枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月、彼岸

2017年03月20日 | Weblog

 二十四節気 春分 太陽黄経0度。昼と夜を、等分に分つ日、とあって春分と云われる。この日は、春の彼岸の中日とされ、毎年三月二十一日頃である。昨日に引き続き、薄日差す天気であるが、雨が降らないのも、鉢物の花が萎れてくる。

 駐車場の草も、次第に育ってきて、椿も明日には咲く様子だ。某新聞の偲ぶコラムに、佐藤さとるさんのことが載っていて、新たなる想いに目頭が篤くなる。亡くなられたのは、二月九日であるが、月日の過ぎ去る速さに呆然となる。しんみり。

 今朝の目覚めは良好で、一日のんびりできる幸せに感謝する。知人のくれた、タイガースのCDを、昨晩はたっぷりと聴き、オリコンチャート・第三位なのを実感する。中学生から高校生になり、漫画ばかり描いていた頃が懐かしく想えるよ。

 DVDも一緒にプレゼントされたので観る。ちょっと期待外れの感も否めないが、時代を感じさせて、思わず微笑む。それにしても、森本太郎さんは、何でもこなしちゃうんだねぇ。凄いなぁと感心する。瞳みのるさんは、おっちょこちょいの役?

 悪魔に命を売って、自由な時間がほしいとまで思う、タイガースが気の毒でもあった。当時の熱狂的なファンのこともあるが、プラーベートも儘ならなかった全員の心情に、気づかなかったことを詫びる。取り分け、岸部おさみさんは大変だよ。

 昔の映像が、観られることにも感謝する。記憶の中にあっても、忘れてしまっていることもあり、当時の懐かしい姿に、自分を重ねる。タイムスリップして、あの頃に往けることも愉しい。観客の中に紛れ込んで、ピー!と叫ぶことも可能だから。

 人生をやり直すことは不可能だが、心の持ち方で、生きられることもある。きっと、神さまがやっと気づいてくれて、これまでの辛辣な歳月を、戻してくれたのかもしれない。自分の生き方が間違っているとは想わないが、今の幸せも大切に。

 リエさん枇杷葉と、長崎茂木の間に、品種は不明だが、5本植えている中、3本に初生りの花芽だ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春やはる・・・ | トップ | 如月、下弦・小潮 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事