能『忠度』をご覧になるとき、須磨の浦の一本の若木の桜は、実際に舞台に立っている訳ではない。
「正面席中央の位置に桜がある」と聞こえて来る詞章からそれを想像する、それが能の演出方法であるから、観る側は是非そこを心得て鑑賞していただきたい。
その桜の下に旅僧が訪れ木陰で休んでいると老人が現れる。

桜に花を供え拝むので、不審に思い声をかけ問答するうちに老人は桜が忠度ゆかりの木である、と語り忠度の回向を頼み消え失せる。
喜多流の謡本には
「名も、忠度の声聞きて、花の䑓に座し給え」と記載されているが他流では
「名も、ただ法の声・・・」
と書かれている。

「忠度」と「ただ法」能はよくこのような駄洒落を使ってくるので気をつけておかなければいけない。

後場は、桜の下で仮寝をする旅僧の夢に忠度の霊が現れ、和歌への妄執と一ノ谷合戦での最期を語り、一曲の最後はまた桜の木を眺め霊は消え失せるが、見どころの一つに、忠度と岡部六弥太との一ノ谷合戦でのワンシーン、そこを仕方話で繰り広げる。

海上に浮かむ船に乗ろうする忠度を見つけた六弥太と郎党たちは追い掛け勝負を挑む。
忠度は引き返し馬上で組み合うが両者馬から落ち、忠度が六弥太の首を押さえつけ腰の太刀に手を抜こうとしたその時、六弥太の郎党が忠度の右手を斬り落とす。

勇猛な忠度は左手で六弥太を投げ飛ばすが、遂に観念し西方極楽浄土に向かい念仏を唱え首を討たれる。
六弥太は忠度の箙にある短冊がつけた矢を見つけ、相手が薩摩守平忠度であったことを知るのである。

演者は忠度を演じるのだが、首を斬るところからは六弥太を演じ、最後はまた忠度に戻る、と役柄とその心境を入れ替えながら演じている。
観客の皆様には、私の身体の動きと同時に心の入れ替わるところもご覧いただければ、とご来場をお待ち申し上げております。

文責 粟谷明生
写真 能『忠度』シテ粟谷明生 撮影 吉越研




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 能『忠度』を... 忠度をご覧に... »