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楠木新 『定年後 50歳からの生き方、終わり方』

2017-06-19 15:38:59 | Weblog

森友も加計も詰め切れず国会が終った。振り返ると、野党のそもそもの筋立てが間違っていたのではないかと思う。2月のアへ発言「私や妻は認可や国有地払下げには関係ない。関係しているとすれば、総理大臣も、国会議員も辞める」というタンカにとらわれ過ぎてしまったのではないか。それは、いくら追及しても言った、言わない、の話になってしまったからである。

僕は、問題の本質は別のところにあると考える。2014年5月、霞が関(官僚)対官邸(内閣)の闘いの末に審議官以上のキャリア官僚の人事権を持つ内閣人事局が発足した。この時点で、官僚は首根っこを官邸に押さえられ、前川氏の例でもわかるように私的生活さえ監視されるようになった。

僕は、政治家(総理を含む)が、支持者(お友達も含む)からの陳情・要望を受けてそれを実現しようとするのは、当たり前のことだと思う。その場合、その案件が法律や制度に適合しているかどうかを判断するのが行政(官僚)の専権事項だった。ゆえに時として、官僚は政治家にとって最強の抵抗勢力(岩盤)だったはずだ。これまで官僚たちはダメなものは駄目と言えたが、官僚の最も弱点である人事を官邸に握られてしまった。諸悪の根源である内閣人事局を解体すべきと考える。

 

『定年後 50歳からの生き方、終わり方』(楠木新著 中公新書2017年刊)

本書では触れられていないが、そもそも定年について考えたり、準備したり、ましてや迎えることができるということは、とても幸せなことだと思う。会社や組織に勤めていても、倒産、解雇、病気などの理由で途中リタイアしなければならない可能性があるからである。

著者が自分と1954年の同い年生まれということで、同世代としての価値観やこれまでの時代環境が共通しているのではないかということで親しみを感じた。

本書を手に取るのは、題名にある50歳代から再雇用が終わる65歳くらいの方ではないかと思う。ただ、本書を読んでの感じ方には、それを現実的な切実さと言ってもいいが、それぞれの読者の置かれている情況によってかなり違いが生じると思う。

また、本書の優れたところは、ただ他人の退職後を事例的に並べたものではなく、著者が47歳で体調を崩して会社を休職した時に、仕事や人生について改めて深く考えたことが叙述のベースになっているからである。著者自身の迷い、選択、決断の過程が読者に実感を伴って伝わってくるからである。

現在62歳の僕自身のことを振り返っても、35年間勤めた会社を定年退職した2年前は、3月末の退職日の直前まで仕事があり、それなりの責任も持たされていて、定年後の4月からのイメージを持つことができないままに、時間の流れとして第2の会社に入った。もし今、当時の僕のような情況のある方には、本書の内容を実感するのは中々難しいと思う。

その後、今年の3月まで第2の職場で仕事をしたが、最初は、職場環境の違いに戸惑い、モチベーションが上がらず、シフトチェンジに完全に失敗してしまった結果、入社4か月目に体調を崩し死に損ねた。しかし、ある意味、この2年間の経験が今の生活をイメージする上で退職後のリハビリ―期間として良かったのではないかと思う。

それは、本署にもあるように「死」というものを現実のこととして考え、「残り時間」を意識するようになったからである。収入のことも心配ではあるが、今自分が一番やらなければならないこと、やりたいことは何かということを考えた。そして、65歳まで3年間仕事を続けることが決してベターな選択ではないという結論に達した。

本書は、定年後生活のノウハウ本ではない。きっかけ本である。なぜなら、自分自身で考え決めなければならないからである。

 

 

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