hine's 兄さんの「なんでやねん!」

おっさんが夜な夜な集まり「Rock」しています。

東莞へ行く

2014-02-27 | 「雑記」
  
  本日から弾丸出張で中国は東莞へ行きます。

  神戸ベイシャトル、今日も満員になる予感。
  7時15分、海外の方、日本の方、それぞれ半分半分な感じ。
  こんな朝早くから、どこへ帰る(行く)のでしょうか・・・・

  

  はっ、と目が覚めると中国上空。

  

  あと、45分で広州へ到着ですと、アナウンスが聞こえる。
  気温は24度で、晴れだと云っています。
  山しか見えません、建物もありません。
  
  

  広州空港に到着。
  
  

  さて、さて、今回のホテルの部屋は・・・・
  エレベーターを降り、長い廊下を歩いて行くと、

  

  ありました、530号室。

  

  お~~っ! さすがに、5つ星、なかなかゴ~ジャス。

  

  ん、広い、くつろげそうな雰囲気です。

  

  これ、洗面所。
  中国にしてはそれとなく、良いセンス。

  

  意味はありません、自分が映り込んでいました。

  

  

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おそロシア - 3

2014-02-27 | 学校では教えない歴史など。


  昨日のつづき、「おそロシア」の最終回。
  

  オリガルヒでありユダヤ人でもあったグシンスキー逮捕にロシア財界は震撼します。
  しかしプーチンさんは驚きから立ち直る暇すら与えませんでした。

  7月11日には、「ガスプロム」に対しては、財務関係資料提出を要求。
  「ルクオイル」に対しては、脱税容疑で捜査を開始、インターロスに対しては、
  ノリリスク・ニッケル株取得の際の違法性を指摘します。

  この一連の事件によりグシンスキーやベレゾフスキーは壊滅的な打撃を受けます。
  メディアのバッシングは当然強まりますが、メディアの影響が出る前に倒してしまったのです。

  オリガルヒが支配していたメディアはそっくりそのままプーチン勢力に早変わりします
  もともとオリガルヒは富の独占や汚職だけでなくどうどうと多額の脱税を行っており民衆からの批判は強く、
  また、その批判には正統性があったため、プーチンはメディア戦略で圧倒的優位に立つことになります。
  もちろんオリガルヒはまだ支配しているメディアで抵抗を続けますが、彼は意に介しません。

  (日本でのプーチンの独裁的で強権的で無茶苦茶なことをする、というイメージはこのときに広まったようです)

  時間がかかりすぎるその戦略は、投票で過半数の支持を得るほどのプーチンを倒すにはあまりに効果のない策でした。
  ここまでの描写ではまるでプーチンさんが正義の主人公のように思われるかもしれませんが、
  彼も同じように汚職はするし、なによりも戦争や暗殺すらいとわない彼を、正義といえるのかは微妙。

  すでに49人のジャーナリストがロシアで殺され、3ケタ近い政治関係者やジャーナリストが行方不明になっています。
  有名なのはプーチン批判をしていたら自宅で銃殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ 、
  放射能で暗殺された亡命スパイのアレクサンドル・リトビネンコなどがいます、そしてこれらは現在でも続いています。

  ちなみにこの時、チェルシーのオーナーで有名なアブラモビッチさんはプーチン側につくことにしました。
  プーチンに協力することである程度制限された中でも利益を上げ続け後にロシア最高の大富豪になります。

  彼以外にも多くのオリガルヒがプーチン側に傾き始めていましたが、まだまだオリガルヒは強い影響力を保持しています、
  なによりもこれまで政治を支配する側だったのに、従順になるように求めるプーチンに、反抗する者が数多くいました。
  そんな者たちがまとまり、プーチンを潰そうとする中、彼はまるで何も恐れないかのように行動します。

  エリツィン政権下でオリガルヒともプーチンともつながりをもち、有力な政治家であった、
  ボリス・ネムツォフの仲介のもと オリガルヒを集め、プーチンと話し合いの場を持つことになります。
  反プーチン派のオリガルヒは団結し彼に対し圧力をかけようという思惑を持ちながらその場に赴きます。

  そして、数多のオリガルヒが集まった円卓会議が始まります、各種の財閥がそれぞれの思惑を暗喩するように話しをする、
  まさにドロドロの経済・政治闘争が進められる中、プーチンがオリガルヒ全員に向け宣言します。

  オリガルヒたちの圧力などまるで意に介さぬように駆け引きなどまるで無視、場の空気を自ら作り、支配し、
  プーチンはオリガルヒたちの運命をはっきりと告げたのです。

  そしてここから急激にオリガルヒたちの反抗は減っていきます、彼らは本来の企業の務めである本業に専念するようになり、
  余計な権力獲得に走らなくなっていきました。

  それでもプーチンさんにとって邪魔な勢力は容赦なく叩き潰されました、プーチンさんを批判し野党を支援し、
  かつてのように政治権力を持とうと、増長した石油会社の社長ミハイル・ホドルコフスキーは
  プーチン政権の望まぬ石油合併を強行しようとしたため2003年10月に、脱税などの罪で逮捕・起訴されます。

  ちなみに彼はアメリカの企業との提携を強めようとして潰されました、裁判で禁錮9年がいい渡されましたが、
  それでも批判をやめない彼に対しプーチンは「数十年でも監獄にぶちこんどくべきだ」といっています。

  その後、オリガルヒはプーチンに従順な者たちばかりになりながらも、ロシアの経済成長の恩恵を受け、
  彼の支配の下で莫大な金を得ることができました。
  しかし首輪に繋がれたその状況にオリガルヒが安住するはずがなく、根を張り巡らすように影響力をじわじわ強めます。

  そしてプーチンさんはこの頃にようやく、かつてオリガルヒがやってきたメディア戦略の効果がではじめ、
  批判が噴出するようになり支持率が下がり始めます。
  証拠がないにもかかわらずジャーナリスト殺害などの犯人だと決めつける報道がその典型でした。
  これにはロシアの復活を恐れる諸外国の影響もあったコトでしょう。

  プーチンさんが、かつてのような力が無くなり始め、オリガルヒが力を取り戻し始めた矢先の2007年、
  世界的大事件が起きます、あのサブプライムローンに端を発する世界金融危機です。

  ロシア株式市場が暴落し、オリガルヒたちは巨額の損失を抱えます、
  長者番付にランクインするような十億ドル以上の資産を持つ富豪は激減しました。
  打撃を受けた彼らは政府、つまりプーチンさんに助けを求めます。

  プーチン政権も危機的な状態でしたが、そこでうろたえることなく利用したのです
  政府の資金でどの新興財閥を救済するかを選定。
  選定された財閥は生き残ることが出来る(但し、政府のコントロール下に置かれる)が、
  選定されなければ容赦なく没落していくという状況にし、復活しつつあったオリガルヒの首輪を逆に締め付けます。

  これによりプーチン政権とオリガルヒの政治的な立場は揺るがぬものとなり
  ようやくプーチンは彼らとの戦いに区切りをつけることができたのです。

  その後、ロシアの富豪たちは復活し、世界的な不況にもかかわらず金融危機以前よりその資産を増やしています
  2010年末の段階で10億米ドル(約832億円)の資産を持つ人の数は過去最多の114人となりその後も増えています。
  しかし彼らはかつての「オリガルヒ」と呼ばれ政治に介入し恐れられた存在ではもはやなくなり、
  他の資本主義国家にある財閥と同じ、企業になっています。

  
  さて、いかがでしたか。
  なかなか、共産主義から民主主義への移行は困難を極めます。
  これが、もし、中国だったら、と考えると、「おそロシア」どころで済むワケがない。

  ま、いずれ近い将来、そんな日が必ず来るのですが、日本に生まれてよかったなぁ、と思うことでしょう。
  


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おそロシア ‐ 2

2014-02-26 | 学校では教えない歴史など。


  さて、昨日に続き「おそロシア - 2」


  1998年5月、プーチンさんは、ロシア大統領府第一副長官に就任。
  ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めたが、後にプーチンさん、
  この職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っていたりもする。

  同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。
  この時、ボリス・エリツィン大統領(当時)のマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ検事総長を、
  女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。
  この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになります。

  ここまでならオリガルヒに対抗できるような勢力ではないのですが、ここから一気にプーチンは加速。
  
  プーチンさん、エリツィンによって1999年8月9日に第一副首相に任命されると、
  なんと同日にセルゲイ・ステパーシンが首相を解任されたためそのまま首相代行に任命。
  化け物だらけのロシア政界のライバルを完全に出し抜き、
  エリツィンはこの時明確にプーチンを自身の後継者であると表明することになるのです。

  そんなヤバイのと敵対してるのに、なんでプーチンさん、今も生きていられるん?  と疑問にも思うが・・・

  それからすぐに第二次チェチェン紛争でプーチンは強硬姿勢を貫き、国民に「強いリーダー」のイメージを強烈に、
  そして、一気に広めます。

  当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいましたが、この後の選挙で敗退すると、
  なぜかあっさりと彼は引退、健康上の理由だそうですが、ハッキリしません。

  この時点でプーチンさんは混乱するロシア政界を完全にリードし、他の政治家と一線を画すようになりました。
  今だからいえますが、おそらく「オリガルヒ」はここで判断を間違えたのではないかと推測されます。

  プーチンを「エリツィンと同じように保身のために我々オリガルヒの力を必要とする」
  その程度の人物であると思い、過小評価していたのです。

  まぁ、議員、官僚、軍産複合体、メディア、インフラ、金融を支配していたのですから普通なら慢心ではなく、
  当然の自信だったのかも知れません。

  同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したエリツィンによって、大統領代行に指名され、
  プーチンの大統領としての そしてオリガルヒとの戦いが開戦されます。

  大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという
  大統領令に署名するコト。

  これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの追及をさせず、
  引退後のエリツィンの安全を確保するものでした、そしてこれを見た他国の人間、ロシアの民衆はこう思いました。

  「プーチン自身もこれで保身になるな」

  オリガルヒもまた、そう思いました、 そして恐らくそれは正しいのですが、保身に走った人間とは思えない行動を、
  当時のプーチンがとるとはだれも想像できません、ある意味これは駆け引きのひとつだったと云うコトです。
  既にオリガルヒとの対決を決めており、当然、それとわからないように、着々とその布石を敷いていきます。

  プーチンさんは大統領選挙で過半数の得票を受け、圧倒的な支持率を達成します。
  プーチンは「強いロシア」の再建を目標とし、地方政府が中央政府の法体系と矛盾した法律を乱発するなど、
  いろいろ制御がきかなくなって、ヒエェ~~!していた地方政府の管理を行い、中央集権を強めます。

  具体的には2000年5月、ロシア全土85の地域を7つに分けた連邦管区を設置し、
  各地域の知事を大統領全権代表に監督させ、 中央政府によって地方への支配力を強め効率化を図る、
  というのが目的ですが、この政策は「地方の政治への大統領の影響力の拡大」になっています。

  ここでようやくオリガルヒは「ちょっと怪しいんじゃなにの?」と思い始めます。
  地方での権力濫用と汚職はオリガルヒの支配下なので、この時に各種メディアは一斉に、
  「強引で独断的だ」という意見で牽制し始めます。

  でも、プーチンさん、チェチェンなどの強硬姿勢で民衆にある程度の指示を得ていましたし、
  1998年のロシア金融危機で打撃を受けた経済が回復し成長を続けたタイミングが重なり
  圧倒的な支持率を持っていました。

  プーチンは様々な税制改革を行い経済の活性化に成功しますが、
  同時にその政策により横行していた脱税や汚職を減少させます。
  これによりロシア政府の国庫は潤い、市場でも自由経済が活発化し外資などが入り、
  オリガルヒの独占が崩れ始めてきました。

  そしてある程度ロシア経済の安定成長と政府の安定化に成功したプーチンは、ついにオリガルヒとの明確な対決を開始します。

  まず政治家や官僚にKGBや軍出身のプーチンの息のかかった人物を大量に登用し、
  オリガルヒの政治勢力の減衰と自身の政治基盤の強化を同時に行います。
  当然オリガルヒは反発し、保有するメディアを使いプーチンを批判します、
  「彼は独裁を行い、保身のためにコネ採用ばかりしている」といった具合に。

  オリガルヒの筆頭であるベレゾフスキーは
  「私は知り合いを通じて、公共テレビを民営化する必要があるという考えを広めました」といっています。
  1994年にわずか数億円でロシア公共テレビを手にいれています 。

  エリツィンなどのそれまでのロシアの政治家はこの金とメディア戦略によって屈服していました。
  屈服といってもある程度妥協しオリガルヒを優遇してあげれば自身にもオリガルヒから
  莫大な報酬が払われるのですから政治家たちはむしろ喜んで彼らと協力したのです。

  しかしプーチンさんは違いました、あらかじめ支配していたメディアや、
  民衆の間に浸透させた自身の勢力を使い対抗します。
  その情報戦は彼が政治家として基盤を固めるため、かつてオリガルヒの協力の元で堂々と作っていたものでした。

  そして抑制策をとると同時にプーチンはオリガルヒへの懐柔策も獲ります、
  自身に協力し政治への影響力を減らすのなら、ある程度の権力と財力には手をださないと、云った具合に。
  これはそれまでの政治家たちとオリガルヒの癒着とは明確に違いました、
  パワーバランスが「プーチン個人>>>全オリガルヒ」と云った構図になって行く瞬間です。

  まるで個人のようにオリガルヒを扱っていますが、オリガルヒは新興財閥の総称であり、
  決してまとまった意志を持つ組織ではありません、むしろ自由資本主義の競争の中で生まれた、
  互いに市場で優位に立とうとする「普通の企業」といえるのかも知れません。
  (まぁ、違法なことをやれるので普通ではないかもしれませんが)

  そしてオリガルヒの連携を阻止しながら、プーチンはついにオリガルヒの抹消に動きます。
  2000年6月13日、ロシア検察当局は、ウラジーミル・グシンスキーを詐欺などの容疑で逮捕します。

  グシンスキーはイスラエルとスペインの国籍を持つ有力なオリガルヒです。
  若いころは演劇を志し演劇専門学校をでています、
  後に西側の企業のロシア進出に協力し、銀行を支配する巨大な財閥を作り上げます。

  当然いろいろヤバイいこともしていたので逮捕は妥当なものでしたが、そんなこと他のオリガルヒも、
  他の多数の政治家も、官僚も、企業家も、みんな似たような違法行為をさんざんやってきています。
  悲しいかな、そうしなければ共産主義崩壊の中で生き残れなかったのも事実です。
  かと云って、違法行為を野放しにすることは法治国家として許すことは出来ません。

  そんな、こんなで、突然、プーチンと敵対する彼が逮捕されました。

    

  つづきはまた明日、最終回で・・・



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おそロシア - 1

2014-02-25 | 学校では教えない歴史など。


  ソチオリンピックも終わり、寝不足ぎみだった体調も元に戻ったのではないかと思われますが、
  そのロシア、チョッと昔は "ソビエト社会主義共和国連邦" と名乗っていました。
  
  この通称、「ソ連」ですが、ソ連といえば、なんといっても「ゴルビー」こと、ミハエル・ゴルバチョフ。

  もう、ガチガチの共産党エリートだったのに、心の中では、これではソ連はぜんぜんダメ。
  「改革せねば!」という思いを秘めて、しかし一切表に出さず、
  (そんな思想を持っていることが知れたら、確実に失脚し、下手したら命も危ない境遇)
  フルシチョフの例もあるし、第3時世界大戦の危機から人類を救った一人なのに(キューバ危機)・・・。
  ゴルバチョフは周りを騙し続け共産党書記長になったとたん今までの共産主義に反旗をひるがえし、
  ペレストロイカ、グラスノスチ、1991年の「ソ連8月クーデター」を招来、新連邦条約締結のおり、
  クーデターで失脚したけど確実に彼がいなければ今のロシアはなかった。
  今でも巨大な共産主義国家かもしれない。
  
  1991年12月25日、ソビエト連邦崩壊とともにロシア連邦が成立し、エリツィンが初代大統領に就任。
  また、ソビエト連邦崩壊により世界規模のアメリカの覇権が成立し、当時はこれを歴史の終わりと見る向きもあった。

  ロシアではこの時期、市場経済転換後の長い経済停滞を脱し、急速な景気回復が見られた。
  豊富な地下資源を武器に石油産業を中心とする成長が続く。
  その石油産業への依存の重さや自由化の恩恵に与った者、オリガルヒ、新ロシア人、など、
  ニュー・リッチに代表される者と、そうでない者の貧富の格差の拡大、チェチェン人によるテロのリスクなど、
  不安定要因もいくつかは見られるが、2000年にはGDP成長率が10%を越える一方、インフも抑制され好調が続いた。
  ・・・のだが・・・・。 

  で、ここから本題、おそロシア(プーチン)のお話し。
  ま、プーチンさんは元KGBということもあって、ヤバい過去はひとつやふたつではすまんと思われる・・・・。

  ではまず、オリガルヒのやばさについて説明。

  オリガルヒとは寡頭制「かとうせい」(Oligarchy)を語源とし、
  ロシアが共産主義体制から資本主義体制に移る過程で発生した強力な資金と政治力を持つ新興財閥のコト。
  共産主義時代のエリート層であるノーメンクラトゥーラが、自由主義に移る過程で暗躍し発生した。

  (「寡頭制」全部または大半の政治権力を、特定の少数の人々が握っている政体。
  少数者支配の体制であり、対比語は多頭制(多数支配)である。
  寡頭制は君主制や独裁制のほか共和制や民主制でも存在する。
  なお権力者が2名の場合は二頭政治、3名の場合は三頭政治、4名の場合はテトラルキアともいう)


  財閥といえば日本の場合、三菱や住友、さらに巨大企業である川崎や日立がイメージされますが、
  そういった財閥とは少し性質が異なります。

  共産主義下では莫大な利益の出る事業であっても政府が管理していたので、
  巨大企業や企業経営者で強力な政治力を持つ人物は抑えられていました。
  しかしその体制がゴルバチョフ時代に変わり始めます、経済が停滞したソ連が自由資本主義体制を導入し、
  企業を抑えていた制約を外していったのです。

  日本とかと同じような競争社会になるだけじゃないのか?と思われるかもしれませんが、
  それまで長い間政府に管理されていたソ連経済界はその運営ノウハウを知っている人物が少なかった、
  しかも共産主義による仕事の分化が定着してしまっていました。

  ようするに自分の仕事さえやってれば給料入ってくるし、それ以外の仕事やっても金変わらないから他の仕事への
  知識を持とうとする人物が少なかったというワケ。

  そこで、ごく一部のいち早く資本主義の性質に気付いた者は、他を出し抜き一気にのし上がれたのでした。

  オリガルヒの例をあげると、ボリス・ベレゾフスキー という、ただの数学者のおっさんがいました。
  この、おっさん、先見の目があったのか、資本主義体制への移り変わりのチャンスを見抜き企業家に転身した。
  彼曰く、  
  「当時ソヴィエト市民が手に入れたいものは二つ、一つは自家用車でもうひとつは個人住宅です、
  そこで私は車のビジネスを始めようと考えました」

  ベレゾフスキーは国の輸出奨励政策を利用し、輸出用の国産車を格安で仕入れました。
  しかし、それを輸出せずに国民に公定価格で販売し、輸出とは名ばかりのビジネスを始めたのです。
  彼曰く、
  「まとまった金を手にしたのはアレが最初でした。数百万ルーブル、当時としては相当な金額です、
  幸先のいい滑り出しでしたね」  
  こうして初期資本を手に入れると一気に事業の幅を広げ最初期のオリガルヒとなっていきました。

  オリガルヒは基本的に政商(政府(政治)や官僚との癒着(官民癒着)により躍進を遂げた企業グループ)ですが、
  最初から政治への影響力が巨大だったわけではなく、首脳がゴルバチョフからエリツィンに変わり、
  アメリカやユダヤが積極的に参入してきたころから変わり始めたそうです。

  ロマン・アブラモヴィッチと云うおっさんの場合・・・・

  孤児として育ち、石油業界の下っ端から成り上がっていきます、 サッカークラブ、チェルシーのオーナーとして有名で、
  現在でもロシア最高の富豪で、公表しているだけで純資産187億ドルを保有。

  1999年12月の下院選挙でチュクチから立候補し当選した。
  翌2000年12月にはチュクチ自治管区知事選に立候補し当選 現在のオリガルヒ筆頭といえる存在にまで成り上がる。

  エリツィンの時代には共産主義の基盤は揺らぎ、それまでの共産党独裁時代と違い政治闘争がかなり激しくなっていました。
  そこで彼は支援者を必要とするようになります、その時に登場したのが自由主義体制で資金力をつけ始めていたオリガルヒです。

  オリガルヒは豊富な資金力をバックにさまざまな事業を展開し、莫大な金以外にも多くの雇用に関係していましたし、
  なによりも生活の基礎であるインフラを支配していました。

  彼らの力があればエリツィンはその政治力を保てると思い積極的に繋がりを持ち関係を深めます。
  当然、オリガルヒは力を提供するだけでなく見返りをもらいます それこそが政治力でした。

  さまざまな政府の役職にオリガルヒの人員が入りこむようになり始めると同時に オリガルヒは各種情報媒体への影響力も強め、
  マスコミを買収し、メディアを支配してしまいます。

  ここでの買収とは裏金とかじゃなく、メディア企業そのものの買い取りです、ここが日本の財閥との大きな違いでもあります。
  ちなみにオリガルヒはインフラ、銀行、軍産複合体などを支配していたのでメディア買収でヒトラーのいっていた国の支配に
  必要なものを全て揃えたことになります 、そして、こんなヤツらとプーチンは戦うことになって行きます。

  もう一度政府管理下に置くことになる共産党の政権奪取を恐れたオリガルヒは、再選を目論むエリツィン大統領と利害が一致し、
  1996年の大統領選挙において、エリツィンを支持し 再選に大きな貢献をしました。
  特に新興財閥は支配下の各メディアを使ってエリツィン支持の世論形成に大きな役割を果たしています。

  大統領選挙後、新興財閥は影響力を強め、ポターニンは第一副首相、ボリス・ベレゾフスキーは、安全保障会議副書記や
  CIS執行書記などの政府高官の位置を占めたホド。

  特にベレゾフスキーは、エリツィン選対責任者で、第一副首相、大統領府長官、蔵相となったアナトリー・チュバイスや
  エリツィンの次女で補佐官となったタチアナ・ディアチェンコと強い結びつきを持ち、
  「政商」や「政界の黒幕」の名をほしいままにした。
  彼らエリツィンを中心とした側近集団は、後にセミヤー
  (Семья: 家族の意。俗にエリツィン・ファミリー "Семья" Ельцина) という一大派閥を形成するに至ります。

  さて、ここからプーチンさんはメディア、軍、インフラ、金融、全てを支配する者たちから政治を取り戻す戦いを行い始めます。
  しかも、ソ連の変革期ですから裏金や情報操作といった違法なことはなんでもござれで、ぶっちゃけ、オリガルヒは暗殺すらしています。

  そんなこんなでオリガルヒが盤石になり、当然のように汚職と富の独占を行うようになる中 プーチンさんは
  エリツィン政権の末期に当確を表してきました。

  彼はKGB出身である程度情報機関にコネがある状態から政治に参入しています、
  しかし彼は政治参加した初期からこのエリツィンに重用されるようになるまであまり過激なことや派手なことは行っていません。
  オリガルヒや他の政敵からの評価は「おとなしい物静かで有能な人物」といった程度だったそうです。

  現在の「強いリーダーシップを持った政治家」というイメージからはかけ離れていますが、プーチンさんは大学の論文で
  「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というテーマで学位をとっており、
  かなり初期からオリガルヒとの敵対を予期し、強行に出る機会を狙い猫を被っていたことが分かっています。


  さてさて、プーチンさんが、なんかカッコえ~予感ですが、続きはまた明日。


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再生プロジェクト‐6

2014-02-23 | ギター・音関係
 
  さて、やっと音が鳴る状態になりました。
  ここからは、弾きながら、音を聞きながらの微調整。 
  

  
  
  アセンブリー組立て。

  

  ピックアップはこれ、日本には入ってきてないらしい、
  TONERIDER の '51VINTAGE PLUS‐TRT1(Set) ブロードキャスターPUを少し若くしたような音。 

  
  
  ナットは牛骨。

  

  ネックジョイントまわり。

  

  フレットはチョッと細め。

  

  全体的にはこんな感じ。

  

  角度を変えて・・・・

  


  


  いよいよ、次回は最終回、どんな音になったかは動画のUPをお楽しみに。
  

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