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がんと向き合う 命の授業

2017年07月27日 05時11分44秒 | ハチパパのひとり言

昨日のNHKテレビ「あさいち」、親子で学ぼう、がんのこと、家族でどう向き合うかについて書く。

がん教育として、命の授業を全国の学校に画一的にやっていくのは難しい。ゲストの東京女子医大がんセンター長林和彦先生は、学校へ行って生徒に話をする前に、事前にアンケートをとって子供のがんに対する理解度を調査したり、がん患者がいる家庭があるかないかを把握したうえで話をしているそうだ。

東京のある中学の校長先生は、全国に先駆けてがん教育に取り組んでいたが、自身ステージ4の肺がんの宣告を受けたことを公表し、生徒に対してがん患者としての体験を交え、命の授業として取り組んでいることが放送された。この校長先生は、がんであることをむしろ積極的に知人友人などに公表して、携帯メールで日々の生活を情報発信していたという。

また、この中学に林先生を招いたがん教育講演会では、「もし、がんになったとき、強く前向きになれなかったらどうしたらいいんでしょうか」との林先生の質問に、校長先生は「お医者さんはがんに勝とうとする治療をしてくれるけど、がんに負けないという気持ちが患者には大事だと思う」と答えていた。この講演会には全校生徒と先生や保護者が450人も集まったという。

林先生は、苦しむ人の多くはおそらく一人で苦しんでいる、周りには大事な家族だったり、友達、職場の方だったり、支えてくれる人が必ずいるはずという。一人で辛い思いを抱えていないで、誰かに相談してみることは決して恥ずかしいことではない。一人で持ってるものを二人で持てば半分になる。できるだけ多くの人に共有してもらうというのは決して悪いことではないと話していた。

がん患者がいる家庭はたくさんある。それぞれの家庭で、気遣いのあまり家族一人一人が悩みや辛さを話せない、話さないままでいることも多い。しかし、小さな子どもに対しては考慮すべきでも、この放送にもあったように、がん患者やその家族は自分だけ悩み苦しむことなく、周りに思いを曝け出してしまった方がいいかもしれない。

45年も前になるが、横浜の自宅を購入して1ケ月後に、自由が丘から日本橋の大店舗に転勤したばかりの2月、二男が生まれてすぐに妻が原発性肝臓がんで余命1ケ月の宣告を受けた。幼い息子二人を抱えて頭が真っ白になった。

まずは長男を妻の実家に預け、生まれたばかりの二男は、横浜市に相談して山手の聖母愛児園に預けた。結局4ケ月後に妻は亡くなった。このことはハチの家文学館にも何度か投稿しているが、がんと向き合ってきた夫婦の壮絶な生き様は、息子たちには長年封印してきた。息子たちが悲しい思いをするだけだというのが理由だが、ある時「もっと知りたい」と息子に言われたことがある。その時の話をするといつも涙がとまらない。

仕事に関しては私の場合ある意味運がよかった。支店長の計らいで営業課から総務課に配転していただき、残業なしの定時退社を勧めてくれた。職場の周りの理解があったからこそ、妻の看護と息子たちとの面会にも時間を有効に使えた。妻の死の翌月、人事部から連絡があり、故郷浜松の支店に転勤させてもらえた。以来父子家庭20年ということになるが、息子の面倒はおふくろ任せで好き勝手生きてきた自分がいまここにいる。

悩みや苦しみを一人で抱え込まざるを得ない人も多いと思うが、苦しみも悲しみも分かち合える家族、友人、知人がいるといないとでは全然違うと思う。末期がんの余命宣告の4ケ月は無我夢中であったが、妻の死のショックからなかなか立ち直れなかった。しかし、郷里に帰って親兄弟、職場の同僚、高校の親友などに励まされて生活できたことは幸いだった。

家裁の調停委員として離婚などの家族問題を6年経験し、いま非行少年の更生支援ボランティアをやっているいま、よかったと思うことは息子が二人とも塾にも行かないでよく勉強してくれたこと、かの有名な武田修宏くんと小中一緒のサッカーチームで心身を鍛えてくれたことで、非行に走らず育ってくれたことかもしれない。

独りじゃない、家族がいる、友達がいる、先生がいる。45年経ってもがんで家族を失った悲しみは消えないが、人生、長く生きてると、人と人の繋がりが大切なことが身に沁みる。それより何より健康が一番だとつくづく思う。

 

 

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