マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

トミーダンカン、知るめぇな

2011-06-26 22:34:15 | Weblog

たまには音楽のことも書かねば、ただの食い意地のはったオッサンのブログになってしまう。
いやもう、なっておるわい。 今回は、わが愛するヒルビリージャズ、またの名をウエスタン・スイングのことを。


    


カントリー&ウエスタンと混同される方もいるかもしれない。だが、少なくとも私はそう理解していない。
たとえば、もっとも知られたボブ・ウイルスはフィドラーで、40年代はB級西部劇にも出演してるが、
同志でありパイオニアの、ミルトン・ブラウンは一切ウエスタンムードで売ったことはなかった。
ボブウイルスも一時期、上記のようにホーンを入れ、テンガロンを被ることもなく、
南西部の人々に向けた田舎のジャズを追及していた。 さよう、ウエスタンスイングはジャズに一番近い。


Bob Wills And His Texas Playboys がスタートするのは1934年、オクラホマ。
ボーカルは、トミーダンカンである。
1911年、テキサス州ウイットニー生まれのトミーは14人兄弟。ラジオから聴こえてきた
ビングクロスビーからはクルーナー唱法を、エメットミラーやジミーロジャースからはブルースを学んだ。
トミーの温かく、時に鼻歌のような、居心地のいいボーカルは、プレイボーイズの看板となった。
歌のほかピアノ、ギター、ベースもこなし、多くのヒット曲も書いた。


  

1937年のリハーサル風景。左から Everett Stover, Zeb McNally, Leon McAuliffe,
Allan Franklin(アナウンサー),Tiny Mott, Herman Arnspiger, Al Stricklin, Joe ferguson,
Bob Wills(中央フィドル), Smokey Ducus,Tommy Duncan(腕組み), Son Lansford, Sleepy Johnson


1942年にトミーは太平洋戦争に応召。メンバーは次々に戦地へ駆り出されて行く。
その頃からバンド内では争いが勃発していた。

ボブの飲酒が主な原因である。奇行が目立つようになり、仕事に穴を空けるようになった。
リーダーなしでの演奏に怒った客の矢面に立たされるのは、メーンボーカリストだったりする。

トミーはボブに待遇の改善を求めていた、1948年。
ある日、ステージの出番前にボヤいていたのを、ボブに立ち聞きされる。
「オッサン、酒ばっかりかっくらって、この頃グズグズやんか。これぢゃアカン、アッハー言うてる場合やないで」
ボブは怒り狂い、ギターのEldon Shamblinに言った。 「Fire!」


「火事だ!」    いや、ちがうだろ。
 
「タバコの火、貸してくれ!」   なんでやねん。

「やつはクビだ!」  これだ、英単語もいろいろ意味があってややこしい・・・。

こうして、ボブは手塩にかけて育てたトミーダンカンを、一夜にして切った。





トミーはその後、自分のバンドを組むのだが、やっぱりボブウイルスとやってる時代がよかったな。

だが、時代は徐々に変わってきていた。 エルビスプレスリーの出現。
ウエスタンスイングからロカビリーに転身するものも続出。 ビルヘイリー&コメッツなどもそうだ。





58年に加入した歌手は、Leon Rausch ミズーリー州出身。

トミーよりぐっと地味になってしまうが、トミーのソフトな語り口ではなく、
線の太い、西部の男をホーフツさせる塩辛声で、これはこれでいい。
レオンを得て、ようやく、トミーの陰から脱することができたといえる。  





1960年のリユニオン・アルバム。 ここで久々にボブとトミーは共演を果たす。
ボブ55歳、トミー49歳。  トミーは成熟したメロウなクルーナーへと進化を遂げていた。

1997年、サンディエゴのモーテルの部屋で彼は心臓疾患で亡くなった。
今年でトミーは生誕100周年。



     

 
トミーダンカンという優れた歌手がいたことを、覚えておいてもらいたい。
そして、ウエスタンスイングという音楽があることを。

そして、この音楽に魅入られた、オレたちみたいな“はぐれ者”がいることを。


来る7月2日(sat) うちのバンド マーベラス桜井& His Hot Fiddle Band が公開リハーサルをするよん。
大阪・高槻市のWestern Saloon  「Route 171」という店で。 リハなのでLive Fee などいりません。
興味お持ちでお近くの方は、どうぞお店まで。 072-674-3160 


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プリンセス・タコヤキ

2011-06-22 14:55:22 | 

    


小説読んだ時から、これ映画化したら面白かろうが、スケールがでかすぎて映画化は困難だろうと
思ってたら、すんなりできてロードショー中。CGの力を借りたら、きょうび何だって可能になる。おそろしや。

会計検査院が、大阪のOJO(大阪城址整備機構)なる団体への不明瞭な税金の支出にメスを入れるべく、
大阪へよこした敏腕査察官3名。リーダーの松平役に堤真一。外人モデルに間違われる才媛、旭ゲーンズブールに誰を持ってくるかと思っていたら、男性にして、岡田将生。ずんぐり太ったおたくタイプの鳥居には、
綾瀬はるか。この逆転のキャスティングは見事だった。





作者の万城目学は、この辺の子だったらしく、街の匂いがぷんぷん。
空堀商店街界隈は、焼け残った家屋も少なくなく、歴史ミステリーの舞台になりそうな気配あり。
豊臣の末裔が買い物してても、別に不思議と思わないだろう。

からほり商店街界隈長屋再生プロジェクトの「萌・練・惣」の3つの複合施設があり、
その一つ、「惣」の中にはワインバーやカフェ、寿司屋、ドーナツ屋などがある。
こういう地道な活動により、朽ち果てて行くばかりの長屋は残り、街は息を吹き返し、ひとがやってくる。

その隣に小洒落た、たこ焼き屋が去年の暮れにできた。





オーナーは高津のワインとお好み焼きの店「Butatama」の今吉さん。





昼間っから大手を振ってビールやワインが飲めるたこ焼き屋は、そうそうない。
名物ポテサラ 250円

店前に「ちょっと高いです!」の表示があり。
開店に際して、からほり商店街にある「こんぶの土居」に相談したらしく、
道南の川汲(かっくみ)の真昆布でとった昆布だしを使う、ぜいたくなたこ焼きなのだ。





たこ焼き7個 350円   14個 650円  一部をソースにした。   

ふむふむ、いいね。大人のたこ焼き。

今ドキのでかいばかりのたこ焼きは品性に欠ける。 昔ながらの小ぶりなタイプに程の良さを感じる。






ワインにして、赤キャベツの酢漬けをたのむ。 150円





キリッと冷やしたイタリアワインにたこ焼き。  こいつぁゴクラクですぞ。


この辺のガキたちがいい味を出す。近所の小学生たちが「ただいま!」と前を通り過ぎる。
街で子供を育ててる感じが残っている。

よそから転入してきたモノにもまったく物怖じなどしない。
学友に「この店な、ちょっと高いねん」てなことを平気で言う。

店長が焼いているのをじっと見て、
「ふ~ん、もう一人のおっちゃんの方が上手いな・・・」
と言われたという。
アンファン・テリブル…恐るべきガキどもだ。



フランスのオイルサーディン。その缶詰用の洋皿。
洒落ている。気持ちは宮津の竹中製缶を応援したいところだが。
料理系の展開を考えているとのことだったので、
今頃は、夜は会員制のイタリアンだかになっているかもしれない。

昼は善良な、街のたこ焼き屋さん。
夜は会員制にして、はかりごとを。

やっぱり、どこか怪しい、ただの下町ではないのである。


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山椒は小粒にして柳吉気分

2011-06-13 02:32:17 | Weblog

八百屋の店頭で青々とした実山椒なんぞが売られていたので、
急に山椒を炊いてみたくなった。


 ← 業者さんに拝借感謝。


短い枝が付いており、これを取るのになかなか骨が折れる。
こういうのは年寄りが上手いわけだ。若いのには辛気くさい作業だ。


近江余呉の徳山鮓さんにいわすと、もっと若い小さなうちに摘み取ると、
枝も一緒に炊いてしまえるというのだが。街場の人間にゃそんな真似できない。


なんとか山椒が炊けたので、昆布と合わして、山椒昆布にする。
昆布はだし用に買っている羅臼昆布。こいつがなかなかいいだしが出る。


これを切るのもなかなか大変である。えびすめみたいに四角く切れば楽だが、
ご飯にも酒肴にもしたいので、細く刻みたいので骨が折れた。

これを炊いて行く。昼日中、懐手しながら窓際に出した七輪で、何度も昆布を返しながら
コトコト炊く柳吉・・・なんてシーンが映画「夫婦善哉」にあったが、
昆布炊くおっさん・・・ちょっと落魄した心持がして、捨てがたい。チビチビやりてぇもんだ。
忙しければ忙しいほど、こんなことをしたくなるのだから罰当たりなこった。
おっつけ本格的に落魄するので、昆布も山椒も首洗って待っていろ。あ、ゴシゴシ…。


  
 

適当に醤油に酒、みりん、酢などで味を調える。
醤油をケチるわけぢゃないけど、ネットで見たぐらいぢゃ、神宗や永田屋や小倉屋山本や松前屋
みたいに黒々と黒光りするような昆布にするにはどうすりゃいいんだろう。もっと煮詰めるのか。


白ごはんにガッポと乗せて食す。 上等上等…。 
もっとツンとさせたいなら水浸時間を短くすればよい。


味は悪かないんだけどな、ウェットタイプでまだまだ修行が足りん。
別段、昆布屋に勝とうとか立てつこうなんて気持ちは毛頭ないのである。

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海の神さん、たのんます

2011-06-10 10:41:24 | 


私の高校は神道系であった。
伊勢神宮の五十鈴川にずぶずぶ入って行って、
禊(みそぎ)をした経験を持つものはそう多くはないだろう。

さて、ここ大阪は住吉大社。
全国二千からなる住吉神社の総本山になる。

この5月で、始まって1800年を迎えた。
1800年だぜ!
奈良も京都もかなわない、とんでもない歴史を持つ。





奈良にも京都にもないものというと、海であり港である。
(日本海側の京都もあるけど)
古代、住吉はすみのえ、アジアに向けて開かれた港だった。





太鼓橋。 別名を反橋。
この神池は港の入り江の名残、という説がある。





婚礼が行われてやがらぁ。 玉砂利鳴らして・・・ちょっといいもんである。


神道系の高校だから、なんぞのお祭りの時に、
待者として行列に参加するバイトをした記憶がうっすらある。


伊勢神宮や出雲大社、明治神宮のような凛とした空気があんまり感じられないのは
私だけではなかろう。畏れ敬うというより、心安くポンポンと手を合わせ
「ホンマに、あんじょうたのんまっせ」と拝んだ、大阪人の気質を反映してるのかもしれない。





ボクらガキの時分は縁日、夜店の楽しさである。
化けもの屋敷に見世物、サーカス。
境内で巨大なカゴの中をバイクがグルグル回っていたという。


片隅に、五大力と書かれた砂利を見つけたら、ご利益ありという。
今どきのパワースポットがある。
若い女性が一人で来てたり、不思議な光景だ。

どうぞ、東北の復興に力をお貸しください。





池田味噌本舗。 19代目主人がまだまだ意気軒昂。
UFOから陽明学までとび出す、85歳。
奥で鍋ひとつで名物住乃江味噌が作られる。 


この界隈というと、ちんちん電車が風景の一部。


線路を撮ろうと構えると、ぴょこんと可愛い男の子が入ってきた。
未来の住吉はキミに託した。





住吉大社を西へ、南海電車を越えて、住吉公園を横切ると
26号線沿い(だったかな)にそびえ立つ、大灯篭。
昔はもう少し海側に立ち、航行する船の灯台の役目を担った。


南へ少し下るってぇと、細井川。 
昔から細かったんだろうが、ここまでぢゃないだろう。

住吉界隈はサツマイモの名産地で、刈り取られた作物は船に積まれて





そのまま川下へ降り、住之江を北上し、淀川から京都へと向かった。

数多くの和歌が詠まれた風光明媚なる地で、
この住之江から遣隋使、遣唐使の船が出て行った。

すっかり海は遠くなってしまった。





もう記憶から消えつつあるが、私も住吉っ子だった。

昭和30年代、住吉の地に住んでいた。  語源通り、すみよし…住みやすかったような気がする。

そこら中、地道で埃っぽかった。 ロバのパン屋やチンドン屋が来た。

畑にいくつも風車が回ってたなんていっても

もはや誰も信じてくれやしないだろう。

コメント (2)
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