牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

良い牧師として

2017-06-10 18:29:58 | Weblog
テモテへの第一の手紙3:1-7 「人がもし監督=牧師の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」ということばは真実です。
ですから、監督=牧師はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

――自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。――また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。

また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

生駒聖書学院は牧師養成の神学校です。牧師になるためには、神様からの召命と使命感、同時に資質も必要です。この箇所には、牧師としての資質が書かれています。

軸がゆがむと心が揺れます。

召命と資質がしっかりしていると、牧師としての使命に揺れがありません。心の揺れ、揺らぎがなく、天国への道を明確に示し、導くことができます。

それは、神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
明日は日曜日、午前10時は生駒聖書学院教会。午後2時は大阪エリムキリスト教会で礼拝説教です
幸いなるかな=アシュレイ=祝福されたと題してメッセージ。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 勤勉であれ | トップ | 噴火口上のダンス »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL