHIMA

Special thanks
Toshiko Matsuzaka
Susumu Matsuzaka
Hideo Ikeezumi

The Unbearable Heaviness of Being and The Dialogue with the Earth where a Lost Being Sleeps.
存在の耐え切れない重み、そして喪われた者が眠る大地との対話。


まったくもって重い音である。しかしメタルの重さではない。土嚢や米俵の重さである。ずっしり詰まった密度の濃い、しかしながら空気の入る隙間は残され、窒息することはない。サックスを吹く身体の周りの空気の濃度が増して、アルトのベルから絞り出される振動が、鈍感な身体には感じられない気の流れを起こす。不規則なビブラートで濡れた旋律が重い空気中を突き抜ける時の摩擦で虚ろな空間に陰影が生まれ、目に見えない渦巻き模様を描く。まるで川島が描いた『Dialogue』のCDジャケットの水墨画のように、手を延ばせば触れることが出来るような気がする。しかし圧倒的な存在の重さの中で身動きできず、唯素肌を舐めるように通り過ぎる音の波の感触を慈しむばかり。


Photo by Takeo Udagawa

川島誠のライヴ演奏は二度観たことがある。昨年12月半ばのキッドアイラックホールでのソロ公演(近藤秀秋とのデュオもあった)は、その半月後に閉館するこのホールへの惜別の意を込めた捧げものだった。半年後の今年6月25日六本木SuperDeluxeでのTokyo Flashback P.S.F.発売記念ライヴは故・生悦住英夫への追悼の儀式だった(他のどの出演者よりも霊的な追悼演奏だった)。二度とも離別と喪失をテーマとしたステージだったこともあり、川島に対して「哀しみ/涙/祈り」といったイメージが生まれてしまったのは偶々なのか必然か。


川島誠 アルトサックス ソロ+近藤秀秋(ゲスト)@明大前キッドアイラックホール 2016.12.13 (tue)
Tokyo Flashback P.S.F. 発売記念 ~Psychedelic Speed Freaks~生悦住英夫氏追悼ライブ@六本木SuperDeluxe 2017.6.25 sun

演奏の場で川島はサックスを抱え込むように俯き加減に構え、心許ない足取りで歩き回り、時に大きく振りかぶり身体を揺らす。終いに床に屈み込んで地面に向けてブロウする様子は、まるで自分の音の重みに耐え切れず、地獄の底へ嘔吐するかのように見える。しかし流れ出る音は汚物とは真逆に、米粒のように艶のある滑らかな美音のせせらぎだった。自分の身体の中で思念を浄化し、不純物の雑じらない純水として大地に還しているのかもしれない。その姿を観て筆者は舞踊家・田中泯の「場踊り」を思い浮かべた。自らを「地を這う前衛」と表する田中が「場で踊るのではなく場を踊る」意識は、恰も土に還るための儀式のように見える。川島も無意識のうちに大地に戻ることを志しているのではなかろうか。そう考えると、筆者が川島のアルトの音に感じる「重さ」とは、地の底の精霊が川島を誘う呼び声の引力なのだろう。



聡明なる読者諸氏には最早説明する必要はあるまいが、筆者の所見では川島が対話(Dialogue)する相手は、数え切れない亡者や死霊が葬られる「大地」に他ならない。

ダイアログ
語る相手は
土塊者

Makoto Kawashima solo @ Downtown Music Gallery 1-29-17
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