枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

敬老の日、文月

2017年09月18日 | Weblog

 旧暦での行事にすれば、何処となく風情があるが、何という気忙しさであろうか。等と思いつつも、昨夜の豪雨に、夜半緊急メールが入って、気になって寝そびれる。勤務変更をしておいてよかった。早出では堪える。本日、敬老の日らしい。

 子どもの頃には、15日であり、前日から他所行きの着物を箪笥から出し、風に当てていた祖母が、何時もよりも早く起き、牛の餌の草刈を終え、少しの湯を沸かして身体を拭き、髪も丁寧に梳かせていた。座布団持ちで、祖母と歩きつつ。

 田んぼの畦には、彼岸花が咲き、朱赤の色が不気味であった。無花果が熟れ、早生の栗が取れる。秋の七草も見え出し、桔梗がひっそり崖に揺れる。帰りは無論、早くから迎えに行く。目当ては折り詰めで、祖母は孫への土産に残すのだ。

 今時の敬老会は、けえろうかと思えるつまらなさで、自分が行く歳になっても御免だ。長生きをして、何一つ好いこともない。歳を重ねると、遠出も億劫だし、第一に他人様と会うことが厭だ。図書館に出向くのも、出来るだけ接触したくない。

 買い物も、大勢の場所は避ける。必要最低限の外出になるが、世間とは隔たりが増すばかり。加えて、仕事を辞めたら、もっと狭くなろう。すばるを相手に過ごすことが、至極当たり前になるようだ。来る者は拒まず、とも言うが疲れる原因に。

 昨日は、嵐の前に枇杷葉を採り、通路の方まで草を抜いておいた。夕方からの暴風雨に、油断して窓を開けていたのに気づいた。多少の水浸しに諦め、掃除をする。ごきぶりの屍骸があちこちに転がる。駆け回っていたのはこれが証拠。

 節分や立春が近づく夕暮れ。そろそろ春の宇宙に転じる一時。この美しい宇宙を観られる幸せに感謝。


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