こどもの時間 マルコ4:26-29
☆マルコだけにある『成長する種』のたとえから。 種の気持ちになってみる・・・。ひんやりとした種倉に、他の種々と一緒にのんびり眠っていたところ、誰かにつまみ出された。あれれ?と思っていると、土の中に蒔かれてしまった。どこだろう、ここ?暗くてちょっと不安になる。でも、包まれている感触が心地良い。しばらくうっとりして時を過ごすと、突然、体がムズムズして来る。何かが中から飛び出すような変な感じ。。。と思っているや否や、体が裂けてしまった!!!でも、元気は元気だし、何か今まで見えていなかった光が見える。そっちへ体を伸ばす、伸ばす、伸ばす。うわ、眩しい!何て温かいんだろう!外にいると喉が渇くな、と思うと、美味しい水が降ってくる。ずっと立っていて疲れちゃうよ、と思うと、何やら栄養源のようなものが下の方から注がれる。そんなことをしている内に、体は知らず知らずどんどん伸びる。
とまあ、こんな風にして私達も成長しているとよいな。茎が伸び、穂を付け、実を生らす。でも、種は特別に何かをしていない。種に必要なことは、内にある力を信じ、土にしがみつき、実が生るという希望をもって忍耐強く時を待つこと。委ねること。種を大切にケアしてくれるその方に。そうすることで、神の国は近づいてくる。そして、神様の声を聞くだろう。
時は満ち、神の国は近づいた。
My wayはWrong way PartII ローマ8:9-17
★「自分に正直に生きよう!」「私は私の道を行く!Going My way!」私もまたそういう気持ちでアメリカへ来た。それが私の生きる道と思っていた。でもちょっと待てよ?、と考える。私のMy wayはこっち← あなたのMy wayはあっち→ あの人のMy wayはそっち↑ そうやって60億通りののMy wayがあったら・・・。
どっか~ん!! 正面衝突!ってことになりませんか?
『善が善であるように、悪は悪ではあり得ない』 なぜなら悪とは、善を誤った方法で手に入れようとする『腐った善』のことだから。人は善のために善を行う人はいるけど、悪のために悪を行う人はいない。悪が求めているもの(お金-名声-異性-自由等)自体は、決して悪ではない。だけど、それを自分の欲望で求め突き進んで行く時、『善』が転じて『悪』となってしまうのです。
この世にあるものはすべて神様が創られた。神様が創られたものに悪いものはない。自然も、人も、人の持つ感情も思いも知識も。なぜ悪が生まれたのか。それが、『Going My way!』つまり、神様の物差しを捨てて、全てを判断基準を自分の物差しにすり変えてしまったから…。「神様の物差しで計ろう!」 この先週のメッセージが心に響く。そして今、いと高きところから語って下さる主の声が聞こえる。
『I am the way. わたしが道である。』 と。
☆マルコだけにある『成長する種』のたとえから。 種の気持ちになってみる・・・。ひんやりとした種倉に、他の種々と一緒にのんびり眠っていたところ、誰かにつまみ出された。あれれ?と思っていると、土の中に蒔かれてしまった。どこだろう、ここ?暗くてちょっと不安になる。でも、包まれている感触が心地良い。しばらくうっとりして時を過ごすと、突然、体がムズムズして来る。何かが中から飛び出すような変な感じ。。。と思っているや否や、体が裂けてしまった!!!でも、元気は元気だし、何か今まで見えていなかった光が見える。そっちへ体を伸ばす、伸ばす、伸ばす。うわ、眩しい!何て温かいんだろう!外にいると喉が渇くな、と思うと、美味しい水が降ってくる。ずっと立っていて疲れちゃうよ、と思うと、何やら栄養源のようなものが下の方から注がれる。そんなことをしている内に、体は知らず知らずどんどん伸びる。
とまあ、こんな風にして私達も成長しているとよいな。茎が伸び、穂を付け、実を生らす。でも、種は特別に何かをしていない。種に必要なことは、内にある力を信じ、土にしがみつき、実が生るという希望をもって忍耐強く時を待つこと。委ねること。種を大切にケアしてくれるその方に。そうすることで、神の国は近づいてくる。そして、神様の声を聞くだろう。
時は満ち、神の国は近づいた。
My wayはWrong way PartII ローマ8:9-17
★「自分に正直に生きよう!」「私は私の道を行く!Going My way!」私もまたそういう気持ちでアメリカへ来た。それが私の生きる道と思っていた。でもちょっと待てよ?、と考える。私のMy wayはこっち← あなたのMy wayはあっち→ あの人のMy wayはそっち↑ そうやって60億通りののMy wayがあったら・・・。
「これは私のMy way!」「これが私のMy way!」
どっか~ん!! 正面衝突!ってことになりませんか?
『善が善であるように、悪は悪ではあり得ない』 なぜなら悪とは、善を誤った方法で手に入れようとする『腐った善』のことだから。人は善のために善を行う人はいるけど、悪のために悪を行う人はいない。悪が求めているもの(お金-名声-異性-自由等)自体は、決して悪ではない。だけど、それを自分の欲望で求め突き進んで行く時、『善』が転じて『悪』となってしまうのです。
この世にあるものはすべて神様が創られた。神様が創られたものに悪いものはない。自然も、人も、人の持つ感情も思いも知識も。なぜ悪が生まれたのか。それが、『Going My way!』つまり、神様の物差しを捨てて、全てを判断基準を自分の物差しにすり変えてしまったから…。「神様の物差しで計ろう!」 この先週のメッセージが心に響く。そして今、いと高きところから語って下さる主の声が聞こえる。
『I am the way. わたしが道である。』 と。