ある旅人の〇〇な日々

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沖縄の開発と共同体

2009年10月07日 | Weblog
リーマンショックと政権交代で沖縄の開発ブームもひとまず終息したようである。下記の安里英子著の二冊の本は、読書録を読み返しても佳い本だということがわかる。
東京に五輪招致を失敗した石原都知事は、五輪関連施設建設が予定されていた晴海の用地にカジノ関連施設を計画するのではないかという噂もある。さあ、沖縄のカジノ構想はどうなるか。

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■2002/10/23 (水) 沖縄の土地開発の波は今も
「揺れる聖域」:安里英子、沖縄タイムス社

副題は「リゾート開発と島のくらし」。著者が1990年から沖縄の島々を歩き、島がリゾート開発計画や土地改良事業でどのように変容していくのか、変容したのかをタイムスに連載し、それに加筆してまとめたものである。

これを読むと、本土復帰前後、本土資本により土地が買い占められ、開発計画がいくつも創られ、多くの計画が没したかもわかる。さらに、土地改良事業で島の地形が変貌してきたことも。

竹富島は島の三分の一を本土企業に買い占められたが、島の有志で買い戻され、本土資本による観光化をストップさせたこと。西表島にも三つの大規模リゾート開発計画、ダム建設計画があったことも知れる。

宮古島は、村の事業として推進されたドイツ村構想、さらに東急リゾート開発、スーパーダイエーによるビーチの買い占めなどについての様子もわかる。

本島玉城村の受水走水あたりも県内大手建設会社の手で開発計画があったという。与那城村の海中道路建設や島の地形の変貌や埋め立てによる自然環境破壊は酷いものがある。

開発企業に買い占められた土地のなかに御嶽が含まれるという。沖縄の聖域も無視してしまう開発の波の凄さ。それに浸食される精神文化はいかに変貌していくのだろうか。
自治体が開発を規制するのではなく、むしろ振興策として積極的に推進してきた。現在も、その方針は変わっていないが。

リゾート開発とは、自然を排除することだ。本島恩納村のムーンビーチに行くと、白砂で溢れ歩きにくいほどだ。自然のビーチではなく、余所からもたらされた白砂で造られたものだ。

島の土地が個人のものではなく島のみんなのものだとする久高島土地憲章、沖縄で初めて創設された国頭村奥集落の共同店についても記述も興味深い。

■2003/03/03 (月) 沖縄の村落共同体
「沖縄・共同体の夢~自治のルーツを訪ねて~」:安里英子、榕樹書林

安里英子さんの著作は二冊目である。「揺れる聖域」(沖縄タイムス社)について、この読書日記にも書いている。
ここでは、久高島土地憲章にもとづく土地総有制、やんばるの「奥」という集落の共同店、女性と祭祀、開発に影響される環境問題などについて論じられている。

久高島は、今日まで土地の私有化が認められていない。沖縄では明治の「土地整理」で土地総有制が廃止されたが、この島では今でも土地全体がの総有制になっている。土地の管理権はにあり、土地を勝手に売買できない。10条からなる久高島土地憲章で今までの慣習を明文化されている。リゾート法が施行されて企業が開発のため土地取得の話を持ちかけたが断念したという。
祭祀と共に伝統的な土地総有制が残されてきたのは興味深い。
小生が久高島を訪れたとき、老人が猫の額のような狭い畑で農作業していた。その老人、出身が九州だといっていたが、どういう事情で島に居住するようになったかは聞かなかった。

沖縄でよく見かける共同店は、1906年に初めて本島北部の奥で設立された。事業内容は、昭和30年代、購買事業だけでなく、製茶工場、精米工場、酒造業、電灯業、運送業、水道事業などと幅広かったのには驚く。相互扶助として療養費や学資への貸付も行われている。
小生、一度奥の店を訪れたことがある。銘茶「おくみどり」を購入するためだ。ガソリンスタンドの隣にあり、田舎の雑貨屋というよりも中小スーパーという感じであった。目指す「おくみどり」は入り口近くの正面に並んでいた。素朴な緑を基調にした包装であった。なかなか美味しかった。
時代は変わり、共同店にも多くの課題があるようだ。

沖縄の伝統的自然観として二つあげられている。一つは沖縄独自の信仰と深く結びつく自然観、もう一つは中国から伝えられた風水思想によるものである。
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