つれづれの記

日々の生活での印象

アフリカの諸国   3

2017年05月20日 11時55分37秒 | 日記

2017年5月20日(土) アフリカの諸国  3 

 

 当ブログでは、これまで、アフリカシリーズとして、下記記事

    アフリカの諸国 1 (2017/5/6)

    アフリカの諸国 2 (2017/5/15)

で、アフリカの地理や、国連による開発状況の区分等を取り上げてきた。 

本稿では、現在のアフリカ諸国を理解する上で避けて通れない、植民地の歴史をみることとしたい。

 

◇アフリカの植民地化の完了まで

 ヨーロッパ勢力のアフリカへの進出は、初期は、スペイン、ポルトガル等が、北アフリカやギニア湾の沿岸周辺で、珍品を扱う等が主で、内地までは達していなかったという。

ギニア湾の一帯には、19世紀初頭まで、奴隷海岸、象牙海岸、黄金海岸などと呼ばれた地域があったようだ。アメリカへの奴隷貿易も盛んに行われたが、奴隷制に対する世界の批判の中で、この貿易は無くなっている。 

列強が、アフリカを植民地にする狙いは、何だったのだろうか。 工業化が進んできた欧州で、天然資源や農産物等の原料の供給源に対する必要性が高まるとともに、工業生産物の消費市場の拡大にも繋がったようだ。 奴隷に代わる安価な労働力の供給源ともなっただろうか。 

 このようにして、欧州列強が、我が庭のようにアフリカを分割し、植民地化する動きは、19世紀後半(1880年代)頃から活発化し、先発国、後発国が入り乱れた、熾烈な争いを繰り広げている。 

 

 先発国であるイギリスは、エジプトから南下するとともに、南端のケープ植民地から北上する、大陸を南北方向に進む政策(大陸縦断政策)をすすめた。

一方、フランスも、マグレブ地域(モロッコ)から始まって、東西方向(大陸横断政策)に進み、紅海に面したジブチまで達している。

これらに続くように、イタリア、ドイツ、ベルギーも争奪戦に参入し、古株のポルトガル、スペインも加わっている。

 このようにして、1911年にイタリアが、リビアをトルコから獲得したことで、下図のように、第一次世界大戦直前に、欧州列強7ヶ国による、植民地の山分けが完了したと言われる。(以上 アフリカ分割 - Wikipedia など) 図にあるように、分割の対象にならなかったのは、当時独立を保っていた、エチオピアとリベリアのみだったという。

   

 この、分割されなかったエチオピアとリベリアだが、エチオピアは、一時、イタリアに支配された時期もあるようだ。また、リベリアは、アメリカの奴隷解放後、解放された奴隷たちによって作られた特殊な国家という。

 

 地図で分かるように、植民地の境界線は、川や湖などもあるが、目標がない砂漠地帯では、人為的にならざるを得ない事もあり、緯度・経度による、直線的な国境線も多い。

土着の民族・部族が機械的に分断されることで、後述する植民地から独立する段階で、紛争の要因にもなっているようだ。

 

◇ ドイツの敗戦

 第一次世界大戦の結果、ドイツが敗れたため、ベルサイユ条約(1919)で、ドイツ領の植民地は、当時の国際連盟の信託統治領となり、細分化され、統治国は、図にあるように、次のようになっている。 

 ドイツ領東アフリカ→ルワンダ・ウルンディ (オランダ信領)

               タンガニーカ (イギリス信領)  

              キオンガ (ポルトガル信領  後にポルトガル領モザンビークに統合)

 ドイツ領カメルーン→東カメルーン(フランス信領) 

               西カメルーン(イギリス信領)  

 ドイツ領トーゴランド→東トーゴランド(フランス信領)

                西トーゴランド(イギリス信領  後にイギリス領ゴールドコーストに統合)

 ドイツ領南西アフリカ→南アフリカ信領 

 

アフリカの植民地は、第二次世界大戦後までこのような状況が続いて、次項の、独立の時代を迎えている。

 

◇植民地からの独立

 欧州列強の植民地として、長い間収奪されてきたアフリカだが、下図にあるように、第二次世界大戦が終了した1945年を経て、植民地からの独立が相次いだ。中でも、1960年は、アフリカの年と言われ、多くの地域が独立国(17国)となった。   

    アフリカ諸国の独立時期(ネット画像)

 図にある、第二次世界大戦以前の独立国は、前記2国以外は、イギリスから独立していた

     エジプト(1922年)、南アフリカ(1931年)

だけであり、4国以外の諸国は、すべて、大戦後に独立している。

 

 ここで、独立した諸国を、植民地の宗主国(信託国を含む)別に、国境線と国名を中心に、大雑把に見てみたい。 各宗主国の後の文字は、以下の意味である。

   A1 独立時、植民地の時の国境線は、ほぼ、そのまま引き継いだ所。

      独立後の国名も、そのまま

  A2 独立時、植民地の時の国境線は、ほぼ、そのまま引き継いだ所。

     独立後の国名は変更 

   B1 独立時に、地域が細分(又は統合)されて、独立国となった所。

      国名は、そのままの所と、変更された所がある。

  国名略称:英:イギリス 仏:フランス  伊:イタリア 西:スペイン

                白:ベルギー 葡:ポルトガル 蘭:オランダ 南ア:南アフリカ

 

 英 A1(エジプト)、(南アフリカ)     

      ナイジェリア、タンガニーカ、シエラレオネ、ガンビア、スワジランド        

   A2 ゴールドコースト→ガーナ

      ニアサランド→マラウイ

          北ローデシア→ザンビア

      南ローデシア→ジンバブエ

      ベチュアナランド→ボツワナ(ベチュアナの現地音)

      バストランド→レソト

      西カメルーン→東カメルーン(仏)と統合してカメルーン 

      英領ソマリランド→ソマリア(伊)と統合独立(1960) 

                                                 (ソマリア内戦後、現在も実質分断中)

   B1 アングロ・エジプト・スーダン

         →スーダン→スーダン、南スーダン(2011)

      イギリス領東アフリカ→ケニヤ、ウガンダ

 

仏  A1 モロッコ、アルジェリア、チュニジア、マダガスカル、ジブチ

     A2 東トーゴランド→トーゴ

            東カメルーン→西カメルーン(英)と統 合してカメルーン   

   B2 フランス領西アフリカ→モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、

                        セネガル、ギニア、コートジボアール  

      フランス領赤道アフリカ*→チャド、中央アフリカ、コンゴ、ガボン

                                    *1910年、フラス領コンゴ(現在のコンゴ、ガボン)を包含

伊  A1 リビア→イタリアの敗戦で、英仏共同統治に→独立(1951)

      エリトリア→エチオピアが編入→エチオピアから独立(1993) 

      伊領ソマリア→ソマリランド(英)と統合独立(1960) (ソマリア内戦後、現在も実質分断中)

西  A2 リオ・デ・オロ→西サハラ(非独立国 モロッコが領有権主張 現地に解放戦線)

白  A2 ベルギー領コンゴ→コンゴ民主→ザイール(1971)→コンゴ民主(1997) 

葡  A1 アンゴラ、モザンビーク

    A2 ポルトガル領ギニア→ギニアビサウ 

蘭  B2 ルワンダ・ウルンディ→ルワンダ、ブルンジ

南ア A2 南西アフリカ→ナミビア    

  

◇独立後の状況

  独立後、民族・部族間等の争いが絶えない地域もあり、下図にあるように、大戦後の70年を越える歴史の中で、○○戦争、△△動乱、××内戦等が、各地で生起している。

国名に冠している「共和国」(Republic)は、名ばかりで、独裁的で、政治的に不安定な国も多いようだ。

最近の各国の状況については、次稿以降で取り上げる予定である。

       (ネット画像)

ジャンル:
海外
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« アフリカの諸国  2 | トップ | アフリカの諸国   余談 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。