枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸の入り、春日和・・・

2017年03月17日 | Weblog

 天気が良いと、そぞろ歩きをしたくなる。近くの遊歩道には、椿に馬酔木が風に揺れる。桜の芽も硬いが、可なり膨らんできており、開花を待たれる。這えば起て、立てば歩めの親心とも言う、季節への歓びも含まれる。来月には、花見もあり気が滅入る。

 介護の仕事で疲れるのは、集団での見守りでしょう。大勢の中には、苦手な方もおいでで、まとめて宴会である。個人的には、こういう雰囲気が厭なので、白けてしまう。花見は、酒瓶を片手に、鮨を突きながら、うっとりと眺めるのが佳い。弥生の空の下。

 外に行きたい人には、自分なりの目的があるが、認知症であるからと言って、好き勝手をさせるのは違う。他所の家に入り込んでしまうのは頂けない。草があろうと、気に掛かろうとも、他所さまであるのは伝えたい。話せば理解できるのにしないのは何故。

 施設で気になるのが、言葉使いだが、幼児が使う幼稚な言葉であったりする。れっきとした大人である。認知症であろうとも、人間なのだ。普通の言葉と態度で接したい。声のトーンにも依るが、心の籠もった言葉掛けが太切。言葉による虐待の可能性も。

 イタドリを毎日口にしているが、肩の痛みや、足の引きつりが少なくなる。腰も、先ずは調子がいい。歩行困難時には、枇杷葉温圧療法を遣るが、ちょっと良くなるとしない。携帯懐炉は貼っているのも好い。冷やすと痛みが増すのは、当然であるのも堪える。

 今冬も、早春も、身体に着ることで凌いできた。暖房に頼らず、寒さを堪えることは、何かあった時に威力を発揮する。以前には、スカートを穿いていたが、年寄りの冷や水であると知って、温かな衣類で、調整している。頭寒足熱を実行しているのもいいよ。

 内田康夫・浅見光彦シリーズを読破する。やれやれである・・・、多くの作品の中には、下らないのもあって、読むのに辟易した。全部を読もうと決めたのでそれもまた、諦めて読んだ。今後は、読む気もしない。何度も、繰り返して読む内容ではなかったな。

 リエさんの枇杷葉に、初めてついた花芽。昨年の9月頃には、兆しさえ想わなかったが、10月になると苞が見えてきた。

 


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