枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・弥生二十九日

2017年04月25日 | Weblog

 連勤の早出である。昨日、Aさん家に寄って、水だけをもらって帰り、卵のないことに気づく。本日無事に受け取って帰宅する。考えごとをしたり、他のことを話すと肝心の用件を忘れる。歳のせいかな?物忘れであるのか?つまらぬことを考える。

 はり灸さんでの治療が効いて、身体が軽いのだが、つい自分の歳を忘れる。疲労困憊しては愕然とする。介護の仕事が激務なのは、仕方のないことで、業務に携わりたいのだが、これが中々難しいのだ。最近は、考える介護というのも頭脳が。

 職員の数が少なくとも、多くとも、その関わり方で、落ち着くこともあれば、感情が激しくなることにも。丁寧にすればいいとも限らず、阿吽の呼吸が大切だ。でも、マニュアルは何処にも無い。相手に寄り添うことの難しさに、心の中では涙が零れる。

 介護福祉士だからといって、決してプロである筈もない。年齢を重ねた来た相手の、環境の如何に、何処まで触れるかにも因る。認知症は、病気ではない。誰しもが往く路であるのだ。その道が不安定なだけなのだ。核家族なって人情が薄れた。

 便利で簡単な、加えて快適と清潔な生活に慣れると、自分で考えることをしなくなる。疑問もなければ、相手の気持ちを考えることもない。自分の思い通りにならねば、簡単に殺めて、ボロが出そうになれば、隠匿してしまう。悪い手本の政治家。

 大人の人間であれば、一旦、口から出た言葉は、撤回も出来ないし、謝って済むことでもないのだ。公の場面では尚更に、注意して気をつけることで、それだからして大人である。子ども使いではないのよ。性根もなければ、自立できてなく絶句。

 枇杷葉の新芽がすくすくと伸びている。薔薇の蕾にアマコが付いていて、蕾が萎れている。昨年、咲き過ぎたので、今年は少ないのよ。明日は、天気が崩れるようだが、百日紅の枝を揃えておこう。携帯を取りにも行っておかねば。燃料補給も。

 月の美しさ、金星の輝き。お能の『羽衣』を、観ているようで厭きない。奈良・興福寺の御薪能は四座が演じる。

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