晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

戦後左翼史 その47 1966年③ 文化大革命とは? 

2017-06-30 15:48:24 | Weblog

無業者生活になって3か月が経過。これが、理想の「晴走雨読」生活か。晴れた日の午前中は主治医の指示どおり「適度な運動」(?)としてランニング。午後は、近くの図書館で読書を中心としたお勉強も。今まで中々聞けなかった専門家による講演会なども行くようにしています。ただ、発語量が減っているなとは感じています。

 

戦後左翼史 その47 1966年③ 文化大革命とは? 

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

◎1966.6.1道新 赤い国のインテリ ソ連:社会を動かす力に 中国:労農階級の“同伴者”扱い

■1966.6.2道新 中国の整風運動、新段階へ 人民日報改めて呼びかけ 労農兵中心に革命 問題は党内部の追及 「いっさいの妖怪変化を一掃せよ」 中国少年先鋒隊一億に 反党分子闘争に一役

*(*は僕の考え)文革の展開を知っている者(僕を含めて)から見てもあの運動は何だったのだろうかという問いには一言で答えることはできないと思う。中国で一体何が生じ始めたのか。当時の北京特派員からは、党機関紙誌のほか、大字報と呼ばれる壁新聞など実に様々な媒体からの情報が毎日大量に送られてきたが、今起こっていることの全体像やその本質が容易には摑めなかったと思う。それ故に、ミステリアスな興味を引いた面もある。

★1966.6.2道新夕刊 5.20全国警察本部長会議「日共は独自の自主的な革命路線を進めている」 日共の独自性 中国、北ベトナム、北朝鮮訪問(4月宮本帰国) 北朝鮮、北ベトナムと共同声明を出したのに中共とはできず。「赤旗」は「人民日報」などの転載を止めている。

*さすがは、警察。公安同様、日共と中共の関係の変化についてよく情勢を分析し把握している。

■1966.6.3道新 中国の整風運動 北京大学にも波及 “敵からペンを奪え”陸平北京大学校長批判

1966.6.4道新 中共 彭真氏を解任 北京市委の第1書記 市長解任も必要 失脚した“次代の指導者”

■1966.6.4道新夕刊 人民日報「毛沢東思想の新しい勝利」 前北京市長を非難 責任者に修正主義者 北京市民 彭真氏失脚で気勢あげる

外務省 整風運動を注視 権力闘争に敗れる?

*この段階から外務省が権力闘争との見立てを持っていたとしたら秀逸である。

■1966.6.6道新 彭真解任 大躍進の前ぶれか 毛路線一つに結集 知識人ら右派に総反撃

■1966.6.6道新 香港の国府系紙が論評 権力闘争と内部分裂 

*鋭い分析!

◎■1966.6.6道新夕刊 ソ連 “彭真解任”重視 中ソ論争にも重大影響

■1966.6.6道新夕刊 北京市の新委員会決定 北京日報と北京晩報 編集委員会を一新

■1966.6.7道新 中国整風運動の背景 微妙な毛沢東主席(73歳)の後継争い 軍の発言権強まる 林彪国防相実力者の地位に

■1966.6.7道新 北京日報に新編集長 人民日報 北京大学事件で社説 文化大革命の大波

*ここで新聞紙上初めて「文化大革命」という言葉が使用された!

1966.6.8道新 光明日報 揚述氏(科学院哲学・社会科学学部政治部主任)を非難 “反党グループ”の支柱 北京消息筋語る 彭真氏の思想 毛主席かねて警戒

■1966.6.8道新夕刊 整風運動 陳其通(人民解放軍)文化部副部長を批判 軍部高官にも波及

■◎1966.6.9道新 外務省 中国情勢を検討 整風運動 彭真氏は犠牲者 背景に権力争い 一段落すれば中ソ和解も

*権力闘争としての文革が一段落すると中ソ和解になるという外務省の見通し理由が不明。文革の背景に中ソ対立があり、親ソ派が勝利すれば和解をもたらすというのか。この推論の根拠が僕にはわからない。

■1966.6.10道新 中国映画「真紅の太陽」も整風運動のヤリ玉 上海音楽院長(賀緑汀)も非難される 

■1966.6.10道新夕刊 人民日報 整風運動で論評 新たな“大躍進”を予告 「われわれは、古い世界の批判者である」

■1966.6.11道新 「紅旗」誌 整風運動で社説「プロレタリア革命の文化大革命万歳」 文化革命を徹底 修正主義の一掃を強調 中国外務省 外国特派員に取材前に許可申請要求 党機関紙 思想闘争の重要性訴える アルバニアにも波及

◎1966.6.11道新 周中国首相ら党・政府代表団 今月中ルーマニアへ

1966.6.11道新 ソ連が供与 ア連合に1億6500万ドル借款

■1966.6.12道新 紅旗社説 整風のゆがみ警告 知識分子を敵に回すな

■1966.6.13道新 軍幹部を大幅更迭 クーデター防止で林国防相、地位固む 林彪直系部隊北京へ移動 劉少奇国家主席を追放するため

1966.6.13道新 ルーマニア書記長言明 NATO、ワルシャワ条約ともに廃止せよ ソ連党書記長 ルーマニア外相(メネスク)とモスクワで突然会談

1966.6.14道新 中国最高人民法院 外人刺傷犯人に死刑 国際紛争ねらう反革命分子 楊国慶被告を直ちに銃殺

■1966.6.15道新夕刊 中共 南京大校長を解任

■1966.6.16道新 北京放送 共青団(中国共産主義青年団)北京市委も改組 第1書記に李立功氏 

■1966.6.16道新夕刊 ユーゴ国営のタンユグ通信報道 彭真氏、総書記、首相めざす 出世主義の犠牲 周首相 ルーマニアへ出発

■1966.6.17道新 人民日報が発表 南京大学校長(匡亜明)解任 “整風運動”地方に波及 反革命分子の摘発を続行

★1966.6.17道新 日共(春日正一団長)・ルーマニア(チャウシェスク)が共同声明 各国に自主的権利 特権もつ党はありえない 

■1966.6.18道新夕刊 中国の文化革命 教育制度に波及 推薦選抜制を実施 大学入試を半年延期

◎1966.6.19道新 中国(周恩来)・ルーマニア(チャウシェスク)会談 “ワルシャワ条約”討議 周恩来:現代修正主義を攻撃 チャウシェスク:ワルシャワ条約解消を主張

1966.6.20道新 英紙報道 ユーゴ 政治改革を討議 党と政府権力分離か

■1966.6.20道新夕刊 中国各紙 大々的に林の書簡報道 “林彪後継説”裏付けか

1966.6.21道新 人民日報 5.12米中会談での“核不使用宣言”を論評 米は核独占をねらう

■1966.6.21道新 中国 拡大する文化革命 徹底した闘争意識 “平和的変化”考えられず 

◎1966.6.23道新夕刊 中国・ルーマニア首脳 公式会談を再開 中ソ対立問題、全く行き詰る 聞く耳持たぬ中国 

★1966.6.24道新 日ソ共産党 グリシン全ソ労働組合中央評議会議長が代々木訪問 再び接近の動き

1966.6.24道新 ソ連国防相(マリノフスキー)が長文の論文 東欧軍事協力強まる

■1966.6.25道新 人民日報 整風運動 峠越す? 批判行き過ぎに警告

1966.6.25道新 ソ連首相(コスイギン) スウェーデン訪問を中止

◎1966.6.25道新夕刊 険悪化する中国・モンゴル 国境紛争続く

◎1966.6.25道新夕刊 中国・ルーマニア簡単な公式発表 意見の不一致露呈

◎1966.6.25道新夕刊 周中国首相 アルバニア指導者と会談

◎1966.6.27道新夕刊 中国・アルバニア共同声明 対ソ闘争を再確認

1966.6.28道新 ソ連の文芸整風 シニャフスキー事件の余震続きそう 「新世界」などヤリ玉に

◎1966.6.28道新夕刊 周・アルバニア首脳会談終わる 周首相:今夜パキスタン入り アルバニア首相(シェーフ):“中立”(ルーマニアを指す)を激しく非難

1966.7.2道新 結党45周年記念日の人民日報社説 劉、周、林、鄧4氏の発言列挙 後継者の順位を暗示 紅旗 周揚氏も批判(党宣伝部副部長)

■1966.7.5道新 文芸整風 陸定一部長(宣伝部長兼教務院文化部長)に波及か 林(黙涵)中央宣伝部副部長も批判

1966.7.5道新 きょうからブカレストでワ条約首脳会議 米と西独の接近に対処

■1966.7.7道新 進む中国東北の整風 各地で“毛沢東学習”を強化 演劇関係から口火 

◎1966.7.8道新 モンゴルをめぐる中ソ対立 国境紛争頻発 中国の孤立化深める危険

1966.7.8道新夕刊 ワ条約首脳会議 「ベトナム」で声明 ジュネーブ協定厳守せよ 義勇兵派遣の用意

■1966.7.9道新夕刊 AA作家会議開幕祝賀会で陸定一氏解任を示唆

1966.7.10道新社説 東欧首脳会議の声明と宣言

■1966.7.10道新 引き始めた文化革命の高潮 一掃された分子の名を小出しにし、学習運動に熱入れる 次は、経済大躍進

◎1966.7.10道新 AA作家会議 大勢、ソ連非難に不同意 中国、やむなく譲歩

■1966.7.11道新 中共 中央宣伝部首脳を一新 陸定一氏は失脚 新部長兼書記に陶鋳氏

1966.7.11道新 周首相演説 全力でベトナム支援 インドの和平提案拒否 陳毅外相 北爆拡大を非難 米の悪事放任せず

◎1966.7.11道新夕刊 陳毅中国副首相 ソ連を非難 中ソ国境に軍隊 米の封じ込めに同調

■1966.7.13道新 人民日報 中国の学生 新学生改革を提案 “詰め込み教育”排除

■1966.7.15道新 中国 文化革命 底辺に移る 新しい英雄宣伝

1966.7.15道新夕刊 ユーゴ副大統領にポポビッチ氏起用

1966.7.17道新 共産圏諸国の傾向 “教義”より“経済繁栄” 下部からの改革の圧力 

1966.7.18道新 北ベトナム大統領アピール 米侵略に徹底抗戦 ハノイ破壊されようと20年戦争も辞さず 最高国防会議声明 いかなる和平のあっせんも問題外 南北一体 米に“宣戦布告” 平和解決の望み絶つ 部分的動員令公布予備役を招集 南に全面的な支援 全人民の力動員 解放戦線が“コミュニケ” 統一戦線の強化も

1966.7.18道新夕刊 人民日報がホー・アピール支持 米打ち負かすまでベトナムを支援

◎1966.7.19道新 人民日報 ソ連の加担を非難 “和平交渉ありえない”

1966.7.23道新 劉主席 「ベトナム」で米に警告 中国を見誤るな 最大の犠牲になう用意 ベトナム支援 北京で大集会

★1966.7.25道新 原水禁“分裂”世界大会近づく(7.28~8.9) 

・日本原水協(原水爆禁止日本協議会 畑中政春代表理事 日共系)中国と日共対立か 1966.6日共は、世界平和評議会で、ベトナム支援でソ連との共同行動を主張し中国と対立 ベトナムが焦点(*参考)

・原水禁国民会議(原水爆禁止日本国民会議 田中功孔議長 社会党・総評) “お祭り大会”返上へ苦心 

・アジア核禁会議(松下正寿議長 民社党、保守系)

*(れんだいこHPに学ぶ)第12回原水禁世界大会。日本政府、中国代表団の入国拒否、周恩来首相からのメッセージのみ。大会途中でソ連代表が参加を申し込み、原水協の承認に対し中共の意向を汲んだ外国代表が反発。この問題で2日間激論、マレーシア・オーストラリアなど15カ国代表が「分裂主義者(ソ連)の参加を認めない」と退場。中国は、退場グループを北京に召集、日本原水協を「ソ連修正主義と結託し、誤った路線を押し付けた」と非難。赤旗は中国非難。大衆団体を舞台にした日中共産党間の対立であり、その後両党間の対立に発展。 

1966.7.27道新 観測筋が指摘 北ベトナムと中国 ジュネーブ協定めぐり見解の相違存在 べトコンのゲリラ激化 米軍絶滅競争を展開 E.スノー氏の論評 “米中戦争”不可避になる

★1966.7.28道新 原水協 ソ連の参加を断る

★1966.7.31道新 原水協国際予備会議開く(日共系) ぐっと少ない参加国

1966.7.31道新 ユーゴとアルバニア 東欧の両極 正反対の“社会主義”歩む 関係悪化する一途

 

 

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