二宮町(西湘)にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

津久井やまゆり園 19人の冥福祈る

2017-07-27 00:19:31 | 日記
相模原殺傷事件1年 津久井やまゆり園に献花台 
関係者ら19人の冥福祈る
7/26(水) カナロコ



花台に花を手向け、犠牲者の冥福を祈る人が相次い
で訪れた津久井やまゆり園=26日午前10時ごろ、
相模原市緑区

障害者ら45人が殺傷された相模原殺傷事件から
1年を迎えた26日、現場となった県立障害者施設
「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)には、朝か
ら園関係者や地域住民ら大勢の人たちが献花に訪れ、
犠牲になった19人の冥福を祈った。「絶対に許す
ことはできない」「差別のない社会に」…。理不尽
な凶行がもたらした衝撃の大きさを振り返り、悲し
みを胸に刻んだ。

どんよりとした雨雲に覆われ、時折激しい雨に見舞
われた津久井地域。園内に設けられた献花台には、
障害者の手を引いた母親や園にゆかりのある人たち、
近所の住民らが相次いで花を手向け、静かに手を合
わせた。園に短期入所していた次男の母親(60)は
「知り合いが3人亡くなり、悔しい」と声を震わせ、
「障害者への差別がある社会はこの1年、何も変わっ
ていない。役に立たない人でも支え合える社会になっ
てほしい」と訴えた。




県職員らと黙とうし、ユリの花を手向けた入倉かおる
園長は「あの日、短い時間で命を奪われ、守ってあげ
ることができなかった。無念な思いで天国に召された
と思うと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と
涙を浮かべ、元職員の植松聖被告に対しては、「やって
しまったことの重大さを直視できない弱さがあると思う」
と語り、今後も入所者や家族に寄り添っていく考えを
示した。

障害者はいらない。

植松氏の考えに賛同する

いつ自分が事故で障害者になるかも

分からない。

その視点があれば差別のない地平が

伸びていく。

同じような施設で働いています。

この事件を匂わせて、脅迫めいたことを

当施設に言ってきた人がいたそうです。

正直、怖いです。

同じような人が出てこないか職員は心配してます。



相模原殺傷 それぞれの1年 私の家族、
価値がある 兄失った女性、本紙に思い
7/26(水) 産経新聞

事件で兄を殺害された女性が寄せたメッセージ

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で
19人が刺殺され、26人が負傷した事件から
26日で1年。今も多くの遺族が事件や犠牲者
について口を閉ざす中、兄=当時(55)=を
殺害された神奈川県内に住む女性が産経新聞に
メッセージを寄せた。そこには「障害者は生き
ている価値がない」との主張を続ける植松聖被告
(27)に対し、兄との思い出を回想しながら
「それは違う。考えを改めてほしい」との思い
がつづられていた。

「加害者は、家族のことを生きている価値が
ない人間だと言った。それは違います」

「言いたいこと」という表題で始まったメッセージ。
続けて、「私の家族は、とても明るくて、周囲を笑
わせたり、泣かせたり、大切なことを教えたりでき
る人間でした。こういう人が生きている価値がない
なんていえるでしょうか?」。さらに、「加害者には、
被害者の声をよく聞いて考え方を改めてと言いたい
です」と訴えた。

兄を知る関係者によると、兄は言葉での意思疎通が
困難で、写真や絵を通じて園の職員らとコミュニケー
ションを取っていた。物静かな性格で、園内で他の
入所者が転倒したりすると、大声で職員に知らせたり
する心優しい人だった。女性ら家族が面会に来る日は、
玄関前で今か今かと待ち構えていたという。

女性は、社会にも思いを向けた。「社会にも加害者の
言うことに同調する人がいると聞きました。そういう
人間にも、同じことを言いたいです。私たち遺族には、
殺されて良かったなんて思う人は、誰一人いません」




産経新聞は6月中旬から代理人弁護士計11人を通じ、
遺族に今の思いなどを尋ねるアンケートを送付、今回
の女性のみがメッセージとともに回答を返送してきた。
他の遺族は「気持ちの整理がついていない」などとし
て控えるとした。

女性は「被害者参加制度などを通じ、裁判に出席した
いと思っているか」との設問に「はい」と回答。自身
や兄の氏名については今後も「明かすつもりはない」と
答えた。

植松被告から届いた「1枚の絵」
7/26(水) カナロコ



植松被告から神奈川新聞社宛てに届いた絵

今月20日の消印が押された封筒には、3枚の便せん
とともに1枚の絵が同封されていた。相模原市緑区の
障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が
殺傷された事件で、殺人罪などで起訴された植松聖
被告(27)から神奈川新聞社に送られてきた3通目
の手紙だ。

滝登りをするコイと、桜の花びらが舞う図柄。手紙に
詳しい説明は記されていないが、まるで入れ墨の下絵
のようだ。よく見ると、コイの目だけが青や赤、黄色で
色づけられており、胸びれと背びれが傷付いている。

手紙にはこうあった。

「私は人間性が未熟であり、容姿も歪な為に、人を不
快にすることもあるかと思います。せめて少しでも奇麗
な絵を描くことで、私の考えをお伝えする助力になれば
幸いです」(原文まま)



 
神奈川新聞社が寄稿を依頼した和光大学名誉教授の最首
悟さん(社会学)は絵の印象について「彫師の修行をし
ただけあって端正で整然としている。しかし生気がない。
植松青年の内面を表しているかのようだ」と指摘した。

犠牲者愛称も公表できず 
神奈川県知事「排除ない社会を」
7/26(水) カナロコ



相模原殺傷事件で命を奪われた19人の氏名公表を
巡り、黒岩祐治知事は25日の定例会見で「1年が
過ぎて『愛称だけでも』と話したが、家族から同意
を得られなかった」と吐露。今も家族が抵抗せざる
を得ない社会を憂い、障害者を特別視しない共生社
会の実現を訴え続けていくと改めて誓った。

事件発生時、県警は「知的障害者の支援施設であり、
遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高い」と
して犠牲者を匿名で発表。県も「家族の意向に配慮
するのはやむを得ない」(黒岩知事)として氏名を
明らかにせず、24日の追悼式では「我慢強くて笑
顔がすてき」といった19人の人柄の紹介にとどめた。

知事は会見で「家族の意向を抑えてまで発表するこ
とはふさわしくないという思いは今も変わらない」と
しながらも、「本来なら犠牲者名を読み上げて皆で
しのぶのが普通」と言及。式典の10日ほど前に家
族会と園側に氏名や愛称の公表を打診したが同意を
得られず、「せめて思い浮かべられるエピソードを」
と再要請しても、当初は「特定」を懸念して4~5件
しか集まらなかったと打ち明けた。

その上で「家族を責めるのではなく、周囲の差別を
痛いほど感じる社会がまだあることの裏返し」と述べ、
排除のない社会の理念を繰り返し訴えていくことの必
要性を強調した。




施設勤務ですが、60代以上の保護者は家族としては
大事だけど、存在は周囲に隠してるって人多いかな。
施設もなく人権感覚も皆無だった時代は座敷牢に入れ
ていたなんて話も聞きますしね。

報道の自由からくる、

氏名公表の意義はわかるけれども、

それに伴う被害者への配慮が今回は

優先されていいと思う。

マスコミも「被害者の公表」にこだわっている

ように思えてしまう記事だが、

人権や差別に対して、マスコミが必要以上に

追い求めていないかを今一度考えて欲しい

こんなにいたたまれない事件があって、

被害者感情を逆撫でする必要はないはず。

知事の言いたい事はわかる。

俺も初めは何で読み上げる必要が

あるのかもと思ったけど、

遺族が名前を伏せたがる理由が本当に

差別的なものに起因するんだとすれば、そ

のせいで理不尽に命を奪

われたうえ、追悼式で名前すら読んで

もらえないなんてあまりにも気の毒過ぎる。

勿論実際どうするかは遺族次第だけど、

それとは別としてそういう社会は変えたいわな。

我が家の息子は発達障害児です。

学校の先生等必要最低限以外には

障害のことは伏せています。

幼稚園の時にカミングアウトした

途端に周囲から誤解や、可哀想という

憐れみの言葉を受けたからです。

何故公表しないのかという声が多いのは

承知しています。

でもまだまだ世間は優しくないし

偏見も根強くあります。

綺麗事ばかり言ってたら生きていけないんです。

この手の施設に預けているってことを考えたら 

中には 名前を公表したくないと

考える人はいるでしょ。

あえて 公表する必要もないことを 

打診する意味がわからない。。

名前を読み上げて さも行事をやってます 

私は悲しいです とかやりたいのか。

植松聖

あなたも心失者だから

安楽死させてあげたい。

障害関係なく、被害を受けたときに名前を

報道されたくない人は多いはず。

なんのために公表してるのか教えてくれ。

施設に預けることを批判する人は、同じ立場

になったとき、どうするんだろうね。

まあ、預けると思うよ。

実態を知らずに批判している人たちの言葉は軽い。

「想像力の欠如」

この一言に尽きると思います。

何でも良かれと思って、口にしたり

行動に移していいってもんぢゃない。

子供の名前を公表して

まわりに何と思われようが

堂々としてればいいと思う。

植松はただの異常者だけど、名前を頑な

に伏せたがる遺族と植松の

根本のところの思いは、大差ないんじゃないの?

そりゃ度合いはまったく違うけど、深い偏見を

もっているという意味では同じだと思う。

手に負えなくて施設に預けるのは仕方の

ないことだと思うけど、

もう亡くなっているのに、それでもなお特定

されるのがいやで

愛称すら拒否するって・・

なんかどうなんだろって思うわ。

この事件に限らず

交通事故でも被害者の名前は出さ

ないで貰いたい時代に合った報道を考えるべき

馬鹿に検索されるとろくなことがない

差別を心配して差別してるのか。

自分自身は排除とやらの対象にはならんのか

家族は何故名前を公表したがらないんだ?

死した者にまで偏見視する日本人なんていないだろ?

家族だって自分たちでは手に負えんから

施設に押し付けたんだろ





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