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土曜参観といちょうまつり(バザー)

2017年11月11日 22時55分18秒 | 未歩ちゃん

 
     廊下に掲示されていました問題ですが何県でしょうか?     丹後堰公園を訪ねて千葉市の偉人 布施丹後について新聞記事にした作品

孫たちは「丹後堰公園」を訪ねて千葉市の偉人「布施丹後」について調べ、1人ずつ新聞記事に仕上げた作品が廊下に掲示されてありました。
孫の新聞を見ましたら「布施丹後さんは用水路の大工事を行った人」感想としては「昔は機械が無く、くわでほり、土をもっこで運び、村人が協力して全て手作業で
作ったのがすごいと思いました。」と結んでありました。 
      


                     写真は2017年3月に孫と散歩にまいりました折に撮影したものです。

「布施丹後」功績について(わたしたちの千葉市より)
1600年代寒川村(現 千葉市中央区寒川町)や、千葉寺村(現 千葉市中央区千葉寺町)では、水不足で悩んでいた、
その一方、矢作村(現 千葉市中央区矢作町では、都川の、洪水で悩んでいた、布施丹後は、丹後用水を計画し、各村の代表を集め、会議をしたものの、布施丹後の計画は、
受け入れられなかった。そこで、布施丹後は私財をなげうち、費用を全負担することにし、計画をまとめた。
1612年(慶長17年)測量を開始し、自らも参加した、1613年(慶長18年)に、工事を着工させた。
人足延べ7,000人を動員、5ヵ月あまりで約5㎞、幅2.7mの用水路が完成しました。
建設中300メートルの崩落等があったもの、これもまた、布施丹後が自らの私財をなげうち修理させた。
1625年(寛永2年)に竣工した、布施丹後は、その3年後の、1628年(寛永5年)に、亡くなった。
丹後の名をとり「丹後堰」と呼ばれています。
現在、千葉寺と、丹後堰公園に、功績を称えた石碑がたっている。

授業は「道徳」と「国語」でしたが、国語の時間に内容について考える時間を先生が「5分でまとめてね」とストップウォッチの音になるほどと思いました。

午後からは毎年行われております「いちょうまつり」の名のバザーを楽しみました。


          美味しかった「やきそば」「のりもち」「ポップコーン」「ホットドック」他を買い求める父兄の皆様です

久し振りにバザー会場にまいりまして私たちの子どもの頃のバザーと全く違いますことに驚きました。
食べ物を購入後は、グランドに広いシートが敷かれ親子をはじめ、近隣の皆様と楽しい語らいの風景も新鮮でした。

もう何十年も昔ですが、当時は各家庭から食器、洗剤、手作り品、衣類、野菜などの提供を頂き、役員が値段をつけて販売したことを思い出しました。
小さい孫がおりますために、久々に楽しいひと時を過ごすことができました。

 

コメント (6)
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