牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

嵐の海も静められ、平安に望む港へ

2015-10-22 05:21:43 | Weblog
聖書の一言;ルカの福音書8:24-25 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。
イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
イエス様は弟子たちといっしょに舟に乗り、すぐ手枕をして、ぐっすり眠ってしまいました。
ところが突風に見舞われ、弟子たちは水をかぶって危険になりました。
イエス様も一緒でしたが、熟睡中だったのです。でもベテランの漁師たちでも、おぼれ死ぬ恐れでいっぱいでした。死なばもろともと言う覚悟もなく、私たちがおぼれて死にそうです。自分たちのことでいっぱいになりました。今でも同じことが信仰生活で起こります。心配、不安、葛藤、軋轢、矛盾に満ちた世界は、嵐の海に置き去りにされた思いに支配されます。
祈っても叫んでも助けが無く、焦りもがき苦しみます。
イエス・キリストは共におられるのに、何で?と疑問だらけ。
しかし、主の御名を呼ぶ者は、誰でも救われます。イエス様は起き上がって、風と波をしかりつけられ、すると風も波も収まり、大なぎになりました。
昨日は、大会で世界一になったこともある、アメリカ帰りのサーフアーが来訪し、話を聞きました。波乗り越えて、いざ行かん。幸ゆたかなり、太平洋です。波を求めて種子島までもサーフィンでアメリカの仲間と行き、種子島新生キリスト教会での交わりでした。
詩篇107:28-30 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿