質オザサ店主ブログ

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濠の周りには約1000本の桜@丹波篠山城跡

2017-04-20 | おでかけ・近畿


ずっと以前から篠山いこうと言うてた連れの要望をやっとかなえて、篠山へ。
昔ながらの町並みが残る河原町妻入商家群も歩かんと車でぐるぐるめぐる。


城跡の正門前の広場では桜祭りのようで大賑わいだった。
裏側に回って、無料で駐車できるスペース見つける。



馬場から中に入ってみると、ここでも駐車できたね。

立派な石垣をあがってみると






あたり一面さくら、桜満開で、桜吹雪も美しかった。
いいときに来れたね。
なんで篠山やねんと毒づいてたけど、先の記事の磯宮八幡神社といい、城跡といい、素敵でした。

篠山城は、1609年(慶長14)徳川家康が西国諸大名のおさえとするのを目的に築いた城で、大書院や城郭、石垣などが往時を偲ばせる。





青山神社は、藩主・青山家の祖霊を祀っています。
たまたま現在の青山家の当主を存じ上げてるのでちょっと調べてみたところ、自慢されるだけのことはあると納得しました。


青山氏(あおやまうじ)は日本の武家の一つ。藤原北家花山院流。江戸時代の譜代大名でたびたび幕府の要職にも就いた。

祖先は上野国吾妻郡青山郷(現・群馬県吾妻郡中之条町青山)の出身で、その後、三河国額田郡百々(どうどう)村に土着し、松平氏に仕えたとされる。記録上の初見は松平広忠とその子元康(家康)に仕えた忠門であり、その子忠成は秀忠の側近として近侍。関ヶ原の戦後、加増され大名に列した。宗家は江戸期を通じ、大坂城代、老中などの幕府要職に就き、常陸国江戸崎、武蔵国岩槻、信濃国小諸、遠江国浜松、丹波国亀山など転封を繰り返したが、1748(寛延元)年、丹波国多紀郡篠山(現・兵庫県篠山市)に移封され、6万石で維新を迎えた(→篠山藩)。忠成の三男幸成の系統は美濃国郡上郡八幡(現・岐阜県郡上市)に4万8,000石を領した(→郡上藩)。どちらも廃藩後は子爵となった。家紋は無字銭、葉菊。

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7 コメント

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徳川のブレーン (りひと)
2017-04-20 18:50:53
いい感じですね。東京の青山も青山氏だった気がするけど群馬の吾妻辺りが関係したら超嬉しいです。で額田郡のどうどうですのでムカデ系ですかね。大事と思った語句を掘ってみたいと思います。ありがとうございます。丹波篠山のささは篠ですね。篠笛とかいうので風の神もいそうに思います。8512
りひとさんへ (ulala)
2017-04-20 18:59:52
東京の青山通りは篠山の青山家の江戸屋敷があったとこだと書かれてました。
上野国吾妻郡青山郷が出生地なんですね。

そして丹波篠山は、以前は笹山だったとも確認できてます。
きたきた (りひと)
2017-04-21 09:34:20
ゴールデンウィークにコナンの映画も観に行ってきますけどあれも青山氏の作品、ヒント貰えそうで子供より楽しみにしていますよ。

知識がある一族が大抵天下取りの影いるもの。青山霊園の辺りの謎も解けてきそう。家康は人脈があったんでしょうね。実際に家康はバランスをとっていたんでしょうね。
おばあちゃんの実家の群馬にだんだん集中しちゃいそうですよ。徳川埋蔵金のテレビもよくみていやけど赤城山だったかな?小栗旬が昨日テレビの出てたけど小栗上野介さんも金隠してるという話もありますが、群馬気になりますね。小でオと読みと栗で上野ですか超気になってます。取り巻きに負けない信念を持てるのって今の時代ないですし、過去の偉人が敬意を持てる言えるような方、現在でも出てくるといいですね。
昨日は、テレビで桧原桜のお話でてましたけど、桜の命を憐れむ和歌にその立場のトップの方々が最大の信念も込めて取り継ぐ事で木を現在まで守った。そんな素敵なエピソードでしたよ。桧原っていう字だけでもきになりましたかが、始め和歌を書いた土居さんが果報者だと、桜の木を我が子のように周りの方々への感謝をしている言葉のようで素敵でした。日本の今のトップ達は、下々の気持ちを人間としての立場で捉えられない方多いですね。一世代前の当時に戻らないといけないですよね。まあ大抵親が立派だと子供は〜なのでバランスですけど人間としてまずい事はしつけないといけないですよね、立場じゃなく人間としてあり得ないならもちろん立場にも影響でないとね、親が怒らないと、親の責任ですよ。子に人間としても信念を教えられなかった甘い方に問題出てきてますね。

天智天皇の頃も和歌でお手紙書いても文字にないことばを感じ、また笑いも入れて会話していた方々がいたはずです。それが出来なくなってしまった今、言葉の裏も文字通りしか取れない日本人になってきたのでしょうね。立場による忖度はいけないけどコミュニケーションを豊かにする感情の読み合いは人間性を表現しますよね。ただこれ、相手が感情よめる方への対応であってよんでくれない人のは直接行っていいとも思います。文化の違いも風土の違いもありますから。日本以外にってしみじみ思います、日本ほど相手の為を考える方々はいないと、外国ならコンシェルジュとかレストランの支配人クラスのなれるような人財がいっぱいいます。ただそれも相手次第で対応決めないと日本の心は消されちゃいます。

そんな事はさておき、群馬といえばドイツおたくとしてはクローネンベルクってドイツ村みたいな施設もあったけどどうなってるかな?

ドイツの町のでき方は教会や城の周りに町が出来るイメージですけど日本も古墳時代前にお寺に近い物と山城の周りには集落あった可能性はありそうに思いますね。なので各地の廃寺跡はかなり気になります。

個人的出会った青山さんの印象も含めて青山氏がどういう知識持っていたのか?人間ウォッチと歴史の中の掘り起こしで生活に役立つ知識を得たいと思います。5496 不思議の同じ一族の上屋敷と下屋敷に用事が出来たりとかもあるんですけど江戸時代の時の住人が原因だけではないと思ってます。もっと昔も視野に入れて地形をヒントに東京への理解を進めたいですね、ヒントありがとうございます。9211
りひとさんへ (ulala)
2017-04-21 15:56:42
青山つながりで、参議院議員の青山 繁晴のWikiみたら面白いこと書いてありました。

「兵庫県神戸市長田区生まれ。3人兄弟の末っ子として育った。青山家の祖先は、結婚式を挙げた港区南青山の青山墓地周辺の沼地で関東武士で強盗団であった。また、怪談『播州皿屋敷』に登場する青山鉄山が先祖と父親から聞かされ、家系図からも確認していることを公言している」


箱根駅伝でも青学が今はすごいパワー持ってますけど、青山にもいろいろあるんですね。
だからこそ世直し出来る素質あると解釈も。 (りひと)
2017-04-22 08:39:57
お城でも波多野氏調べていました。関東でもまた個人的な方でも大昔に出会った方のお名前でもあります。その後青山氏ですね。

間違ってはいけないのですが、どんな人間も一族も必ず何か失敗していると思います。うちも含めて。そこに一族の良い悪いではなくカーストでもなくあくまで個性として受け入れて子孫に生かす事が出来たら子や孫も安泰だと思ってます。
それぞれ相性があり近づいてはいけない場所神社もありますので。

ただその地に縁があるのはやはり縁があり何かを望まれたお役目や個性の発揮があるように思います。神社の神職さんも大抵慰霊すると言うと過去の経験を理解してお役目としてやっていた方もありますね。

外国人の方がくるようになった事も過去になんらかの接点があり自然とそこにとも思います。

過去は過去ですけど過去を正しく理解する事で行動が変わって過去の印象が変わっていくと良いですね。

自分のすべき事を信念を持ってやる事、たまたま入った仕事の中に自分がそこにいる意味を感じ取れるかで仕事への取り組みは自分だけでなく他の方への貢献も出てくると思います。

青山さんだけでなく各地の各名字を持つみんながその家系の癖を知って注意すべき所が分かると良いですね。神社に行くより早道であり、理解して考えて訪れたらそれゆえ強力な縁を感じると思いますね。

今、内藤剛さんが加賀にいってますけどそこもありだなあと。それぞれがその地へ貢献しているのでしょうね。

国立競技場の周りも少しづつ変化が起こってくるんでは?なぜか丹波篠山で東京をイメージしてしまいます。

八尾と調布と同じ。まあ私の感覚でしかないのですけど。そうだお城でいくと八上城というのもあるようですね。

あくまで各一族を手前から飛ばす事なく辿る事が大事そうです、近道こそ遠回りで、遠回りほど近道なのでしょう。青山一丁目とかいうけどなんで一丁目なのかな?トンネルがあるのも気になりますね。穴開けちゃったのかなあ?6921
Unknown (TM)
2017-04-23 23:05:38
丹波篠山は聞いたことがありますが、どこで知ったのかが分からないんです。お城でお花見なんて、贅沢ですね。

ところで東京の青山通りにゆかりある人といえば、カレルギー伯爵夫人となったクーデンホーフ光子がいますね。(青山みつ)
地名の歴史を探れば、いろいろ面白い話が出てくるでしょう。
TMさんへ (ulala)
2017-04-24 22:07:42
若いころ、落語家の桂文珍さんがいつも丹波笹山出身をネタにしてました。
そのころから地名は聞いてたけどやっと行ってきました。

クーデンホーフ光子さんて青山みつさんだったのですか。
ヘェ〜だったので調べてみたら、あの有名な香水ミツコのモデルでもあるんですね。
古いその香水瓶あるので、次のブログネタにさせてもらいます(-_^)V

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