牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

渇く幸い

2017-06-13 20:33:23 | Weblog
マタイの福音書5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

アフリカ宣教で、ケニアのトウルカナへ食糧支援を続けた。食べる物がなく、タイヤのゴムでも何でも口にするような飢餓。水を求めて何日もさ迷う状態。種子島の貧しさの中で白米のご飯を食べることもなく、肉や魚を口にすることもなかった。中学生の頃は片道9キロを歩いて通い、弁当はサツマイモだけだった。それでも山は青く、水は清い島だったので、 飢えることなく、元気に守られている。

現代も食に事欠き、のどの渇きに苦しむこともあるが、この至福の教えは、チャレンジしてくる。餓死する人が食物を求めるように、渇いて死にかけている人が水を求めるように、義に飢え渇いているか。飢え渇いている人が食物を求めるように、渇きで死のうとする人が水を求めるように、義を求める人は幸いです。その人は満ち足りるからです。

そのような義をどこで得ることができるのか。人の行いの義では、到達できません。イエス・キリストが来られたのは、人間の不義=罪やとがを、全て引き受けてくださるためでした。十字架上の渇くとのことばは、全人類の義に飢え渇く幸いを表現しています。十字架上にすべての不義を引き受け、贖いを完成してくださいました。

その事を信じるだけで義とされ、ほんとうの幸いを経験できる恵みの救いです。

義という字は、羊の下に我と書きます。羊は聖書では、世の罪を取り除く、神の小羊キリストの表徴です。羊の下に行かなければ、我だけです。自分だけが義だ、正しいとうるさく言うただしいんだという人は、我=自我だけです。だから我=ガアガアあがあとうるさいだけです。十字架の救いをアーメンと信じて、我=自我だけの人生ではなく、救われた幸いを、満ち足りる人生を味わいましょう。

ありがとうございます。今日もまた天国の完全な義の一日です。感謝します。

愛あれば

2017-06-13 20:27:23 | Weblog
テモテへの第一の手紙5:1-16 年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。
しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。
ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。彼女たちがそしりを受けることのないように、これらのことを命じなさい。
もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。やもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満の人でなく、ひとりの夫の妻であった人で、良い行ないによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、すべての良いわざに務め励んだ人としなさい。
若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。
そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。
というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。
もし信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がそのやもめを助け、教会には負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。

若い時代から牧師としての生活です。テモテへの手紙は牧師への手紙ですが。具体的な人間関係に教えを多く受けています。
年配者には父親に対するように。若い人たちには兄弟に対するように。年配の婦人には母親にたいするように。若い女性には、真に混じりけのない心で姉妹に対するようにと勧められます。
また寡婦に対しても福祉の勧めです。特に家族で助け合う様にとあるのは、現代でも通用する教えです。
愛は支え合うことで成り立つ。ふれ愛、認め愛、ゆずり愛、ゆるし愛。互いに愛し合い、支え愛、助け愛。神は愛です。神を愛する経糸と、互いに愛し合う横糸で、しっかりスクラム組んで、祈り会いつつ、平和憲法の日本になるよう、愛の豊かさを行きましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

胸を張って生きる

2017-06-13 05:36:35 | Weblog
胸を張れる手段を選びなさい

儲けるためなら、どんなことをやってもいいという利益至上主義に陥ってはならない。
不正で得た利益よりも、道義的責任を果たし、健全なる商いによって得たわずかの利益のほうが、はるかに価値があるのだ。

箴言16:8 正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。
稼ぎが多くても正義に反するよりは/僅かなもので恵みの業をする方が幸い。