枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然のなりゆき

2017年01月04日 | Weblog

 穏やかな小春日和です。休日の天気都合で布団を干すが、庭に広げて枇杷葉の花芽の匂いを嗅ぐ。西側の枇杷葉にも、花芽が団子状態。これは毎年、花芽茶用に決めているので、お礼と詫びを言いながら採る。リエさん枇杷葉には、19枝付いていた。

 サンタ枇杷葉にも、たくさんの花芽で、どうやって間引くか頭が痛い。品種は淡路田中で、我が家にしては、大粒のが生る。昨年は不作で、1粒しかできなかった。今年は、何とか実りそうだが、如何ともし難い。自然に任せること、人間の都合勝手との差だ。

 白枇杷の花芽ときたら、鈴生りの状態。木の成長もあって、ちょっと剪定しなければ、枝が折れそう。直ぐ側の、長崎茂木は、年毎の変化で育ちが悪いのだが、今年は思わぬ咲き具合だ。収穫の時には、可なり減ってくるが、初生りが多く見られる。愉しみ。

 明日は、小寒になる。図書館が開くので寄って来よう。郷土の歴史にも、恩師が関係していたことに、今更ながら感心する。生涯を、埋もれた歴史を掘り起こし、纏め上げた実績を、真実素晴しいと思う。人類は、歴史を辿り往くのだと、感慨深く読んでいった。

 通勤鞄の汚れが目立つ。この鞄は、洗濯が利くので、洗剤を入れて回す。脱水を済ませて、気づいたら、アトムのメモ用紙が水浸しになっている。何十年も持っていたから、惜しくはないが、自分のうっかりにがっかりした。何処かで手に入れなくちゃ。さて。

 枇杷葉に、親しい方の名前をつけているが、高々枇杷葉と思う勿れ、変化の具合に驚くこともある。或いは、枇杷葉に秘かに祈ることもある。願いが叶うとは限らないが、何となく分ることがあってびっくりする。枇杷葉の結界に入るのだろうか。摩訶不思議だ。

 自然からの贈り物には、はっきりしないものが多くある。小さなことにも、ちょっとした変化にも気づけば、何とたくさん受け取っていることか。森羅万象の、あらゆる総ての命の源に、感謝以外の想いはない。生かされていることへの祈りも忘れまいと念じる。

 赤穂浪士の討ち入り。今年は、1月11日が師走十四日となる。月の状態が丁度満月に差し掛かるのであり、闇が無くては討ち入りは適わない。新暦は、単なる日付だけなので、候を失する。大石内蔵助の計算には、年末の日数も入っていたものだろうか。

 年数も大切な発育だが、時として、早くなってくる木もある。自然からの、雨風、光と闇の繰り返しで育つ。


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