前原若造自著言及の2009年民主党マニフェストに関わる小沢一郎氏への薄汚い責任転嫁

2012-11-08 10:51:24 | Weblog

 国家戦略担当大臣だか何だか知らないが、前原誠司が今頃になって、近く出版予定の自身の著書の中で民主党2009年マニフェストの高速道路無料化やガソリン暫定税率廃止政策は「当初から納得できなかった」ポピュリズムだと言い出しているらしい。

 記事は「告白」扱いしているが、薄汚く責任転嫁することで逆に自己を正当化する詭弁としか言いようがない。

 《09年公約はポピュリズム=前原国家戦略担当相が著書で告白》時事ドットコム/2012/11/07-17:54)

 著書名は『政権交代の試練 ポピュリズム政治を超えて』(新潮社)

 前原誠司「違和感を拭えなかったのは『国民の生活が第一』とのキャッチフレーズ。単なるポピュリズムで政権を取っても自民党以上のバラマキになるのではないか」

 記事は解説で、〈小沢一郎元代表(現在は新党「国民の生活が第一」代表)を中心に作成された民主党の2009年衆院選マニフェスト(政権公約)に当時から不信感を募らせていたことを明らかにした〉としている。

 前原誠司(小沢氏に関して)「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」

 何を言う若造め!

 前原誠司(民主党の政権運営に関して)「国民の信頼感を揺るがせたのは統治能力の問題だ。『非自民』の側面が矛盾となった。将来的には今と違う政党の枠組みを模索することもある。『保守の再編』を実現したい」――

 「『非自民』の側面が矛盾となった」と言っていることが具体的に何を指摘しているのか理解し難い。

 次の記事がより具体的な発言となっている。

 《前原大臣“民主の統治能力に問題”》NHK NEWS WEB/2012年11月7日 5時18分)

 前原誠司(民主党の政権運営に関して)「国民の信頼感を揺るがせたのは統治能力の問題だ。『非自民』の集まりという政党の一側面が矛盾となって吹き出し、それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって、政治の混乱をもたらす一因となってしまった。

 日本の2大政党制は、今なお過渡期にあり、何より重要なのは日本をよりよく変えていくために力を合わせることだ。将来的には、同じ理念や方向性を抱くグループを結集し、今とは違う政党の枠組みを模索することもありうる。よい意味で『保守の再編』を実現したい。

 (政権交代した3年前の衆議院選挙に触れながら)政権がおかしくなり始めてから選挙を先送りしてもむだだ。現在の民主党政権にとっても大きな参考になるに違いない」

 最後は早期解散論の唱えである。

 要するに鳩山・菅・野田の歴代首相が「統治能力」を欠いていたために「非自民」の要素だけで集まった集団であったことが災いして、「それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって、政治の混乱をもたらす一因」となり、「国民の信頼感を揺るがせた」。

 政治混乱を「統治能力の問題」と把えている以上、「統治能力」を備えていたなら、「それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって」いたとしても解決する「政治の混乱」ということになる。

 でなければ、統治能力は常に無力ということになる。

 良好な政権運営も国民の信頼獲得も統治能力がキーワードとなるということであろう。

 前原若造は統治能力を必要不可欠のキーワードとしながら、同時に統治能力は必要ではないと言っている。

 「何より重要なのは日本をよりよく変えていくために力を合わせることだ」と言って、それを可能とする基盤として「同じ理念や方向性を抱くグループを結集し、今とは違う政党の枠組み」を挙げているが、「同じ理念や方向性を抱くグループ」であるなら、難しい統治能力はさして必要とはしない。

 同じ理念と同じ方向性、それ自体が、基本的にはその集団を既に統治状態に置くことになるからだ。

 逆に「グループの理念や政策の違い」を抱えた集団にこそ、厳しいまでに統治能力は必要不可欠の才能となる。
 
 だが、前原若造は統治能力を問題としながら、統治能力をさして必要としない「同じ理念や方向性を抱くグループ」の集まりを渇望している。

 この矛盾は前原自身が統治能力を欠いているからだろう。鳩山・菅・野田の歴代首相が「統治能力」を欠いていたために「日本をよりよく変えていくために力を合わせる」ことができず、混乱だけを招いたということは前原自身、重要な党幹部として、あるいは重要な閣僚として、「日本をよりよく変えていくために力を合わせる」側面からの支えにもならなかったことの証明であって、自身の統治能力の欠如の反映以外の何ものでもあるまい。

 だからこそ、統治能力を殆ど必要としない「同じ理念や方向性を抱くグループ」の集まりに憧れ、そのような安全地帯に安住したいということなのだろう。

 自身が民主党代表時代の偽メール事件でも統治能力を発揮できず、責任を取って代表を辞することになった。発揮できなかった者が統治能力を云々するのは滑稽である。

 さて、「国民の生活が第一」のキャッチフレーズのどこがポピュリズムで、どこに不都合があると言うのだろうか。国民の生活が総体的に成り立たなければ、同時併行的に日本の経済が成り立っていないことを意味する。日本の経済が順調に成り立っていれば、少なくとも国民主権の民主主義社会に於いては同時併行的に国民の生活は成り立っている状況となる。

 いわば国民の生活を成り立たせるためには先ず第一番に国の経済を成り立たせて、その利益が国民に再配分されるように国の制度・社会の制度を成り立たせなければならない。

 あくまでも政治は国民の生活を成り立たせるか、成り立たせないか、経済が基本となる。

 例えマニフェストの政策自体がバラマキとなっていたとしても、前原は民主党所属の単なる一議員としてではなく、重要な幹部としてそのマニフェストを承認し、そのマニフェストで2009年総選挙を戦い、政権交代を果たしたのである。

 いわばマニフェストに対する共同責任を単なる一議員以上に負った。

 もしマニフェスト政策に「当初から納得できなかった」と疑問を抱いていたなら、一抜けたと民主党を去るべきだったろう。

 だが、去らなかった。

 そういう経緯を踏み、マニフェストに多大な共同責任を負った以上、小沢氏が「政権を取れば後はどうにでもなるとの考え」に立っていたとしても、政権交代を果たして以降、「政権を取れば後はどうにでもなる」“どうにかする”の一大覚悟へと転換、その覚悟を持って政権運営に突き進むべきだったはずだ。

 ところがマニフェストに書いてない消費増税法案成立に「不退転」の一大エネルギーを注いで“どうにかした”ものの、マニフェスト政策の実現に関しては、“どうにかする”の覚悟を疎かにした。

 無駄なエネルギーを注いで成立させた消費税増税が2014年4月8%、15年10月10%なら、次の総選挙のマニフェストに正々堂々と書いて、正々堂々と選挙を戦ったとしても間に合ったはずだ。

 “どうにかする”の一大覚悟がなかったためにマニフェストに書いてあることが疎かになり、マニフェストに書いてないことをやらかす逆転現象を引き起こした。

 このような自分たちの振舞いを棚に上げて、あるいは自分たちの共同責任には頬被りをして、今更ながらに「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」と小沢氏に責任をなすりつける。

 青臭い若造こそが、こういった責任転嫁を用いた自己正当化の詭弁・策略を得意とする

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