観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

島原大変肥後迷惑

2009年01月30日 | 旅・風景・グルメ
島原外港から熊本港へ向かうフェリーの甲板から撮影した眉山


眉山と平成新山 
カモメがフェリーも後をずっと追いかけてくる。


島原大変肥後迷惑(しまばらたいへん ひごめいわく)
1792年雲仙普賢岳の火山活動によって島原地方(現在の長崎県島原市)で地震が続き、その後火山活動が活発になった。火山活動が収まりそうになった旧暦4月1日の大地震によって背後の眉山(まゆやま)の大規模な崩落により、大量の土砂が島原の街を通過して有明海へ流れ落ちた。これを「島原大変」という。この時の死者は約5千人といわれている。有明海に流れ落ちた土砂の衝撃によって発生した高波が、島原の対岸の肥後国天草に襲いかかった。これを「肥後迷惑」という。肥後の海岸で反射した返し波が再び島原を襲った。高波による死者は約1万人といわれている。
この災害から183年を経た1975年年7月「眉山治山祈念公苑整備促進期成会」が結成され、眉山山麓の総合運動公園に「眉山治山祈念公苑」が整備された。ここも徳島の眉山(びざん)と同様に桜の名所である。

被災家屋保存公園と平成新山

2009年01月28日 | 旅・風景・グルメ

このドームの内外に被災家屋が当時のまま保存されている。
この被災家屋保存公園などの含む「道の駅みずなし本陣」は、南島原市、島原鉄道、宅島建設グループなどが出資する第3セクターの株式会社 みずなし本陣が経営している。
ここのホームペーによると
雲仙・普賢岳は、1990年11月17日に198年ぶりに噴火し、わが国の災害史上例のない異常な長期災害となり、多くの被害をもたらしている。
死者・行方不明者‥‥44名
建物の損壊‥‥‥‥‥2,511棟
被害額‥‥‥‥‥‥‥2,299億円


正面に見える山頂に雪を被った一番高い山が普賢岳の噴火により出来た平成新山(1483m)、普賢岳(1359m)より高い。


望遠で撮ったのをトリミング
噴煙が見える。
上の方は全く木が生えていない。

灘黒岩水仙郷2

2009年01月26日 | 旅・風景・グルメ

沖合に見えるのが淡路島の南約4kmの紀伊水道上に浮かぶ沼島 人口598人(2008年10月末現在)
古事記や日本書紀の最初に出てくる国造りの話で、イザナギノミコトとイザナミノミコトが「天の浮橋」から「天の沼矛」で青海原をかきまわし、引き上げた矛の先から落ちた雫が固まって島となった。そして、イザナギ、イザナミの二神がこの島に降り立ち、日本の国土を次から次へと作っていった。「おのころ」とは「自凝」と書き、自ら固まって出来たという意味。「おのころ島」とはこの沼島あるいは淡路島そのものだともいわれている。





灘黒岩水仙峡1

2009年01月25日 | 旅・風景・グルメ
九州のバスツアーの写真整理がまだにもかかわらず、土曜日に今回はいつもと違う旅行会社のミステリーバスツアーに出掛けた。
最初の目的地は、ほとんどのツアー客が読んだとおり淡路島の灘黒岩水仙郷だった。
淡路島の南に位置する南あわじ市のホームページでは
「灘黒岩水仙郷は、今から約180年前に付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのがだんだん繁殖したとされており、今ではここ淡路島の南部に
位置する標高608メートル・諭鶴羽山から海に続く45度の急斜面の一帯、約7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が咲き誇っています。
花は一重咲きの野生の二ホンスイセンが中心で、わずかに八重咲きの花も混じり、1月を中心に12月下旬から翌年の2月下旬まで付近一帯、甘い香りに
包まれます。」
とあり、今が一番の見頃だった。

お天気の心配をしたが、写真のように非常に良い天気



梅も見頃を迎えている。

雲仙地獄

2009年01月22日 | 旅・風景・グルメ

ホテルを出たところが地獄の入り口


「清七地獄」は江戸の初めキリスト教弾圧により、信仰の厚かった「清七」が、ここで拷問されたときに噴出したといわれている。
キリスト教が禁止されていた江戸時代、雲仙地獄はキリシタンの拷問の場として使われたところであり、キリシタン殉教の地でもある。


「真知子岩」は、1954年佐田啓二、岸恵子主演の「君の名は」のロケがここ雲仙であり、そのとき真知子役の岸恵子が手をついた岩といわれている。
国立公園50年を記念した碑も建てられ、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」と刻まれている。
写真の上部左端にキリシタン迫害の歴史を物語る十字架が建っている。


右に一部見えている建物が今回宿泊した九州ホテル


裏(地獄側)から見たホテルの全景
このホテルの建物は古いが、宿泊した部屋はリビングに小上がりの畳スペースを配した和風のベッドルームで、和風モダンという感じ。
従業員の対応もよく居心地が良かった。
この九州ホテルに佐田啓二、岸恵子の2人も泊まったようで、当時の写真が飾れていた。

小浜温泉とオバマ大統領

2009年01月21日 | 旅・風景・グルメ

福井県の小浜市はオバマ米国大統領から選挙期間中に礼状が届いたことで有名だが、長崎県雲仙市小浜町も「オバマ大統領就任記念イベント オバマ感謝祭」を開催したりしている。
この写真は、先週金曜日に雲仙温泉に行く道中バスの中から撮った小浜温泉の写真。
小浜町にある小浜温泉は橘湾に面した温泉地で、橘湾に夕日が沈む美しさは定評あるようだ。


日本でも1,2を争うほど湯量の豊富な温泉らしいが、写真は道路の側溝から出ている湯煙。道路を走っていても濃い湯煙が立ちこめ前が見えない状態。

今日のニュースはオバマ大統領の就任式で持ちきりだったが、私が注目したのは、確か司会者はバラク・エイチ・オバマと紹介したが、本人は、バラク・フセイン・オバマ (Barack Hussein Obama)とはっきりフルネームで言ったことだ。
オバマ氏と書くつもりでキーボードを打ったら小浜市となったことはさておき、彼の生い立ちはこれらのweb記事が詳しい。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/869675/
http://w-int.jugem.jp/?eid=151

太宰府3

2009年01月20日 | 旅・風景・グルメ

トイレに行くとき見つけた国指定の天然記念物 (樹齢約700年の「ひろはちしゃの木」)このお手洗いという立て札、この場所にはないほうがいい。
落葉樹なので冬場は葉を落として寂しい上に無粋な「お手洗い」の立て札はさらにわびしい感じがする。


太宰府天満宮での観光時間は1時間、後1時間あれば、九州国立博物館の見学ができたのに残念だった。旅行会社は、
ホテルに4時過ぎに着くよう配慮しているようだが、そんなに早く着かなくても構わないのに。


「東風ふかば……」で有名な菅原道真の歌碑


道真は845年丑年生まれ。道真の遺骸を牛車に乗せて進んでいたところ、急に牛が伏し、門弟である味酒安行は「菅公の御心である」と、
その地に遺骸を葬った。遺骸が葬られた所が今の太宰府天満宮の本殿のある場所らしい。
「神牛の頭部を撫でさすれば、知恵が付く」
自身の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めて、お互いに撫でさすれば身体健全、病気全快する。また神牛の頭部を同じように撫でさすれば、
知恵が付くとされているが、牛の頭は大分撫でたが、自分の悪い頭のほうは撫でなかったので(そういうやりかたを知らなかった。)効果は半減だろうか。



太宰府2

2009年01月19日 | 旅・風景・グルメ

1591年に小早川隆景が再建したもので、桃山時代の豪放華麗な特徴がよく出ており、国の重要文化財に指定されている。


有名な「飛梅」


「飛梅」の由来を書いた立て札
昨日紹介したさだまさしの歌「飛梅」の歌詞では
”あなたがもしも遠くへ行ってしまったら
私も一夜で飛んでゆくと云った
忘れたのかい飛梅”

太宰府1

2009年01月18日 | 旅・風景・グルメ
今回のバスツアーは、久しぶりに天気に恵まれた。
最初の目的地の太宰府天満宮は、太宰府ICを下りた途端に雨が上がった。
さらに都合いいことに、正月三箇日だとICを降りると長い渋滞に巻き込まれるそうだが、この日は松の内明けの金曜日なのでスムーズに到着。


参道の写真のように路面は濡れているが、空は晴れ間が出ている。


金曜日なので人出も多くなくちょうどいい。
中学校の就学旅行と社会人になってからも2回来たことがあるが、その当時は参道がどうだったか全く覚えていない。


心字池に架かる太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋は手前から順に過去・現在・未来の三世一念という仏教思想を表しているらしい、
さだまさしの「飛梅」の歌詞にも出てくる。

飛び物

2009年01月15日 | 日記
野鳥が良く見えるときは他の物も良く見える。
構図を整えるために少しだけトリミングをしているがいずれも近くで見えた。




この2枚はチュウヒ


海上自衛隊のヘリコプター
いずれもD島の観察舎の隙間から撮影