こないだ、大村益次郎の所へ行ったときに「津和野藩」の話がちょっとだけ出てきた。
内容は、四境戦争のときに大村益次郎は石州口を担当したが、津和野藩を素通りして←津和野藩は戦わなかった
浜田藩と戦ったっていう話しじゃった。
津和野はバイクに乗っとる頃に何十回も行ったんじゃけど、そういう目で(歴史的な)見とらんかったけぇ
気になって来たわぁ(^^)
ということで、行って来たよ(○゚ε^○)v ィェィ♪
やはり、メインはこの通りじゃろう(^^)
殿町と呼ばれる、武家屋敷の並ぶ通り。
ええ雰囲気の家並みがつづいとる。
津和野の代名詞とも言える、お堀と鯉。菖蒲はもう遅かったのかな。
古い和風の家が並ぶ中にあるけぇ、目を引く津和野カトリック教会。
迫害の歴史があるが、今回は肝心な「乙女峠」へ行っていないので、またの機会に触れることにしよう(^^ゞ
とまぁ、さすがにこのあたりまでは見たことはあったよ(^^)
ほんで、ここからは少しコアな部分へ(^^ゞ
町から少しはずれた小高いところにある、津和野藩主、亀井家の菩提寺「永明寺(ようめいじ)」。
立派な古刹じゃけど、茅葺きというのが珍しい寺じゃった。
お寺の人に聞いたら、西日本でここともう一軒くらいしか知らないらしい。
最初、亀井家の家紋が「四つ菱」っぽかったけぇ、武田の流れかと思ったら「四つ目結」といって若干違うとった(^^ゞ
「四つ目結」は尼子氏の家紋で、亀井家は尼子の家老じゃったみたいじゃね。
毛利に滅ぼされた尼子の家老なら、四境戦争のとき長州が津和野を素通りさせてもらえたのもうなずけるね。
ほいで、建物に感心しよったら藩主の墓に行かずに引き返してしもうた(^^ゞ
まぁ、またの機会に行ってみるわぁ。
寺の山門を出たら正面に「森鴎外」の墓がある。
墓には本名の「森林太郎」と刻んである。
お花も手向けてあって、きれいにしてあったけぇ人気があるんじゃろうねぇ。
観光ガイドのひとが「『しんりん たろう』と読んだ人がおった」って言よったのを思い出した(笑)
もちろん、「もり りんたろう」と読むのは知っとるよねぇ(^^ゞ
そういえば、「坂の上の雲」のワンシーンで森林太郎が正岡子規と清国で出会う場面があったね。
森が軍医として行っとる先に、正岡が従軍記者として行って出会う場面。
あのシーンが目に浮かんだんじゃけど・・・
もしかして司馬遼太郎じゃけぇ、ドラマチックにしたんかのおぉと思ったけど、
調べてみたら、どうやらほんまらしい(^^)
ほんで、森鴎外は10歳まで津和野に住んどったみたい。
以前、中国新聞をスクラップしとったのを思い出したわぁ。
ほんで、森鴎外の生家がこちら。
きれいに手入れされとるねぇ。
すぐ横に森鴎外記念館も有ったけど、値段見て(600円)やめた(^^;
ちなみに生家だけなら100円、両方行けば600円じゃった(^^ゞ
ほんで、津和野藩藩邸なんじゃけど・・・ご多分に漏れず学校(津和野高校)になっとった。
(藩邸とかは公共の施設になっとることが多いね。裁判所や、役場とかね。)
その近くに、当時の建物が残っとった。
馬場先櫓
物見櫓(嘉楽園)
これ、後ろから撮ってしもうとるね(^^ゞ
表は↓
これ、ストリートビューをコピった(笑)
すごいねぇ、ストリートビューあったら行かんでもええじゃんハハハ(^▽^)
何度も行ったことのある津和野じゃけど、意外と楽しめたよ(^^)
ただ、歩いて回るには距離があるけぇ自転車が有っても良かったかも(^^ゞ
津和野城跡とか、まだ気になっとるところがあるけぇ、また行ってみるわぁ。
ほんで、石州口の戦いも気になってきたわぁ(^^;
内容は、四境戦争のときに大村益次郎は石州口を担当したが、津和野藩を素通りして←津和野藩は戦わなかった
浜田藩と戦ったっていう話しじゃった。
津和野はバイクに乗っとる頃に何十回も行ったんじゃけど、そういう目で(歴史的な)見とらんかったけぇ
気になって来たわぁ(^^)
ということで、行って来たよ(○゚ε^○)v ィェィ♪
やはり、メインはこの通りじゃろう(^^)
殿町と呼ばれる、武家屋敷の並ぶ通り。
ええ雰囲気の家並みがつづいとる。
津和野の代名詞とも言える、お堀と鯉。菖蒲はもう遅かったのかな。
古い和風の家が並ぶ中にあるけぇ、目を引く津和野カトリック教会。
迫害の歴史があるが、今回は肝心な「乙女峠」へ行っていないので、またの機会に触れることにしよう(^^ゞ
とまぁ、さすがにこのあたりまでは見たことはあったよ(^^)
ほんで、ここからは少しコアな部分へ(^^ゞ
町から少しはずれた小高いところにある、津和野藩主、亀井家の菩提寺「永明寺(ようめいじ)」。
立派な古刹じゃけど、茅葺きというのが珍しい寺じゃった。
お寺の人に聞いたら、西日本でここともう一軒くらいしか知らないらしい。
最初、亀井家の家紋が「四つ菱」っぽかったけぇ、武田の流れかと思ったら「四つ目結」といって若干違うとった(^^ゞ
「四つ目結」は尼子氏の家紋で、亀井家は尼子の家老じゃったみたいじゃね。
毛利に滅ぼされた尼子の家老なら、四境戦争のとき長州が津和野を素通りさせてもらえたのもうなずけるね。
ほいで、建物に感心しよったら藩主の墓に行かずに引き返してしもうた(^^ゞ
まぁ、またの機会に行ってみるわぁ。
寺の山門を出たら正面に「森鴎外」の墓がある。
墓には本名の「森林太郎」と刻んである。
お花も手向けてあって、きれいにしてあったけぇ人気があるんじゃろうねぇ。
観光ガイドのひとが「『しんりん たろう』と読んだ人がおった」って言よったのを思い出した(笑)
もちろん、「もり りんたろう」と読むのは知っとるよねぇ(^^ゞ
そういえば、「坂の上の雲」のワンシーンで森林太郎が正岡子規と清国で出会う場面があったね。
森が軍医として行っとる先に、正岡が従軍記者として行って出会う場面。
あのシーンが目に浮かんだんじゃけど・・・
もしかして司馬遼太郎じゃけぇ、ドラマチックにしたんかのおぉと思ったけど、
調べてみたら、どうやらほんまらしい(^^)
ほんで、森鴎外は10歳まで津和野に住んどったみたい。
以前、中国新聞をスクラップしとったのを思い出したわぁ。
ほんで、森鴎外の生家がこちら。
きれいに手入れされとるねぇ。
すぐ横に森鴎外記念館も有ったけど、値段見て(600円)やめた(^^;
ちなみに生家だけなら100円、両方行けば600円じゃった(^^ゞ
ほんで、津和野藩藩邸なんじゃけど・・・ご多分に漏れず学校(津和野高校)になっとった。
(藩邸とかは公共の施設になっとることが多いね。裁判所や、役場とかね。)
その近くに、当時の建物が残っとった。
馬場先櫓
物見櫓(嘉楽園)
これ、後ろから撮ってしもうとるね(^^ゞ
表は↓
これ、ストリートビューをコピった(笑)
すごいねぇ、ストリートビューあったら行かんでもええじゃんハハハ(^▽^)
何度も行ったことのある津和野じゃけど、意外と楽しめたよ(^^)
ただ、歩いて回るには距離があるけぇ自転車が有っても良かったかも(^^ゞ
津和野城跡とか、まだ気になっとるところがあるけぇ、また行ってみるわぁ。
ほんで、石州口の戦いも気になってきたわぁ(^^;