Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

望みの根拠 Ⅰペテロ 1:3-9

2009年05月31日 | Celebration
 「望み」にはいくつかの種類がある。根拠のない「願望」、生理的感情的な「欲望」、半分嫉妬の「羨望」、分不相応な「野望」。「望み」はステキな言葉だ。人間はいつも何かを望んで生き、「望み」によって生を駆り立てる。しかし、自己中心性から発せられるこれらの「望み」が生むのは幸せではなく、不安と不満、そして結果的に失望に終わってしまう。では、望みは人を不幸にするものなのか? いや、違う。人を幸せに導く真の望みがある。それが「希望」である。あなたの人生における「望み」は、真の希望となっているだろうか。

 「我が辞書に不可能はなし」と豪語し、この世の名声と富と権力を手中にしたナポレオンは、その遺書の中で、クリスチャンとしての信仰告白を遺している。『イエス・キリストの永遠の支配と、大ナポレオンと呼ばれた私の間には、大きく深い隔たりがある。キリストは愛され、キリストは礼拝され、キリストへの信仰と献身は、全世界を包んでいる。これを、死んでしまったキリストと呼ぶことが出来ようか。イエス・キリストは、永遠の生ける神であることの証明である。私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている。』天才的頭脳を持った英雄は、現世の名声や財産が如何に儚く、永遠の希望とはなり得ないことを、人生の最終地点において悟ったのだ。

 事の内容は違えども、誰もが同じ思いを感じることがある。クリスチャンの心理学者、ジェームス・ドブソン師は、学生時代、全米テニスチャンピオンとして名を馳せ、その誉れは揺るぎないもののように思われた。しかし時の流れは、名声を萎ませる。母校に飾られていたはずの優勝トロフィーは、講堂改築時に粗大ゴミとして捨てられていた。自己の賞賛を求めてあくせくしても、時が経てば、結局は忘れ去られてしまうのだ。帝王であれ、テニスチャンピオンであれ、正しい動機で行われなければ、そこに人生を輝かせる希望はない。

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(Ⅰペテロ 1:3-4)

 聖書では、「生き生きとした希望」がイエス・キリストの復活によって与えられ、天の朽ちない財産を受け継ぐことができると明言されている。科学的に証明できない復活を笑い飛ばす人は、証明できるという理由だけで、朽ちてなくなってしまうこの世の冠を追い求めるのか?果たしてどちらが曖昧だろう。イエス・キリストは愛に溢れた途方もなく優しい御方だったが、彼の言葉は決して夢想や空言ではなく、曖昧さはない。罪や悪に対して一切妥協することなく、生きる「命」を得るための真理を追及する教えは、非常に現実的だ。そのイエス様が仰ったのは、神様によって守られている事実、希望は神にかかっている真実だ。人間は高々80年の生涯で終わってしまうのか。一人一人が生きた証しはすべて忘れ去られるのか。希望はそんなチャチなものではない。神によって知られている、そして永遠の命を生きる。この救いを知って生まれる本来の希望が私たちを生かすのだ。今、真剣に考えて欲しい。あなたの人生における本当の「希望」は何なのだろうかと。(睦美)

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真の幸いに至る道 エレミヤ6:13-17

2009年05月17日 | Celebration
 人生において大切で思い悩むことと言えば、お金、異性、人間関係、そして神のこと。しかし、生きるために本当に必要なこれらのことは、学校では何も教えてくれない。だから多くの人が自分の経験だけを頼りに自己流で学び、理解し、自分に都合よい生死観で解釈している。たぶん天国へ行くだろう、死んだら消えてしまって終りだ、忙しくって科学で証明できないようなことを考えていられない等々、これが多くの現代人だ。だが、正しい教師や教科書なしに正しい理解が得られるはずもなく、人は知らねばならないことを知らないまま、人生を棒に振っている。

 実子を含む二人の子供を殺害した罪で無期懲役刑を受けた女性が、臨床心理士に宛てた手紙でこう書いている。「老衰や病気ならいいのに、事故や事件など人の手が介在すると何故悪い事になるのですか?人を殺すことが悪いとは知っていますが、何故悪いのかわからない。被害者の家族に対して申し訳ない気持ちが起こらないのがもどかしい。努力や訓練をすれば、それが分るようになるのでしょうか?」30年以上も生き、結婚して子供を産み育てることをしながらも、彼女は「生きること」と「死の意味」を全く理解できずにいるのだ。

主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよどれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と。(エレミヤ6:16)

 専らこの世では、知識を蓄えたマニュアル人間が認められる。現代社会では高学歴高収入こそが幸せと考える風潮があり、またイエス様の時代でも律法学者がもてはやされていた事実を読む。マニュアル人間製造社会システムの中では、神様が人間にくださった創造力は錆付き、一個の命は軽んじられる。今日の聖書箇所にあるように、様々な方向から眺めて真の幸いに至る道を問うという面倒なことをせず、マニュアルに書かれた模範解答だけを重んじる。自分の人生に適合するしないは関係ない。そんな社会では、正しい生死観を持たない悲劇は後を絶たない。神様がくださった創造力を取り戻そう。そのための三つのポイントを語られた。

自分が見ているもの、聞いているもの、感じているものだけがすべてでない
 誰だって、自分の足元が動いていることを感じなくても、天動説を信じているだろう。自分の見ていることがすべてではない。地球は絶えず動いている。そして、認めようと認めまいと、神様はいらっしゃるのだ。

自分中心か、神中心か、人生は二者択一
 自分中心の人生とは、詰まるところ、見えるものだけを頼みとする現世主義。その頂点には「お金(=利欲)」がある。この世のチャンピオンだ。残念ながら、この人生は何れ破滅する。ほんとうに大切なものは、愛であり、信仰であるように目に見えない。その頂点は、時空を超えて宇宙を支配する神様がいらっしゃる。

良心の声を聞く
 人間は霊的生物だ。心のもっと奥深い部分、霊では、ほんとうに良いこと悪いことがわかっている。ただ、間違った自己流解釈は、この部分を遮断しようとする。これが人間の罪だ。霊の部分を生かし続けるよう、良心の声、神様の声に耳を傾ける。

 人間に対する深い洞察力を持ったエレミヤは、神様の言葉が単なる「宗教」という狭い枠に留まるものでないことを知った。信じる者が従うべき規範などではなく、人間が生きるための普遍の真理なのだと気付いた。そんなエレミヤは、究極の神の愛であるイエス・キリストを預言し、罪のある人間であっても途方もない愛情を注ぎ、関係の回復を望まれる神様の思いを切々と語る。この神様を知った時、どんな悲劇も希望に満ちた喜びに変えられ、霊に「命」が宿るようになる。これが神様の違うことない約束なのだ。(睦美)

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミア29:11)




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母の愛 Ⅰサムエル 2:6-10

2009年05月12日 | Celebration
 マリアは、聖霊による懐妊から、最後の十字架まで、イエス・キリストの地上の生涯を見守り続けた母親である。マリアが神から選ばれたのは、彼女に何か特別な才能があったからではない。今でこそ美しく神秘的な出来事として語り継がれている受胎告知だが、現実のマリアにとっては、姦淫という死罪の対象に巻き込まれ、災難としか思えないような出来事であった。ところが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、彼女は新約の詩編と呼ばれる『マリア讃歌』を謳い上げた。100%神に信頼し切ったこのマリアの素直さを、神はこよなく愛されていた。

 マリアよりも更に千年前、子供を生むことが女性としての唯一のステータスと見なされていた時代。子宝に恵まれず、周囲の差別と偏見に苛まれて、絶望と悲しみの淵を歩んでいたハンナ。しかし、“子供をください!”この心の底から絞り出すような激しい祈りに神は応えられ、ハンナはサムエルを宿した。『ハンナの祈り』には、彼女の湧き上がる神への感謝で綴られている。

 ハンナとマリアは、よく似た境遇にいた。二人とも社会的には疎外者であり、自分ではどうしようも出来ない苦しみと不安に打ちひしがれそうになっていた。しかし、苦しむ者、乏しい者、悲しむ者の助けを求める声を神が逃すことはない。その嘆きを喜びへと変えてくださる神の御業に感嘆し、絶対的な愛と義である神を誉め讃える喜びの叫び、それが『マリア賛歌』と『ハンナの祈り』である。

 そして今、もう一人の母親の姿を見る。横田早紀江さん、北朝鮮拉致被害者である横田めぐみさんの母親である。政治的な壁と闘いながら、守るべき人権と真理のために愛を行使し続けている彼女の活動は、世界に感動を与えている。その早紀江さんが綴った詩、『コスモスのように』は、コスモスの花をモチーフとした希望がテ-マだった。北朝鮮を呪うのでなく、社会に憤慨するのでもなく、また、自らの境遇を嘆くのでもなく、30年以上も消息が知れない我が子の無事を願う早紀江さんの思いは、平和ヘのエネルギーに転換されている。

 ハンナ、マリア、そして横田早紀江さん。この三人の母親の信仰は一体どこから来るのだろうか? 彼女たちの祈りの根源的な土台となっている3つのポイントを見る。

愛する子供を自分の私物化にすることなく、神に献げている神への信頼。
人生に対する思いを全て、絶対的義であり愛である神に委ね切っている神への確信。
たとえこの世では離れていても、永遠の国において再会することができる神への希望。

 神の愛に最も近い「母の愛」は、無償で自分の命を投げ出すほどの愛である。マリアとハンナの喜びと、早紀江さんの思いを、本当に理解することが出来るのは、私たちのために十字架に架かってくださったイエスの愛を知る者だけである。この母の愛に勝るイエスの愛を受けて、その愛を内なる聖霊の助けによって体現できるのは、キリスト者以外にはいない。愛の欠如によって、見えなくなってしまった『神の愛』をこの世に体現化することこそ、今の時代に求められているのである。(睦美)

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確実に大切なもの ルカ 1:1-4

2009年05月03日 | Celebration
 「あなたの人生で一番大切なものはなんですか?」某新聞主催の日本人の意識調査によると、男性は仕事、独身女性はお金、既婚女性は子供という答えが圧倒的に多かったそうです。さて、あなたにとって、一番大切なものは何でしょうか? この質問に対して、直ぐに答えられる人は案外少ないかも知れませんね。ところで、この世の真理を引き出すためには、以下の三つの方法があります。

演繹(えんえき)法:一つの正典から真理を立証して行く方法。
帰納(きのう)法:客観的な複数の現象から、一つの真理を導き出す方法。
消去法:間違った答えを一つ一つ消去して行って真理に到達する方法。

 ルカの福音書は、ギリシャ人で医者だったルカという人が、テオピロというローマ人の高官に宛てた手紙です。イエス・キリストに関して全てのことを詳しく調べ、順序正しく書いてあなたに送ります。とあるように、この手紙は、歴史的観点に添って、非常に論理的に書かれています。つまり、ルカの福音書は、帰納法によるアプローチですので、聖書を知らない日本人にとっては、四つの福音書の中でルカが一番分かり易いかも知れません。教会では、聖書を土台に真理が語られている演繹法によってメッセージが語られています。これは、信者にとっては問題ありませんが、聖書自体を知らない未信者の人には分かり辛くて当然ですよね。それで今日は、帰納法と消去法で、聖書と人生の真理を引き出して行きたいと思います。

 実は、聖書以外に、2000年前のイエス・キリストに関する記録が記されてある文献が、この世に三冊存在しています。それは、『ヨセフォスのユダヤ古代史誌』、『タキトスの年代史』、そして、『スィトニアスのネロの生涯』です。彼らは1世紀後半から2世紀初めにかけて実在した歴史学者ですが、その内の一つを紹介しましょう。

  さてこのころ、イエスと言う賢人が現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受ける人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからずのギリシャ人とを帰依させた。ピラトは、彼が我々の指導者達によって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。なお、彼の名にちなんで“クリスティアノス”と呼ばれている種族は、その後現在に至るまで、連綿として残っている。(ヨセフォスのユダヤ古代誌18:63)

 彼らが残したイエス・キリストに関する記録は、当時のローマ帝国の独裁政治下という時代背景を考慮してか、非常に注意深く客観的に書かれてあります。記述内容は、実に三者三様ですが、総体的に見てみると以下の四つの基本的事実において、一致していることが分かります。それは・・・

二千年前のパレスチナ地方にイエス・キリスという人物が実在した。
そのパレスチナ地方において、イエス・キリストにまつわる大きなムーブメントがあった。
このムーブメントを鎮圧するために、イエス・キリストはローマ帝国によって処刑された。
圧倒的なローマによる迫害にもかかわらず、イエス・キリストのムーブメントはさらに拡大していった。

 このような客観的な史実と、聖書の記述を総体的に考察し、イエス・キリストとは、いったい何者であったのか。ということを突き詰めて考えますと、以下の三つの可能性に絞ることが出来ます。それを、一つ一つ検証して行きましょう。

イエス・キリストは詐欺師だった
 オウム真理教が日本を震撼させた時、FBIの調査長官が、麻原彰晃ついて一言、「彼は単なる詐欺師だ」と評しました。彼は警察から逃げ隠れ、逮捕された時は、信者たちのせいにしようとしました。詐欺師の目的は、あくまでお金と権力だからです。では、イエスはどうだったでしょう? 彼にはいつも自分をとりまいている群衆と、多くの弟子たちがいたにも関わらず、組織がかった活動は一切しませんでした。また、イエスはお金持ちや権力者たちのところではなく、娼婦や取税人や病人など、世の中からつまはじきにされているような人たちのところにばかりいました。彼がローマ兵に捕まった時も、彼は一切弁明することなく、弟子達を逃がしました。これらの事実を客観的に考えますと、イエス・キリストは詐欺師ではない事が分かります。

イエス・キリストは気狂いだった
 彼は、わたしが命で、わたし以外には道がない。と断言していました。つまり、自分は神だと言っていたのです。世の中には、自分は神の使いだと主張している人は沢山いますが、自分が神がなどと、直ぐに底が割れてしまうようなことは、通常の神経で言うことは出来ないからです。では、イエスは、狂人だったのでしょうか? 彼の説教の内容や、言動と態度は首尾一貫しており、一点の矛盾もありませんでした。彼が死刑になるまでの言動を冷静に考察すると、イエス・キリストは決して狂人ではない事が分かります。

イエスは神の子だった
 ①と②は消えました。そうすると、残る可能性は最後の1つしかありません。それは、イエスは本当の事を言っていた、つまり、彼は神の子だったということです。ナルニア物語のCS・ルイスがこう言っています。「あなたはイエス・キリストを偉人だとか、哲学者だとか、教師だと思う必要は全くありません。もし、彼があなたと関係ないのであれば、彼はあなたの人生にとって考えるに取るに足らない狂人だからです。しかし、もし、彼があなたと関係があるのなら、あなたの人生にとって、イエス以上に重要なことはないのです」と。

 それでは最後に、「あなたの人生で一番大切なものは何か?」について、以下の4つのポイントを、消去法で考えてみましょう。

お金
 お金を人生の主役にすると、お金があるないで、幸せになったり、不幸になったりします。また、自分よりお金がある人を嫉み、お金のない人を馬鹿にします。そして絶えず世間との比較に翻弄され、お金の為に自分の身を売ることさえしてしまいます。つまり、お金に自分の人生を支配されてしまうのです。お金は確かに大切です。しかし、お金は自分の人生の主役にはなり得ません。

子供
 多くのお母さんたちは、自分の子供が一番大切だと考えています。しかし、自分の人生の主役に子供を置いてしまうと、子供が良い子だと幸せで、そうでないと不幸になります。テストの点数や子供の機嫌や出来不出来に一喜一憂。そして、子供を自分の感情でコントロールしようとします。そうして親に育てられた子供は、最終的に親を憎むようになるか、一見良い子に見えるが、自分では物事を決められない依存症になるか、そのどちらかになるケースがほとんどなのです。子供は親の所有物ではなく、神様からの預かり物です。母親ほど世の中で素晴らしい仕事はありません。しかし、親は子供を自分の人生の主役にしてはいけないのです。

友人
 もし、友人を自分の人生の主役にしてしまうと、自分が友人からどう思われているかということばかりが気になり、仲間はずれにされるのが怖くなります。また、自分がしてほしいと思うことを友人に対して強要するようになり、それをしてもらえないと友人ではないと思ってしまいます。友人はとても大切な存在ですが、人生の主役ではありません。

仕事
 人生は仕事だ!と思われている男性は大勢おられます。某会社の重役さんは、毎年300通の来ていた年賀状が、退職後した途端、何と20通に減ったそうです。多くの男性は、退職後は家でやることがなく、生きがいを喪失しています。仕事は大切ですが、生きるための手段であって、人生の主役にはならないのです。

 人生において、お金も、子供も、友人も、仕事も、とても大切なものですが、それを、自分の人生の中で一番大切なものとしてしまうと??? 人間と言うものは、人生で一番大切なものに支配されてしまうのです。聖書において、創造主以外に自分の人生に一番大切なものを置く事を、それを「偶像」と言います。これは神が最も嫌われることなのです。

人生で最も大切なもの。それは命ではないですか?命あっての、家族、お金、仕事じゃないですか?しかし、私たちの肉体も命も日々、衰えていくものです。命がどんどん死に向かって行くことに、私たちはどうして希望を持つことが出来るのでしょう? しかし、聖書はこう語っています。私たちの肉体は朽ちるけれども、私たちの命は日々新たになっていく。イエスを信じるものは永遠の命がある。ここに私たちクリスチャンの希望があります。

イエス・キリストが、詐欺師でも気狂いでもないのだとしたら、彼が私たちの人生に対して何と言っているのかに着目してください。この世界で何が一番大切なのか? それは「愛」だとイエスは断言しています。この世における様々な問題は、根本的に「愛の欠如」が原因なのです。お金がなくなったら、子供が巣立っていったら、リストラされたら、病気になったら、それで人生を終わってしまって良いのでしょうか? いいえ、人生はどんな苦難があろうとも、生き甲斐を失ってはいけないのです。聖書は、人生で最も大切な「命」と「愛」について、はっきりと答えを出しています。聖書は嘘か本当かそのどちらか。中間はありません。どうぞこの聖書の真理に立って、もう一度考えてみてください。あなたの人生で一番大切なものは何なのかを。(Ako)

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