A Challenge To Fate

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【特集:フォー・アルト#2】橋本孝之 Takayuki Hashimoto / Alto Saxophone Solo『ASIA(亜細亜)』

2017年05月23日 02時46分37秒 | 素晴らしき変態音楽


『橋本孝之 / Takayuki Hashimoto/ASIA /エイジア - ALTO SAXOPHONE SOLO』

2017.5.24 Release
CD Nomart Editions NOMART-113
Price:¥2,000+tax

1. ASIA 26: 42

Recorded live at ART SPACE BAR BUENA, Shinjuku, Tokyo on Oct 14th 2016
Art direction & Produce: 林聡 Satoshi Hayashi
Art work: 韮澤アスカ Asuka Nirasawa “incarnation 1 (Cover)”, “cell 1 (Back cover)”
Liner notes & Comment: 剛田武 Takeshi Goda
Design: 笹岡克彦 Katsuhiko Sasaoka
Management: sara (.es)
in memory of 生悦住英夫 Hideo Ikeezumi

注:このレビューは『ASIA』ライナーノーツの続編です。5/24発売のCD『橋本孝之/ASIA』をご購入いただき、付属ライナーノーツを熟読した上でお読みいただくと3倍お楽しみいただけます。

アルトサックスは射精する。

音楽がセックスだとすると、犯すのは演者、犯されるのは聴き手かというと、性愛の世界はそう単純には出来ていない。「愛し合ってるかい?」と連呼するロックシンガーは観客同士の乱交を誘導した罪に問われ、「セックスはお好きですか?」という問いかけにティーンエイジャーの女子たちが嬉しそうに「大好きでーす!」と応えるコール&レスポンスは、未成年者姦淫容疑で拘束されて然るべきなのだろうか。否、いずれも衆人環視の中で行われる疑似性愛であり、参加者は嘘だと理解した上で騙された振りをする茶番劇にすぎない。疑似セックスに興じるロックファン及びアーバンギャル&ギャルソンは無害安全印のテーマパークで遊ぶ家族連れと変わりはない。

しかし演者が一人きりで音楽を奏でる行為に耽溺する、即ちソロ演奏、更に言えば棒状の突起物の端を銜えて、唇と舌で舐め回しながら息を吹き込みリードと呼ばれる極薄の木片を微細に振動させることにより得も言えぬ金切り声を鳴らすサクソフォン、その中でも特に老若男女を問わず両腕で抱きかかえて丁度いいサイズのボディを握り、十指を愛撫するように細かく蠕動させ喘ぎ声の高低を思いのママに操ることが出来るアルトサックスを、勃ったひとりで奏でる陶酔の表情は、所謂オナニスム、若しくはマスターベイション、日本語で自慰・手淫・マスと呼ばれる行為に限りなく近いと云えはしまいか。

而してそれは18世紀スイスの医師サミュエル・オーギュスト・ティソが著書『オナニスム』(L'Onanisme, 1760年)にて論じたように、掻き手に悪影響を齎すのであろうか。ティソのオナニー有害論では行為の結果の放出物が体内から大量に失われると体力、記憶力が低下するという。ところが実際はその真逆で、アルトサックスのベルから空気中に放射される振動は演者の悩みや苦しみを同時に体外へ吐き出す効果があり、精力を回復し記憶中枢を刺激することは、経験者であれば誰もが同意するところに違いない。

では古よりカトリック教会で守られてきた戒めを1986年に宗教学者ジョン・ハードンが編集した『カトリック小事典』に記されたように、「生殖機能のひどい乱用であって、完全に同意して意識的に行う場合は大罪」であり「自然の行為、神から定められた目的を達成させるのを妨げる」神の掟に反する不道徳的行為なのであろうか?(Masturbationの語源はラテン語manu「手によって」+stupare「自分自身を汚す」)。つまりソロ演奏の陶酔の果てに抄出される粘着質の音の精(エキス)が、本来の目的の雌蕊と受粉することなく、無駄にシーツや地べたに打ち蒔かれて大気の露と消えてしまうことに対する罪悪感と紙一重であると言いたいのであろう。

では、アルトサックス・ソロ演奏はどうすれば神に赦されるのか。それには射精された音が無駄に塵とならないように、誰か相手を見つけて交尾・交配・受精・懐胎すれば問題ない。神が望む通りの射精の目的を達する(同時に絶頂に達する)ことが出来るのである。そう考えると2017年1月28日(土)大久保ひかりのうまで、橋本孝之がカッと目を見開いてアルトサックス・ソロ演奏を行ったことを思い出す。鷹のように鋭い眼光は、理想の受精相手(サックスパートナー)を品定めしていたに違いない。アルトサックス奏者の本能は、知らず知らずのうちに神の摂理の実践者となっていたのである。
陰猟腐厭/蔦木俊二+吉本裕美子/橋本孝之@大久保ひかりのうま 2017.1.28 (sat)

『ASIA』と題された2作目のアルトサクソフォン・ソロ・アルバムに於いて、金色のベルから流れ出すサウンド(トーン)は精液宛らに粘度が高く、空気中に散逸することなく音響彫刻のようにベルの先に固体化する。あたかも草間彌生の立体作品を覆う男根状の突起そっくりに、前作『COLOURFUL(カラフル)』の名残でイロトリドリの角細工(女子独悦の秘具)が乱立して勃起する様は、南アフリカに移住した女流画伯・韮澤アスカがジャケットアートに描き出した通りの淫らな幻覚を夢想させる。

このアルバムを聴いて、今夜淫夢に魘(うな)されて38年ぶりに夢精したとしたら、それこそ懐胎的交感の証であり、人生最後の至福体験に違いない。

アジアの血
大草原で
大沸騰

【参考文言】
ヒトを含めた動物では、恐怖体験の記憶として恐怖記憶が形成(固定化)される。この恐怖記憶の実体は、恐怖を感じさせたこと(例えば、交通事故)を非条件刺激、一方、恐怖体験時の文脈(視覚、聴覚、嗅覚など五感で感じたこと全て)を条件刺激とする恐怖条件づけ記憶である。従って、恐怖体験時の文脈の一部(何れかの条件刺激)に遭遇すると、この条件刺激に反応して、恐怖記憶が想起(思い出)され、恐怖反応が表出される。恐怖条件づけ後に恐怖記憶を保持するためのプロセスが「固定化」である。恐怖記憶は生物が危険を予測することを学ぶ行動現象であり、動物にとっての一種の防御反応であると考えられている。

河合孝治 Chaosmasの実践プロセス(『Free music 1960-80』)
記憶の再現=固定した自我により音を自由に開放できない(ジョン・ケージの即興についての考え)

「書かれた音楽」は作曲家という観察者によって音楽全体の構造が規定され、音と音の関係は固定的且つ同一的に保たれ、入力から ... またプレイヤーは自らがChaosに陥りそうになれば、Cosmosへと導こうとするし、Cosmosによって固定化された状況が長く ...

固定した思考からの脱落は聴く者を「無化」する。そして無は不安をもたらし、死をもイメージすることもあるだろう。

「呪(しゆ)」とは、形のないものを第三者が言葉(ことだま)によって固定化すること。つまり、「名前」には、日に見えないエネルギーが凝縮し、「名前」により、「自分」という根本的な存在が固定化しているのです。『ことだま50音「名前」占い』著者: 水蓮

ゼンマイ/薇/紫萁/銭巻/狗背/撥条
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1 コメント

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こんにちは (たにむらこうせつ)
2017-05-23 16:05:07
アートってたまに分からない物があります。
これもそうですが、
好の問題かなぁ(?_?)
行く見ても(?_?)です。
みんなのブログからきました。
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