個人性から出た行動を民族で価値づける日本人が存在する限り、日本民族優越意識は永遠の命を獲得する

2014-05-22 09:30:46 | 政治

 


      生活の党PR

       《5月16日(金)鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例記者会見要旨》

      『安全保障の問題、国会で徹底的に議論すべき』

      【 質疑要旨 】
      ・集団的自衛権に関する議論について  
      ・衆議院選挙制度改革について      

  ――日本人の立派な善行・功績は民族で価値づけ、悪行・不正は個人性で価値づけるご都合主義が日本民族優越意識を蔓延させている―― 

 ちょっと調べ物をするためにインターネットをうろついていたら、 昨年9月、台風18号で増水した大阪市の淀川で溺れていた小学生を川に飛び込んで助けて、同年11月に安倍晋三から内閣総理大臣感謝状を授与され、同じ11月に天皇から紅綬褒章を授与された中国人留学生厳俊さん(26)が実は中国人ではなく、チベット人だとする説がインタネットに流布しているらしいことを知った。

 らしいと言うのは、流布の状況を詳しく調べたわけではないから、らしいとしか表現しようがない。 
《【悲報】ネトウヨ 「小学生を助けたのは中国人ではなくチベット人」→ソースを求められ、火病る》(READ2CH/2013/09/20) 

1 + 3: リバースネックブリーカー(北 海道)[] 2013/09/20(金) 22:32:02.55 ID:u3sA830y0 (1/1) ポイント特典                                                                                                                      
「人命救助したのはチベット人」という荒唐無稽な話。
どっからわいてきたんだ? とツイートを遡ると、「○○から聞いた」と伝聞元を書いているツイートは
「facebookで小名木善行さんが言っていた」とか「ねずさんからの情報」と記載していました。

検索してみた範囲では、そのほかに引用元を記した発言は出てきませんでしたので、9月19日午後の
時点で「チベット人説」を唱えた発信源は、「小名木善行」氏(旧ハンドルネーム「ねずきち」現HN「ねず」
「ねずさん」、他にweb上では「小名木伸太郎」名の記載も)がfacebook上に書いた発言であろうと思われました。

・FBより:小名木 善行さん テレビなどでは一斉に中国人の美談として過熱報道していますが、この厳俊君、
 中国人は中国人でも、漢民族ではありません。チベット人です。

・中国人留学生の厳俊さんが大阪の淀川で小学生を川に飛び込んで救出しました。中国人の美談として
 報道していますが、この厳俊さんは漢民族ではなくチベット人です。チベット人と漢人はでは民族がまるで
 違い、チベット人のDNAは日本人にそっくりです。

・ねずさん からの情報です。この厳俊君、中国人といっても漢民族ではなく、チベット人だそうです。

・どうりで!納得したよwww (*≧∀≦)ノ☆・゜:*メチャウレシィ☆・゜:*

・淀川で小学生を救ってくれた留学生。 チベット人なんだよね。 中国人って報道するな!

小名木氏曰く「ソースを明かせば、その方に迷惑がかかるから言えない」そうです。
よくわかりませんね。僕個人の感想は彼がチベット人だという根拠が分からないし、
勝手なこじつけだと思うのですが…

 「小名木善行」氏が事実チベット人説をぶち上げたのかどうか分からないが、事実と前提とすると、「小名木善行」は川や海に飛び込んで溺れた人間を人命救助する勇気ある行動は民族の血が為さしめ、民族単位で行われる行動だと価値判断したというになる。

 このことは、「チベット人のDNAは日本人にそっくりです」の言葉に如実に現れている。いわば人命救助のような立派な行動は日本民族の血として持っていて、日本人も良くする行動だとの言い替えである。

 そして中国人留学生厳俊氏をチベット人だとしたということの意味は、中国人は人命救助するような、中国民族としての血は持っていないと、民族単位で価値判断したということである。

 民族単位で似通った環境の生活を歴史としていることから民族に応じて似通った性格を持ち、そのような性格に基づいた似通った行動を取ることはあるが、何かを為す・為さないの行動はどの民族であっても、至って個人性が影響する。

 民族の血がすべての行動を決めるとしたら、どの民族に於いても犯罪者が存在することは理解できないことになる。すべて犯罪者で成り立っている民族が存在したとき、あるいは逆にすべて善人で成り立っている民族が存在したとき、初めて民族の血がすべての行動を決めると言うことができる。

 そうではないにも関わらず、日本人の悪行・不正は個人性で価値づけながら、中国人や韓国人の悪行を民族の血で価値づけ、一方で日本人の立派な善行・功績は民族の血から出た行為と価値づけて、中国人や韓国人の立派な善行・功績は民族の血とは無関係の行為と価値づけようとする、矛盾したご都合主義の民族価値論とも言うべき言論が横行している。

 自民族の立派な善行・功績だけを民族の血で価値判断する偏った考えは自民族優越論を蔓延させる病根としかなり得ない。

 「小名木善行」の上記「チベット人説」を批判する記事にも、民族単位で人間を価値判断している記述があった。

 〈中国は広いので、地域によって顔も体格も違う。あの手のゴツい顔と体格は、北の出身です。チベット族はもっと貧相。そもそも泳げないw ネトウヨの「国籍透視」は何の根拠もない妄想だけなので、信用できない。中国に行って、25年くらい放浪して来いw〉――

 日本人が書いたのか、在日中国人が書いたのか、あるいは中国系日本人が書いたのかは分からないが、〈チベット族はもっと貧相。そもそも泳げないw〉と民族単位で、あるいは民族の血で個人性を括っている。

 チベットに海は存在しないが、湖をあれば、川もある。調べたところ、インダス川はチベット自治区のマナサロヴァル湖近くのチベット高原から始まり、中国領、インド領、パキスタン領を流れて、アラビア海に注いでいる。

 湖や川が存在したなら、泳げるチベット人の存在の可能性は否定することはできない。日本人はかつて海水浴の習慣がなく、明治以降、外国人の海水浴の影響を受けてその習慣を身につけるに至ったそうだが、その習慣がない時代であっても、武術としての水泳は存在していた。

 子どもたちが川で水遊びして、身体的本能から自然と泳ぐことをした可能性にしても否定できない。少なくとも犬の泳ぎを真似て犬かきぐらいはしたと考えることはできるはずだ。

 ネトウヨを批判しながら、ネトウヨが犯しやすい個人の行動を民族単位で価値判断する過ちに自らも陥っている。

 「小名木善行」なる人物がどのような主張を行っているのか、ネットを調べてみた。

 「民族の価値観」ねずさんのひとりごと/2013年12月18日) 

 米国憲法と大日本帝国憲法を比較した上で、次のように記述している。

〈ところがわたしたちの国では、頂点におわす天皇は、政治権力者ではありません。
その政治権力者を親任するお立場です。
つまり天皇は、政治権力者よりも上位のお立場にあります。

わたしたちは、天皇の民であることによって、政治的権力者や、人の上に立つ人にとっての私有民や奴隷となることなく、また人の上に立つ人たちは、常に部下たちは天皇や親御さんから預かった人たちとなるという、世界に類例のないありがたい立場に、古代以来、一貫しておかれてきたのです。
これは究極の民主主義といえます。
なぜなら、民衆が政治権力者の私物にならないからです。

大日本帝国憲法の前文に示されている理念は、わたしたちの国が、古来から持ち続けていた天皇と公民の概念、そして君民一体の思想です。〉――

 そして、〈この君民一体こそが、日本に古来からある歴史伝統文化に基づいた無意識に共有する理念ないし価値観です。〉と、これを以っ て「民族の価値観」だと結論づけている。

 米国憲法は今に続く憲法であるが、大日本帝国憲法は廃止されて既に存在しない憲法である。民主化された日本の現代に於いてそれを比較することに辟易するばかりか、大日本帝国憲法の精神が未だに生きているとして、そこに民族の価値観を求めている。

 生きているのは安倍晋三やその他の一部の日本人の血の中だけであるはずだ。

 「君民一体」と言うが、日本の歴史上、長く賤民という身分が存在していた。

 【五色の賤】(ごしきのせん)「養老戸令(こりょう)に規定された五種類の賤民。陵戸(りょうこ)・官戸(かんこ)・官奴婢(公奴婢くぬひ)とも)・家人(けにん)、私奴婢(しぬひ)の総称。このうち陵戸・官戸・官奴婢は官銭とも呼ばれて、朝廷に隷属し、家人・私奴婢は私賤とも呼ばれて、氏(うじ)や個人などの私的な支配を受けた。

 なお、大宝戸令では陵戸は賤民とされておらず、養老令で新たに賤民に加えられた可能性が高い。従って大宝令では賤民は四種類だったと思われる。」(『日本史広辞典』/山川出版社)

 賤民に対して賤しくない存在として「良民」(りょうみん)が対置されていた。

 【良民】「律令制の身分用語。良賤制という身分制度において、賤民に対比される人民で、特に日本では課役を負担する公民と同じく、「オオミタカラ(大御宝)」(=天皇の民)と訓じられる。良民という語自体は中国からのもので、礼的秩序内の存在という意味も持っていたが、日本ではその意味はなかった。」(『日本史広辞典』 /山川出版社)

 良民がどのような名称で段階づけられていたか「Wikipedia」で調べた。

 〈官人(官吏・役人)、公民(課役負担の一般人)、品部(しなべ、又はともべ・宮中使用の物資生産者・技術伝習者)、雑戸(ざっこ・一般的手工業者)〉の四種類だそうだ。

 かくこのように日本国家のそもそもの成り立ちのときから、身分差別が存在し、決して平等ではなかった。天皇の民=君民一体は良民止まりで、賤民は君民一体の埒外に置かれていた。君民一体は幻想でしかないと言うことである。〈天皇の民であることによって、政治的権力者や、人の上に立つ人にとっての私有民や奴隷となることなく、また人の上に立つ人たちは、常に部下たちは天皇や親御さんから預かった人たちとなるという、世界に類例のないありがたい立場に、古代以来、一貫しておかれてきたのです。〉と言い、この制度を以って「究極の民主主義」だと宣っているが、人間を支配と被支配の上下差別に区別していた。

 中世以前から存在し、江戸時代も存在した、現在に於いて部落民と名を変えて差別が残る、屠殺などの職業に従事することを穢れた生業(なりわい)と見做して、その職業に就く者を穢多と称し蔑んだり、罪人を穢多の身分に落として、一生穢れた存在とする人間区別を歴史・文化としてきた。

 士農工商も身分制度である。武士に人間として最高級の価値を置いていた。農民が二番目となっているが、生産する米が日本の経済を支えていたことから、便宜的に2番目の身分に置かれていただけで、多くの農民の現実は、最低の生活を強いられていた。年貢を納めることができずに田畑を棄て、村を出奔する「逃げ百姓」は跡を絶たなかったし、女房を質に入れて、年貢を金銭に変えて支払う農民、妻が出産しても、食べさせていけないからと生まれた子を殺して捨てる「間引き」も行われたし、明治・大正・戦前昭和・戦後昭和の一時期は生まれた女の子は幼い内に身売りに出された。

 戦前以前の日本の国を君民一体の世界だと美化し、理想化することは日本民族優越意識から発した思想以外の何ものでもない。この手の思想が日本民族優越意識を現在も生きづかせ、永遠の命を与えるのに役立っている。

 このような日本民族優越意識こそが歴史に対する目や自民族に対する目だけではなく、他民族に対する目を曇らせる。

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