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北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

アタッチメント障害と他者視点-西澤哲講演会 その9

2010-08-30 | 被虐待児の心理臨床家 西澤哲さん関連

 


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 心の中に人がすんでいないから、アタッチメントがしっかり形成されていない子どもたちは、他者の視点で、ものが考えられない。それで、いつでも自分の視点でしかものが見えない状態になってしまいます。このような状態を、一般的に、障がい名でなんと言うでしょうか。「アスペルガー障がい」です。アスペルガー障がいの人は、一般的に、空気が読めないということを言われます。他の人たちの視点からの状況が読めないことを「空気が読めない」と言います。だから、そのような意味でアタッチメント障害からも、他者視点の獲得ができていないと言えると思います。


 そのように考えていくと、一方の
ADHDでも虐待性の、反応性のADHDがあるように、「反応性のアスペルガー様状態」があってもおかしくないのではないかと、私、西澤は考えています。

まだ証明もできていないことですが、実際、養護施設で仕事をしていると、思春期の中学生、高校生くらいの年齢の子で、アスペルガーのような状態を示す子は、いっぱいいます。私が仮に彼らのことをずっと知らないでいて、初めて中高生年齢で出会って、診断しろと言われたら、「アスペルガー障がい・高機能広汎性発達障がい」と診断するだろうという自信があります。ただ、私は彼らの生育暦を知っていますから、そのようには診断できません。その子たちには、3歳のころから関わっていて、3歳のころはだれ彼なしにベタベタしていて、「あぁ、典型的な愛着障害だね。」と言っていたのを覚えているからです。
 
 だから、それは今の理屈で言えば、アタッチメント障害で、内的ワーキングモデル、つまり人が心の中に住んでいない状態があって、人が心の中に住んでいないから人の気持ちはわからないし、自分の視点でしかものが見れない状況があるんだという自分の中で理屈が整うので、「じゃあ、アスペルガー障がいとは言えないな。」となるわけです。

それが今、その子が突然目の前に現れたら、アスペルガー障がいと診断したかもしれないと考えると、実は判別はむずかしいように思うわけです。


 今言ったように、アスペルガー障がいの中心的特徴を、「共感性の欠如」とする仮説をとると、このような説明がアタッチメント障害からもできると言えるのです。


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