牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

旅の恥はかき捨て

2017-04-05 18:29:31 | Weblog
コリント人への第一の手紙4:3-5 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
旅の恥は搔き捨て=旅先では気がゆるんで、無責任、無分別な行動をとりがちだが、その弁解として用いることばです。
日本人は罪の意識が少ないのは、相対的社会だからです。人の目ばかりを気にして、知っている人の目がないとことでは、平気でポイ捨てをしたり、恥ずかしい行為を、隠れてしてしまいます。
見えない神を知らないから、絶対的な生き方ができないのです。いつも愛の眼差しで見守られており、天使たちも見守られている、すばらしい愛の中で生きる自由な存在です。
人間には裁く特徴があります。人の目を気にするだけでなく、自分の価値観だけで人を平気で罪に定めます。自分の行いは、旅の恥は搔き捨て=悪意のない軽い冗談、失敗で、ついやってしまった、恥ずかしいことですませます。
人のしたことは許せず罪として断罪してしまいます。イエス・キリストの十字架ですべての罪が赦されました。その十字架の下にある人生は、幸せです。
最後の審判のあるその日まで、自分も人も裁かず、赦された平安で、幸せに春の日を、活き活きと活動する喜びです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
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