日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪

『沼地のある森を抜けて』 『エンジェル エンジェル エンジェル』 著:梨木香歩 

2017-06-17 22:40:13 | 読書

 友達の勧めで初めて知った作家、梨木香歩さんの他の著書も読んでみたいなぁ…と思っていた矢先、「今、沼地のある森を抜けてを読んでる」というメールが届きました。二週間前、久々に図書館へ立ち寄った際、タイトルも覚えていたので探してみると、ありました、ありましたよ~。探している本は貸し出し中というパターンが結構、多かった今日この頃。運よく見つけ、「通勤時間を利用して少しずつ読む」という友達より先に読み終わらないペースで(普段は一晩で一気読みが多いのだけれど…)不思議な沼地へと通じる”ぬか床”の話を読み始めました。以下、ちょっと感想メモ

 

『沼地がある森を抜けて』

 亡くなった叔母から譲り受けた、家宝のぬか床。 ちょっと変わった家宝…先祖代々伝わるという、ぬか床を掻きまわす久美。久美の他人との距離の取り方とか、物の考え方だとか…なんだか自分と似てるなぁ…と苦笑しつつ、叔母が残した女学生時代から始まる日記を久美と一緒に読んでいる最中は、心臓の音が聴こえてきたりした。物語なのに…小説なのに。 すっかり主人公、久美の立場になって、叔母の日記帳を覗いているかのようで、きりが良いところで一旦、ページを閉じ、苦笑してしまった。ぬか床の中から入れた筈のない卵が出て来たり、こともあろうか、卵が実際にかえって…おっと、ここから先は言わない方がいいよね。 現実にはあり得ないことが次から次へと起こる訳だが、何故か嘘っぽい気がしない。 こちらが現実かも?と思わせる何かがある。

 初めて梨木香歩さんの小説、『西の魔女が死んだ』を読んだ時、よしもとばななさんの『キッチン』を思い出した(確か、ブログでの感想にも書いた気がする) それは生と死がとても近いということ、文体も似ている気がしたから。 そして今回は「ソフィーの世界」を思い出した。久美の幼馴染、フリオくんの存在。彼の出生が 久美の「ぬか床」と深い関係があること。 

「自分は確かに 存在するのか?」

「自分は何処から来たのか?」(まさか…ぬか床から…?)

フリオの悩みや疑問は ソフィーの 「世界は何処から来た?」という哲学者からの手紙の疑問と一致する。

最初は、一体、この先、物語はどうなっていくのか、ファンタジーなのか、それとも…好奇心と不思議な気分で読んでいたが、実は壮大な世界へと導かれていくのだと、物語の中盤あたりに気付かされる。

 ラストは…中性的な男性?女性?風野さんと予想もしなかった展開に… 自然の成り行きか…。大地、いや沼地に生まれ、沼地にかえる…みたいな。

 自分の存在意義を考え始める思春期…中高生にお勧めしたい一冊。そして人生ある程度、生きてきて色々体験し、中盤に差し掛かった頃、再び読み返すと、また違った感想を持つことになるかも? …ということで、20代以上~中高年にも勿論お勧め☆彡

 

 

 もう一冊、同じ作家の小説で、『エンジェル エンジェル エンジェル』

こちらは介護が必要になった、おばあちゃんの世話をする孫のコウコ、そして おばあちゃんが女学生の頃の物語、二つが同時進行的に進んでいく。コウコの一人称、おばあちゃん(さわちゃん)それぞれ一人称で語られる点が新鮮だった。おばあちゃんが語る部分の一部は旧字体で、その当時の何だか上品で日本的な会話というか、文章の美しさにも心地よいものを感じる。

 孫をかつての学友、「こうちゃん」と重ねているのか… 覚醒した時だけ、孫のコウコを「こうちゃん」と呼ぶおばあちゃんの内情について、コウコは知らないが、読者である私たちは その辺りの事情も見えている。 ちょうどコウコが母に頼み込んで飼うことが許されたエンジェルフィッシュたちの「住まい(水槽)」を洗い、石を入れ、酸素を送り込み、熱帯魚が住む世界を整備、創造したことによって、エンジェルフィッシュにとっては神のような存在かもしれないコウコのように…。

 ソフィーの世界でも、読者は 「物語を上から眺めることによって、全てを知る神のような存在」として、ここに 「ある」 主人公ソフィーは、実は自分が作家によって「書かれた存在」であり、「実在しない」という真実?を知らないでいる。だが、その物語を書いた主人公も、実は、「書かれた存在」だと最後まで気付かない。 では、自分たちはどうだろう? もしかしたら、ソフィーと同じく、誰かによって書かれた物語の中にのみ存在しているの「かも」しれない。西洋のクリスチャンなら、「あらかじめ神によって書かれた人生設計通り生きている」ということになるのだろうけれど…。

 そもそも 自分は確かに「存在」していると言えるのだろうか? これが最大のテーマ。『沼地』も『エンジェル』も。何だか哲学になってきたけれど、実際、生死観も梨木香歩作品のテーマだ。そして おばあちゃんは長年、抱え込んでいた 「こうちゃん」に対する憎悪、愛情と向き合い、遂に孫の顔を見て、孫の中に見えている「かつての旧友、こうちゃん」に謝る。孫のコウコには何を謝られてれているのか分からない。分かる筈がない。おばあちゃんの過去を知らないのだから。それが分かるのは読者だけ。コウコが創造した世界が終わりを告げるとき、やっと学友の「こうちゃん」に謝ることが出来た、さわちゃん(おばあちゃん)の魂は救われる… その時を最後に再びおばあちゃんが覚醒することはなかったのだけれど…。

 

『西の魔女が死んだ』に登場するおばあちゃん。『エンジェル』に登場するおばあちゃんこと、さわちゃん。もし、自分が「肥後もっこす」だった自分のおばあちゃんの物語を描くとすれば、どんな話になるのだろうって、最後はちょっと考えた。  (何年も前に、途中まで書いていたっけ…)

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