Yassie Araiのメッセージ

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朝日記170616 徒然こと二題 その2 「モラリティ」

2017-06-16 22:21:14 | 社会システム科学

 

  朝日記170616 徒然こと二題 その2 「モラリティ」

 

(表紙は以下をクリックください↓

朝日記170613 徒然こと 「制度論とモラリティ」と今日の絵 )

~~~~~~~本文~~~~

2.「道徳革命moral revolutionということについて」 [1]

 

徒然こと4 敬愛する友人K.M氏からの問いかけ‘moral revolution’ 

 

敬愛する友人K.M.氏[2]から つぎのような問い掛けがありました。

~~~~

オバマ大統領の広島演説の中で使われている道徳革命( a moral   revolution)という言葉です。

 The scientific revolution that led to the  splitting of an atom requires a moral revolution as well.

 という文脈です。 この言葉を小生は初めて知りました。博学の貴殿なら意味をご存じではないかと存じます。  K.M.

 

五月のばら I

 

~~~~~ K.M.氏(2016・6・13)への返書~~~

K.M.様

 ご発表の原稿をお送りいただき ありがとうございました。先月、原稿資料を添えての質問項目をいただき、そのままご返事もせずに失礼しております。

 Moralityについての二元問題は、アングロ系は大陸のカントの学派から冷やかされ、「アダムスミス問題」として、いまも大陸との思想的および実践な距離はあるようです。 ネットでAdam Smith Problemと引くとおもしろい解説がでてきます。 この辺で文献を読んだりして大分あそんでいました。

彼らは、アダムスミスの「国富論」と「道徳感情論」との表面的なかい離を揶揄したようです。 スミスの前提には、ミツバチが分業で一生懸命働いているが、全体としては合目的に調和がとれた社会になっているとして、功利的市場主義を説いていますが、スミスは一方で 「道徳感情論」でモラリティが社会のその前提として存在していることの意味をつよく認識しています。 

そのモラルの前提は「同意」agreementとして問題の共有化をし、解決を見出し、ルール化していくというものです。したがって問題が起きた時に、人間が生きていくうえでのおとしどころ(rationality)を優先することになるとおもいます。裁判でも裁判員制度や陪審員制度はすぐれて、アダムスミス的です。

 一方、カントの超越主義的道徳律は、神からあたれられた道徳的直観(道徳律)とこの世を生きる個人の嗜好・傾向からの自分の価値意識(格律)とのギャップを前提にそれを道徳的直観からの律との差を明示的(観念的)に表わして位置づける。それを前提としなければかれらは、身動きができない。それを規範のなかに顕わにするといえます(理念拘束型といえましょう) 神の意志という正義rightから出発しますが、それ自身よりも「合法」justificationが結果的に優先します。

 私見をいうなら、メルケル首相が原子力発電の廃止の決定にむけて、道徳律に耳傾けるという結論は、いかにもドイツ的ともみています。 その意味では、ドイツは独走し、その価値観をまた他に、押し付けてくることもあります。 アングロサクソンは、多分 メルケルの結論に対して冷やかであるとおもいます。 

今回のK.M.さんの資料を拝見して、すぐ思い起こしたことはやはり、西洋近代の思考方式のDescriptive(理念を語る)とNormative(ルールとして行動化する)との二元的なmoralityの論理構造をおもいおこしたことです。

この位相を怜悧にとらえておくことは これからも大切であるとみています。

 

今、話題になっている豊洲市場移転案件に、都知事がルールにのっているか、ないか、態度がどうかなど、感情論的にして、単なる形式的な言行一致次元が先行しています。 そこのなかでみなが逆に身動きができず固まります。 とりあえず、規範に違反しているなら、その違反の程度の罰があってよい。 現在の規範が不十分であるなら、これから改訂する。 私は、規範問題を理念問題に一挙に仕上げてしまうのには残念ながら、無理があるように思っています。 

 理念と規範とのズレなどを きちんと見て、これを冷静に埋めていく姿勢が大切であると思っています。 狭く考えるとトラップ(落とし穴)におちて 形式的な矛盾のなかで 思考のモラトリアムにはいり、呻吟につながり、結局レベルの低い出口へと落ちるようにおもいます。

そして さんざ騒いだあとに けろりとわすれ理念も掘り下げられず、規範も形式的に触る程度で 実質なにも変わらないというところに堕ちます。 あとはなにもなかったかのように、さわやかに前向きに,行こう!、建設的にいこう!という言辞のもとで忘れられていくようおもいます。いかがでしょうか。

 

徒然こと5 Moralityについての見解

とりあえず、Moralityについての私の見解の概要は以下です。

 1.Morality = no harm

  人間はfallible(誤りやすい)で、且つ vulnerable(傷つきやすい)存在であることから出発する。

 2.Morality = rationality  

  ひとびとの多くは 理路整然として深く一貫して考えることが得意ではないとする。 それに付け込む悪しき賢い人間(権謀術数)がこれからも支配する。(悪が常に跋扈する) 

  3.The third of persons of rational(超然とした知性的な第三者)の存在の意味

  この役割のひとたちは、上のDescriptiveとNormativeとの溝やズレを埋める歴史的な役割りを担う。また 異なる筋道のrationalityと戦う。(勝ったほうが正当か?)

  

荒井個人の立ち位置としては、核廃絶問題を通じてのDescriptiveな理念の堅持と発信とNormativeな部分つまり現代文明を支える科学技術の役割の推進は 嫌でも並行していくことが人類の存在に課せられた命題として捉えています。

Moralityについて 国民が意識をたかめ、その在り方をつねに矜持していく姿勢は非常に大切です。

その意味で「哲学の時代」あるいはmoral revolutionの時代になります。一方、似非哲学や独断的な宗教からの誘惑も多くなります。

Normativeな相は 制度(論)主義Institutionalismに徹して 問題の在りかと方向性への公開と論議を進めていく以外にないと考えます。 (オバマもこの筋の表現をしていましたね)

その意味では、情報システム論あるいは総合知社会的情報システム技術論は重要な役割りを担います。(情操的な道義主義と、利己的な功利主義への「落とし穴」を如何にかわしていくかが、おおげさにいえば人類の死命を画する、知恵の出し合いの勝負です)

 日本のこれからの存在のための立ち位置もここに立っていかないと 存在そのものが危ういものになります。(トランプ氏が大統領になるかどうかはわかりませんが、日本の国、国民の自律独立が根底から問われてきます。)[3]

 

*The scientific revolution that led to the  splitting of an atom requires a moral revolution as well. 

現在は、キリスト教的なモラルが前提の西洋近代二元論での宗教からの教義規範価値は明示的ベースからはずれる。あとに残されるモラルは 無辜の人へのNo- Harmが基盤になります。いま、それに対する道徳的な掘り下げができていない。その意味ではmoral revolutionが求められているといってよいとおもいます。オバマ氏が「Moral Revolution」と表現した特定の社会思想上の立場や運動が存在しているかは、SNN程度の調査ではみつかりませんでした。

課題としては、価値の多元化で文化価値間での共約不可能性 incommensurablityが さらに焦点があてられることになるとおもっています。

 

 

徒然こと6 所感 「悪意」と「善意」についての論の切り口

 モラリティに関連して、唐突ですが、「確信犯」という語に視点をおくことはおもしろいとおもいます。 多分この言葉は、「犯」というからには、刑法上の術語であろうと思いますが、拡張して広い意味での合法性に対する態度と実行を考えてみると、以下の2x2のマトリクスになります。(マトリクスをご覧ください)

(A)違法の意図から合法の実行手段をとる。

(B)合法の意図から違法の実行手段をとる。

(C)違法の意図から違法の実行手段をとる。

(D)合法の意図から合法の実行手段をとる。

もともと「確信犯」は合法の意図のために、実行手段として非合法的手段をとる(B)との意味であったようですが、巷では、(C)か(A)の意味になっているでしょうか。

一番、憎むべきは(A)の非合法の意図で、合法的手段に乗ってしまうことでしょうか。 

意図の合法性つまり正しさは、実行手段から現れたものが第一義的に判断されるから(B)と(C)の峻別から、社会的制裁の軽重が裁かれることになります。 いずれにしても社会的制裁は避けられませんね。 隠れた問題は、(A)です。 意図の非合法性を、社会がどう見るかですが、

目下、私の思考はここに留まっている状態でこれからの思考課題です。

 

意思と実行手段の合法性についての

マトリクス

実行手段

合法

非合法(含違法)

意思

合法

(D)

(B)

非合法(含違法)

(A)

(C)

 

話がそれてはいけませんが、広い意味で「共謀」conspiracyも、意図と行動において、この二つを含むと考えます。ここまでくると、ここでいう非合法を 「非合法」と「違法」との区別が必要になってきます。

この「非合法」については、私の友人SM氏[4]を以て、軽薄と言わしめたアメリカあたりでは、prima facie injusticeという通念があって、ともかくルールがきまっていない状態では、発話者が自分の価値で宣言する。それからルール作りがはじまる。はじめはinjusticeであってよいといったものです(America is often said a society of injustice .)。複雑な都市社会などで分散化された合法概念distributed justiceとして、これを合法実行手段として実現を図るのですが、こういうのは、相当に高度に知的sophisticatedでないとできない。また、できる人間が専門家あるいは事業者などとして出てくる。 ‘できるひと’あるいは‘できる能力のあるひと’で、rational personのひとつの姿ですね。これがLibertarianであるとおもいます。

一方で、発話者が、他者の関係において、自己の主張を論理化できないひとたち、つまりinnocentな人たちがいるのを知る。 その発話者のprima facie rational ‘Meによって’ 無辜のひとを傷つけるharmfulか。もしそうであるならば、修正されるべきであるとする、そういうmoralityがあります。

morality = harmlessというものであろうと考えます。具体的な案件や課題では、当然ながら、rationalistの間で論理的な合法性への筋でのたたかいがおこなわれことになります。(この思考方式を、Consequentialismとよんでいます)。 これが、いまの社会で機能しているかに注意する必要がありそうです。 特にこういう状況を一つの立場のa rationalistによって、機会均等でなく独占現出になっているかどうかを検証する意味は出てきます。

一般人としての私の希望は、二つありそうです。ひとつはinstitutive society制度(論)的社会として、現実の社会のなかで、agentとinstitutionが機能しているかという問題の見方です。それがharmfulであるか検証し、yesなら、キチンとたたかう「免疫」機能が存在しているか、あるいは、存在しても適格に働いているか、いないかという意味でのモラリティmoralityのとらえかたです。

もうひとつは、もう一度institution以前のルールの基本問題の修正にかえり、そこから、問題の根源、あり方を問い直そうとし、修正と歯止めをかけていこうというものであります。 ドナルド・トランプが出てきたのは、マイナーな修正や改良では立ち行けないということが選挙民のなかで、特に白人中下層が気が付いた現象ともいえます。

 雑駁な筋で話してきましたが、「悪意」と「善意」についての論の切り口として投げかけました。

 

徒然こと おわり。

 

 

表紙は以下をクリックください↓

朝日記170613 徒然こと 「制度論とモラリティ」と今日の絵

 

その1は 以下をクリックしてください

 徒然こと二題 「制度論とモラリティ」 その1 「制度論」について

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