関西ミドル 雑記帳
不動産賃貸業 元ゼネコン勤務
 




松永安左エ門

軍部に追従する官僚を「官吏は人間のクズだ」と言い放ったほどの官僚嫌い、権力嫌い、そして勲章嫌い。
その彼が、国家の圧力を受けないように、電力会社に自主性を担保しようと考え出したのが九電力体制(現在は沖縄電力を加えて十電力体制)である。
しかも、戦時中、民営の配電会社があったものの、発送電は国家に握られて、全ては国家管理になった苦い経験から、九ブロックに分けた電力会社に発送電、配電全てを握らせた。

松永は著書『可笑しけりゃ笑え』で、イギリスのコールダー・ホール原子力発電所の火災事故について触れている。事故は技術とか放射能の問題ではない。専門的な知識を知らない軍人や役人が天下ってきたことによる人災であるという主旨の事故報告書序論を引用し、最後は自分の言葉で次のように結んでいる。

 「この最近の調査団報告の劈頭第一に書いてあることが、いかに日本の産業大会社や政府の公共企業体等に行われている位本位、鰻上り、立身出世主義、権力による実力などが日本全体を毒しているか、三毒追放位の小毒ではないことを銘記してほしい。」

明治八年十二月一日、長崎県壱岐の印通寺生まれ
造り酒屋や回船問屋を営む商家の長男(幼名・亀之助)として生まれる。

明治二十二年『学問のすゝめ』に感激し、上京、慶應義塾に入学。
明治二十六年父の死により帰郷し、家督を相続、三代目安左エ門を襲名。
明治二十八年、家業を弟・英太郎にゆだね、義塾に復学 生涯の盟友 福澤桃介の知遇を得る。
明治三十一年、退学 福澤先生の記念帳に「わが人生は闘争なり」と記す。
 三井呉服店や日銀、桃介の丸三商会勤務 桃介と共に福松商会を創立
明治四十二年 福博電気軌道の設立に関わり 電力事業に携わる第一歩となる。
大正十一年 九州電燈鉄道と関西電気と合併して、東邦電力を設立し副社長となる
昭和三年  社長に任、一都十一県に電力を供給する
昭和十二年 「電力国家管理案」が発表される
昭和十七年  東邦電力 解散させられ、民営化の時代が終わる。安左エ門は、一切の事業から手を引き、後述の柳瀬山荘にて隠棲生活を送る。
昭和二十四年 満七十四歳
       電力事業再編成審議会会長に推され。
       国家管理によって失敗した日本の電力事業の再生に乗り出し、民営の九つの電力会社に再編
       世論の反対を押し切って、電気料金の値上げを強行した。
       結果としては安定した電力供給を成し遂げた。
       その強行的姿勢から「電力の鬼」の異名を得る。
昭和四十六年六月十六日
         アスペルギルス症(真菌による感染症)に侵され、慶應病院において満九十五歳で逝去する。
 
遺言状 昭和三十六年十二月八日(逝去の10年前)
 一つ、死後の計らいの事何度も申し置く通り、死後一切の葬儀・法要はうずくの出るほど嫌いに是あり。墓碑一切、法要一切が不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、かたく禁物)これはヘドが出る程嫌いに候。財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。彼らがダラクするだけです。(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)
 小田原の邸宅、家、美術品、及び必要什器は一切記念館に寄付する。これは何度も言った。つまらぬものは僕と懇意の者や小田原従業者らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。戒名も要らぬ。以上

 

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