秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

気比大神=応神天皇=垂仁天皇皇子ホムチワケ

2017-01-08 | 古代史のミステリー


元旦の初詣に福井県敦賀にある気比神宮へ参拝しました。
実は2013年1月にも地域の方々と若狭彦&若狭姫神社参拝し記事に残してます。
ところがその後続けて気比神宮行ったのに、記事にできなかった。
調べてるうちにワケワカランようになったのでした。
あれから4年過ぎて、またもお蔵入りにしないため記録残します。



琵琶湖の北、それほど距離なく大きな山を越えるでもなく敦賀です、
日本海の物資がここに集結したのが納得できます。


日本三大鳥居の一つをくぐり、左に猿田彦神社を過ぎて手水舎。
すぐ横に長命水、同じ水源らしいです。



本殿は国道8号線に面した西の鳥居から参道進み直角、北側に二の鳥居、南向いて本殿があります。



行儀よく二列にずら〜っと並んでました。
社務所やらの建物から左に出てさらに進むと3つ摂社のお社並び、一番立派なのが角鹿神社。
昔はこの近くに鳥居があり、境内の東側が入口だったようです。



前来た時もココがあやしいなと、プンプン匂いましたから。
帰ってから調べたら敦賀の地名はココが元らしいです。

ツヌガアラシトを祀ります。
垂仁天皇の時に朝鮮半島から渡来。
ところが応神天皇の時代に、アメノヒボコが渡来、兵庫県の出石神社で祀られます。

大阪は平野のあかるひめ神社のあかるひめを追いかけて来たんだって。

ツヌガアラシトとアメノヒボコ、名前も、時代も少し違う。


ところが、応神天皇はこの敦賀で、自分の名前イザサワケと、気比の神ホムタワケと名前を交換した。
だから気比の大神はイザサワケとなり、気比神宮で第1の神様として祀られる。


ホムタワケが応神天皇、
似た名前ホムツワケ、あるいはホムチワケは垂仁天皇の皇子の名前です。
后の佐保姫が兄の謀反に味方して兄の稲城で垂仁天皇の子供を出産します。
火をつけられ燃え盛る稲城での火中出産譚をもつホムチワケ。

とてもよく似ていて、どっちがどちらかわからんようになる。

去年11月に伊勢の瀧原宮を参拝した後に書いた記事
2016/11/18 大神の遥宮・瀧原宮と真奈胡神

そこのコメントで触れた時が契機となりました。
「垂仁天皇とサホヒメの間にホムチワケ。
垂仁天皇とヒバスヒメとの間にヤマトヒメでした。
次の景行天皇は、ヤマトヒメの同母兄妹で、景行天皇の子供である双子の皇子の片割れがヤマトタケル。
お詫びして訂正しときます。
本牟都和気命(ホムチワケ)、倭姫命(ヤマトヒメ)、倭建命(ヤマトタケル)みな鳥の伝承持ってて興味深いです。

そして15代応神天皇は、ホムタワケというのとよく似てますね。
チとタの違いだけ…」



ホは稲穂、瑞穂の国のミズホのホ。
一緒にという意味あるいは親しみを示す接尾語ムツ、ムチ、ムタがついたとすると同一だと考えられるという論文発見しました。
20年以上前に発表されてて、その後どう検証されてるかはわかりません。

「記紀の五世紀以前部分の資料的性格(2)」奥田尚 著
東洋文化学科年報第5号 1990年11月

気比大神のイザサワケ、履中天皇のイザホワケ、この微妙な違いサとホも同一だと説明されてます。
詳しくは→ こちら

ツヌガアラシトもアメノヒボコもほんとは同じ時代だとすると、 話がわかりやすくなる。
同じストーリーを名前変えて繰り返してる、

神武、崇神のハツクニシラススメラミコトが同じなのも、
神武、崇神、応神に神がつくのもヒントなんでしょうかね。

またまたこんがらがって来たので、ここで休止。



4 コメント

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Unknown (たぬき)
2017-01-10 08:12:34
ムチ、ムタ、ついでにマチ/マヂ。共に貴人の尊称かと。(共々、ま行、た行)
オホナムチ、、、大国主尊(オホ(大。又はオホ国)ナ(国)ムチ(貴人/領主))


全く別の場所の説話に「イザサ王」と言う背中に篠をはやした山の様な大猪(白猪?)が宍粟の山奥(播磨国一宮(イワ神社)のあたりか?)に出現して荒らし回っているのを聞いた狩人の忠太。じつは都生活が嫌になり逐電した公家の藤原某。功名心を起こして一つ退治してやろう!と
対決。自慢の矢は見事全て命中。するとイザサ王はやおら南東方向へ逃走を開始。やがて明石の浦の海岸に至りそれを追跡していた忠太はやっと追い詰めた!?と思ったのも束の間。
イザサ王は播磨灘に入り泳ぎ出して「鹿の背」の浅瀬を渡り淡路島に上陸して南下を開始
忠太も後を追い舟を仕立て淡路島に上陸。
やがて先山(霊山。先天の富士の山。真東は吉野山、瀧原宮)を登り大木のうろにヨロヨロと逃げ込むのを見てやっと追い詰めた。っと思って件の大木のうろに入るとソコには猪は見えず何やら光る観音様の胸に確かに忠太が放った矢が刺さり流血したお痛わしいお姿を目の当たりにして、その場で改心戒悟なさり剃髪して名を寂忍と改め菴を結び件の観音様を祭ったのが
先山千光寺(延喜元年/901年)の縁起。
境内には、イザナギ、イザナミの二柱神社。弁天社(竹生島は正確に東北45度方向。宮島もほぼ真西)。少し下った別場所には巨大磐座の天岩戸神社/天照大神。

妄想すると、イワ神社のイワ大神(=イザナギ(天照大神/大国主尊))を千光寺に観音様として祭り治したと言う事では無いかと?
凄い (りひと)
2017-01-10 10:01:26
うららさまって本当導かれているみたい。
気比大事ですよね。渡来は二回がややこしいけどもっと昔に来ていたと思ったら理解しやすくなるようにも。のちに着やすくなるはずの土地として。
深堀する時期ではないのでまずはうららさまが現地に行けたのが凄いと思います。1850
Unknown (たぬき)
2017-01-10 10:37:33
気比。ケヒ。ですが、キビやキヒ(キイ)とも読めます。
また、少しひねってケヒ、、、ケイ(慶(淡路島の慶の松原)、「瓊」、「鷄(神話の長鳴き鳥?)」、「経(フ・ツヌ・シ(神)」)、桂(、、、葛。葛城高尾張族)、蛍、黥(入れ墨)、、、)

キビは吉備。瀬戸内海沿岸の要衝を占めた美し大国(最盛期の東境は明石郡(現在の明石市、明石郡、神戸市垂水区と西区)。五色塚古墳(吉備形古墳)があんな場所にある所以か?)。
キヒ/キイは紀伊。紀伊には吉備の地名がありちょっと意外におもいましたが妄想逞しくしたら納得?。

ツヌガアラシト、、、「角がある人」、、、朝鮮半島南部のカヤ地方の王族は権力の象徴として角の生えた牛冠を被っていた。
(後、鬼には角がある。また、武人の兜には勇猛さ権力の象徴の飾り角がある)

籠神社の海部氏秘伝の勘中系図によれば、
天御中主尊=国常立尊=豊受大神=イザナギ尊(神魂命/高木神)=天照皇大神、、、
たぬきさんへ (ulala)
2017-01-10 17:57:02
今年も私の知らない情報お届けくださりありがとうございます。
イザサ王で検索してみました。
謎のイザサ王伝説
http://hach8.web.fc2.com/fudoki/densetsu/isasa00.html
イザサとは火明命のことで、このイザサの名の神を祀る神社が、敦賀の気比神宮、祭神が「伊奢沙(イザサ)別命」って書いてありました。

だいたい気比をケヒと読むのもあやしいですよね。
とりあえず、ここまでで、また考えて見ます。

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