再掲/安倍流国家主義的奉仕活動

2016-10-12 08:10:45 | 政治

 稲田朋美が日本独自の核保有の検討を提言していた同じ月刊誌2011年3月号の「正論」の対談で若者の自衛隊への教育体験入隊も提言していたことを社民党の福島瑞穂が取り上げ、10月11日の参院予算委で追及したと「asahi.com」記事が伝えていた。

 次のように発言していたという。 

 「タブーといえば徴兵制もそうですね。教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらうという制度はどうですか。

 自衛隊について国民はまったく知らないし、国防への意識を高めてもらうきっかけにもなると思う。『草食系』といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」

 福島瑞穂「『若者全員に』と言っている。極めて問題で、徴兵制と紙一重だ」

 発言の撤回を求めたという。

 稲田朋美「学生に見て頂くのは教育的には非常に良いものだが、意に反して苦役で徴兵制をするといった類いは憲法に違反すると思って、そのようなことは考えていない」

 他の記事によると、稲田朋美は発言を撤回しなかったという。例の如くである。核保有にしても、あわよくば徴兵制導入を睨んだ自衛隊への教育体験入隊にしても、稲田朋美が内心に確固たる形で築いている思想・信条である。
 
 アダや疎(おろ)かに撤回できない代物となっているから、撤回しない。撤回を求めるよりも、思想・信条をTPOに応じてときにはホンネを言い、ときにはタテマエで通す、その二面性を巧妙に使い分けるカメレオンのような政治家だと、その人物像を世間に一般化させて信用失墜を謀る方が得策である。

 稲田朋美の自衛隊への教育体験入隊発言で思い出したのが第1次安倍内閣時代の安倍晋三の高校卒業後の奉仕活動の提案である。

 国会では日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」を根拠に、徴兵制を苦役に当たるからと反対しているが、安倍晋三は国家主義者で戦前日本を理想の国家像としている。

 愛国心に依拠させれば、愛国心ある者にとっては徴兵は苦役ではなく、喜びであるとすることが簡単にできる。戦前のように「天皇陛下のために・お国のために」と国民の意思を統一させたようにである。

 いわば第18条をクリアできる。

 安倍晋三の奉仕活動の提案を2006年10月12日「ブログ」で取り上げた。今日水曜日は用事があってブログは休みにしているが、そのままのっけるだけだから、題名をそのままに再度記事にしてみることにした。役に立つかどうかは分からない。  


 安倍首相が就任前の自民党総裁選時に大学入学を現行の4月から9月に変更し高校卒業後の4月から大学入学の9月までの5ヶ月間を「例えばボランティア活動やってもらうことも考えていい」と自身の教育政策の一つに考えていることを表明した。

 「やってもらうことも」としているが、安倍晋三のその国家主義の体質からして、最初は控えめ、「ボランティア」が「奉仕活動」と名前を変え、全国一斉の義務化への衝動を抱えているに違いない。

 あるブログから辿りついた東京新聞の記事(『ボランティア義務か おかしくないか』06.10.5)に「著書『美しい国へ』でも、共生社会創造のためには、最初は強制でも若者に(ボランティアの)機会を与えることに大きな意味があると記している」と書いてある。 

 売れないお笑いタレントのダジャレを真似したみたいに「共生」と「強制」を引っ掛けたとしたら、これは悪い冗談となるが、本人の頭の中では「共生」と「強制」はこっそりと〝共生〟しあっているのかもしれない。「共生」=「強制」だと。イコールであってこそ、国家主義者足り得る。常々言っている〝愛国心〟も輝きを放ち出す。

 「最初は強制でも若者に(ボランティアの)機会を与えることに大きな意味がある」

 どう「意味がある」のだろう。ただ直感的な言い回しでは、当方のような頭の悪い人間は理解できず、眠れない夜を過ごさなければならなくなる。

「すべての子供に高い学力と規範意識を身につける機会を保障するため公教育を再生する」ことを政策として掲げているが、「強制」した「ボランティア活動」がどのような学習意欲を刺激して、高校生の規範意識に結びつき、人格形成、もしくは社会意識の涵養につながると考えているのか、直感からではない具体的な説明が欲しい。安倍氏の頭では無理か。
 
  同じ東京新聞に、「東京都が先行している。来年度から、全都立高校で一単位年間35時間の『奉仕』が必修化される『規範意識を身につけさせる』ことを狙いとし、ボランティアではなく『奉仕』と呼ぶ理由を、都教育委員会は『自発的に行うのではなく、教育課程に組み込み必修とするため』と説明している。活動例では河川の清掃や災害での救護、高齢者介護などを挙げる」とある。

「ボランティア」は「自発的に行う」ものだが、「奉仕」とは「自発的に行う」ものではなく、「必修」という形式の〝強制〟作業だとする解説となっている。「河川の清掃や災害での救護、高齢者介護」等々、様々な活動に振り分ける。あれをしなさい、これをしなさいと。

 日本では「規範意識を身につける機会を保障するため」という名のもとに行われる「ボランティア活動」だが、強制性の違いはあるにしても、中国の文化大革命時代、青年及び女子を思想矯正の名のもと指定した農村に移住させるべく強制的に振り分けた〝下放〟と重なる部分があるように思えて仕方がない。あるいはポルポトが都市の知識人住民を農村に強制移住させて、農業に従事させたときの振り分けに重ならないだろうか。
 
 「日本ボランティア学会に属する国学院大学の楠原彰教授(教育社会史)は批判的にみる。
『ボランティアは義務化されるものではない。安倍政権のいうそれは実態としては奉仕のこと。ボランティアは自由な精神が基礎で、奉仕には国家や公に尽くす意味合いが強い』

 そのうえで、楠原氏は『ボランティアの基本には公共性や福祉の意味を考える作業があるが、奉仕は国家に思考を預けてしまうことで、若者の自由な批判精神を奪いかねない』と話す」(同東京新聞)

 このオッサン、バカなことを言うなあと思った。元々日本人は権威主義を行動様式としているのだから、「自由な批判精神」など満足に機能させているわけがなく、国家だけではなく、自己以外の他者(マスメディアの情報等や上司と言った上位者)に専ら「思考を預け」た自律性・主体性なき国民なのである。

 だからこそ安倍晋三の支持率は高いものとなっている。

 また安倍晋三は国家主義者なのである。伊達に国家主義者をしているわけではない。特に若者を対象に「自由な批判精神」を持たない日本人の思考を優先的に国家に「預け」させ、国家に従属させる。元々それが狙いなのである。

 安倍一派の言う〝愛国心〟の具体像は国民の国家への従属の姿なのである。奉仕活動の強制性を利用して元々満足に機能していない「自由な批判精神」を完全機能停止状態に仕向けて完璧なまでに従属精神を植えつける。最後の段階として、その従属性を国家を発揮対象とさせる。

 そのような国家への従属が〝愛国心〟の完成形となる。国家主義の完成でもある。安倍晋三の勝利の瞬間ともなる。安倍晋三が望む「(国を)命を投げうってでも守ろうとする」とは、国民が命を捧げてまで実践して欲しいとする国家への従属への期待を示す言葉であろう。

 このことに対抗する国民の側の有効な方法は、奉仕活動を越えなければならないハードル、あるいはその時期さえ我慢すれば逃れることのできるノルマとすることだろう。権威主義の行動様式に呪縛されて元々自律性・主体性なき国民・民族である。ハードルにするにしても、ノルマと見立てるにしても、いとも簡単にできるはずである。

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