碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

『生田長江詩集』を覗く (23)

2017年03月07日 15時36分48秒 | Weblog

 

 ebatopeko


 

           『生田長江詩集』を覗く (23)


 

  (はじめに)

 先日、米子市立図書館で『生田長江詩集』を手に取った。「白つつじの会」生田長江顕彰会が発行したものである。生田長江については、鳥取の生んだ偉大な文人で、明治から昭和の初めにかけて活躍した人物である。生田長江顕彰会は詳しい「年譜」を出しておられる。それも引用しながら、生田長江が浮かび上がれば幸いである。

 生田長江についてはまた、荒波力氏による『知の巨人 評伝生田長江』が五年前の2009年に刊行されている。

 また鳥取県立図書館による『郷土出身文学者シリーズ⑥』で、生田長江が取り上げられている。大野秀、中田親子、佐々木孝文の各氏による生田長江の再現が嬉しい。

 生田長江については、私もかってブログの「三木露風を世に出した生田長江」①、②で記したことがある。→ 2009・3・13~14

  今回上記『生田長江詩集』の編集をされておられる河中信孝氏の「解題」に沿って、今や忘れられんとする明治~昭和にかけての、鳥取の生んだ「知の巨人」生田長江を知りたい。

 彼の文人(評論家、翻訳家、創作家ー小説、詩、短歌、戯曲)として、また当時の論壇の中心であったその一端を紹介し、「白つつじの会」のご活躍をお祈りしたい。


 私は、散文や歴史などは少し読んだことはあるが、詩にはまったくと言ってよいほど縁がなかった。

 それで、図書館で『生田長江詩集』を見たとき、生田長江がどんな詩を書いているのかを知りたくて借りてみたのである。しかし案の定その詩は難解で、それを味わう、観賞する能力など私にはなく、ブログのタイトルを『生田長江詩集を覗く』とせざると得なかったのである。   

 そこで、私は生田長江がこの詩集の中で、何を訴えようとしているかわからないままに、私の目についたいくつかの詩を「覗いて」みたい。

 

  
       (前回まで)


 (長詩三章)

(注:長詩について記す。これは「ソネット」形式の詩のこと。河中氏によれば、生田長江が重視していた詩の形式だという。「ソネット」とは14行にすべての思いを収めるヨーロッパの定型詩である。

イタリア風、シェークスピア風などがある。日本の俳句や短歌からみれば長詩になる。日本では「ソネット」形式は中原中也、加藤周一、中村真一郎、福永武彦などがおり、翻訳ものでは上田敏(注:生田長江の「号」は上田敏が与えたものである)、永井荷風、堀口大学などもみられる)  
 


     『昴(すばる)第四號』明治四十二年四月一日所収 

   (注:昴とは、明治42年(1909)一月から大正二年(1913)十二月まで発行された。『明星』のあとをうけた文芸雑誌である。編集及び発行人は石川啄木で、森鴎外を指導者にいただき、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、啄木、平野万里らが「新浪漫主義思潮」を主導した。

とくに『ヰタ・セクスアリス』、『半日』、『青年』、『雁(がん)』など森鴎外の作品群、『道程』に代表される高村光太郎の詩歌での業績が注目される)

 

  残生(ざんせい)の長き二人よ 
   
白き手のわななくを見ぬ、
森林の樹間(このま)を落つる
月光の鋭き征矢に。(そや、注:鏑矢などに対して先のするどい矢          戦闘に用いる矢のこと)
朝霧の思ひまどひて、
立ちつくす女の胸の
白き手のわななくを見ぬ。

痛ましき涙を聞きぬ、
宴楽のはてたるあとの
銀(しろがね)の燭(しょく)より垂るる。

飽足(ほうそく、注:満足すること)の吐息ともなし、
やや老いし心の燭(しょく)の
いたましき涙を聞きぬ。

漏刻(ろうこく、注:中国伝来の水時計のこと)の遅々たる歩み、
残生(ざんせい、注:余生のこと)のながき二人よ。

(注:白き手のわななく「さま」、「矢」のごとき「月光」、たちつくす「女の胸」、「痛ましき涙」などのロマン的な表現と、「のこる世のなんと長いことよ」との感傷が・・)

 

  二の追憶

歡樂(くわんらく)を忘るるはよし、
忘れぬはもとよりよろし。
よろこびの昔を今の
追憶(おもひで)と、今を昔の。

哀傷(あいしょう)は消えぬもかなし、
消えたるも果敢(はか)なくかなし。
  かなしみの今を昔の
  追憶(おもひで)と、昔を今の。

對(むか)ひゐてかくは思ひき。
別るるにまたかくおもふ。
  かなしみの今と昔と。
  よろこびの昔と今と。


(注:よろこびの今と昔、かなしみの哀傷の今と昔、對(向かい合うこと)と別れること、今のかなしみ、昔のよろこびと今のかなしみ。これらの対比の感傷・・・)


   我がもてる命もあらば 

我がもてる命もあらば、
わが愛にこれを與(あた)へむ。             

充實(じゅうじつ)の命もあらば、
ほそき手を強くにぎらむ

新しき命もあらば、
あたらしく人と走らむ。

 (注:自らの新しき命があらば、愛にこの命を、充実の命をあたえようというのである。「愛」に「命」をあたえたいという、新しき発想である。そして何より、あたらしく人と走ろうではないか、というのである)

 

  

  (以下今回)


 

 自筆ノート『玉石混淆(ぎょくせきこんこう)』
              不蔵私怨    常楽公争  (注:これについては、河中氏による説明がある。以  下引用する。

 ノートの表紙と、P1に、同趣旨の漢文がつづられている。「私怨を蔵(かく)さず」については、晩年の弟子藤田まさとに読むように勧めた「法句経(ほっくきょう、注:最古の教典)」に「不怨」の教えがある。

これが後年藤田まさとの作詞した「明治一代女」の歌詞「怨みますまい、この世のことは、仕掛け花火に似た命・・」に結実していると思われる。また、佐藤春夫の弔詞にも「身を泣かず人を怨みず」とあり、長江は常々弟子たちにこのことを言っていたと思われる。

 「常楽公争」については長江の言葉に「どんな場合にも喧嘩両成敗」になることが「公平」と思われている今日では、「公平」な仲裁をするよりも「正直」な喧嘩をしたいと思う」と言っている。

文壇という公の場で、論争を収めるような折衷的な態度をとるより、思いきりの議論を心掛けていた。1914(大正)3年、『反響』創刊号P115消息後書き )

P1
 不蔵私怨(私怨ヲ蔵(かく)サズ)
 常楽公争(常ニ公争ヲ楽シム)
 爽如新月(サワヤカナルコト新月ノ如ク)
 與長江流(長江ト流ル)

 

P2
 長江訳

  病める薔薇(さうび)

 花薔薇(はなさうび)、はなさうび
 汝(な)は病めり。飛ぶかげの
 見もわかぬ夜の蟲(むし)の、
 風さゆる闇にして
 深紅(しんく)なる歓樂(よろこび)の
 汝(な)が床を見出でたり。
 そのくらく密なる戀(こい)に
 戀(こい)にしも汝(な)は死なむ。

  
 (注:生田長江は、東京帝国大学在学中から翻訳に力を入れており、『ニーチェ全集』全10巻(1916~29)は「ツァラトゥストラ」をはじめ彼の生涯最大の結果である。また日本で最初に『資本論』を翻訳したことでも知られる。
 ここでは、
花薔薇(はなさうび)深紅(しんく)なる歓樂(よろこび)の、戀(こい)にしも汝(な)は死なむ、という翻訳が印象的である)


 (泰西(たいせい、注:西洋・西洋諸国の意)名詞名訳集』中

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