子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その1

2007-01-23 09:02:10 | Weblog

 大阪府八尾市で07年1月17日に3歳の男児が歩道橋から投げ落された。一命は取り留めたが、重傷だと言う。加害者は知的障害者で、過去6回、子供を連れまわすなどの事件を起こしていて、今回7度目だと言う。マスコミにとってはその犯人像、累犯度、加害対象が児童ということで、大々的に報道するには条件が揃った絶好のネタだから、執拗に食いつく展開を見せたのだろう。

 マスコミ自身は見過ごすことのできない衝撃的な重大事件だ、世に知らしめなければならないと一生懸命報道しているつもりだろうが、如何に衝撃的であるかを証明しようとして微に入り細に亘り、あるいは手を変え品を変えて掘り返す余り、結果として自分たちで事件を実像以上に大きくしたり、あるいは実像とは違った形に見せてしまうといったことが起きる。

 チャンネルを回してくれる視聴者を一人でも多く獲得しなければならない企業力学に縛られているからでもあるだろうが、いくらマスコミがセンセーショナルに糾弾しても、自らが所有している能力は糾弾のみで、そこから先が大事である糾弾が犯罪の防止につながっているわけではない。つながっていないからこそ、犯罪がなくならない状態が続いているのだが、それは社会自体が犯罪をなくす力がないからでもある。問題は糾弾だけという限界を弁えて報道の仕事をしているかどうかだろう。限界を弁えることによって、謙虚さを失わずにいられるのではないだろうか。

 マスコミが社会同様に犯罪をなくす力がない限界を弁えずに、さも自分たちがオールマイティの正義の人ぶって犯罪を糾弾する。しかし犯罪が次々と起きる状況にあっては本質的には糾弾を役目としているだけのことで、悪く言うとその場限りに大騒ぎするだけで終わらせているとも言える。大騒ぎが事件を実像以上に膨らませたり違った形に見せてしまう原因にもなっている。

 マスコミが報道を手段として大なり小なり事件の実像を変える危険な側面を抱えているとすると、それは一種の虚偽行為であって、事件を大袈裟に報道することで日々虚偽行為を繰返しているとしたなら、フジテレビの07年1月7日放送の『発掘!あるある大事典Ⅱ』が「納豆ダイエット」を取り上げ、架空データーを駆使してさも効果があるかのように報道した虚偽行為に対してどのマスコミも自分たちを正義の立場に置き真正面向から糾弾する資格はないのではないだろうか。それに大抵のテレビ局・新聞社がデーターの捏造やヤラセを行ってもいるだろう。

 パソコンを叩きながらだが、早朝の無料地上波『日テレ24』(07.1.19)と明け方からのTBSの『みのもんたの朝ズバッ』とで歩道橋からの幼児投げ込み事件の切り口・把え方の違いに気づいた。何かの参考になると思い、途中からの録画を文字に起こし、解説を少々付け加えてみた。
 * * * * * * * *
 『日テレ24時間テレビ』
 
 施設理事長「吉岡君がクッキー売り場から抜け出し、その子に近づいていったので――」

 女性解説者「施設側は会見で吉岡容疑者が以前から子供に強い関心を持っていたことを明らかにした」
 
 理事長「まあ子どもが非常に好きやと、その結果トラブルが起こったりすることがあると。繁華街に出て行って、それで、あの子どもを、あの割と眺めたり、あの見たりするのが多いようで、できるだけあの、繁華街に一人でやらないとか、そういう形で対応していました――」

 女性解説者「過去にも6回幼児を連れまわすなどして逮捕されていた吉岡容疑者――」

 新聞の『2歳女児誘拐 保護 大阪のアパート 一緒の男を逮捕』の見出しが映し出される。

 (言葉の説明だけで、わざわざ古い新聞記事など持ち出す必要はないと思うのだが。テレビ局はリアリティーを出すためと言うだろう。)

 女性解説者「職員も普段から注意はしていたが、今回の行動は予想外だったという」

 理事長「かわいがることはあっても、その状態からそういう形に結びつくようなことについてはちょっと、こう、まったく想定外なので、管理不足もありまして、被害者の方にも大変迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なく思っております」

 女性解説者「6回逮捕されながら、なぜ繰返し犯行を重ねるのか。障害者の犯罪を研究し、国へ福祉政策の提言を行っている山本譲司氏は一つの可能性に言及する。山本氏は国会議員だった7年前、秘書給与の流用事件で逮捕、当時服役していた刑務所で知的障害を持つ受刑者に接し、驚くべき現実を知ったという」

 山本著『累犯障害者』の本が映し出される。帯に「罪を犯さなければ生きられない マスコミが絶対に報じない驚愕の事実」のキャッチコピー。

 山本氏「刑務所を出所して社会に出ても行き場がないと。もう一回戻りたいと、刑務所に――」

 女性解説者「山本氏が接した中には刑務所に戻りたいという思いから再犯に走るケースがあったというのだ」

 山本氏「これをやれば刑務所の中に戻れる。放火をしたある障害者が言うのですよ。刑務所には入るんだったら、放火なんて大変重い罪だよ。死者も出るかもしれない。じゃなくて無銭飲食ぐらいにしたらと言うと、そんな悪いことはできないって言うわけですね。うん、だから、何ていうか、罪の重いか軽いもなかなか分かっていないところもあるなあーと」

 (「マスコミが絶対に報じない驚愕の事実」を記述した人間の割には平凡な証言となっている。放火が出火原因の名誉ある1位を常に占めているということだが、知的障害がなくても、死者が出る危険性を考えることもできずに放火する人間はゴマンといるという「驚愕の事実」の方が問題ではないだろうか。消防士の放火もこの世には存在する。知能がまともでありながら、数多く存在する愉快犯と比べたら、山本氏の言う「驚愕」が驚愕でなくなるのではないか。「社会に出ても行き場がない」という現実や「もう一回戻りたい」と仕向ける社会の方こそ問題となると思うのだが。「放火」は従に位置するその手段でしかない。)

 女性解説者「刑務所に戻るために罪が繰返される悪循環。吉岡容疑者も動機について『仕事がいやだった。悪いことをすれば警察に捕まり、仕事に戻らなくてもいいと思った』と話しているという。一方別の専門家は知的障害者の再犯を防ぐのは簡単ではないと話す」

 (シャバ(=社会)と刑務所があり、このシャバよりも刑務所の方が生きやすいと考える。それは社会がそう仕向けているからに他ならない。本人の心がけが社会にそう仕向けさているすべての原因だというわけではあるまい。社会自体がその一員に危害を加える場合が多々あるからだ。自殺者にしてもシャバとあの世があり、シャバよりもあの世の方が生きやすいと考える。)

 知的発達障害者刑事弁護センター・副島洋明弁護士「今の現状から見ると、多いと思います。通常の人のような知能指数になっていくっていうことはあり得ません。現行社会の中でやっぱり苦しいから、痛いから、色んな犯罪にある意味で巻き込まれたり、止むを得なくやってしまったりという場面で、再犯を、犯罪をやると。しかし(周囲の理解があれば/テレビ局の注釈)社会との共生・適応っていうものはできるようになっていく――」

 女性解説者「また最大の問題は世の中の理解不足だとも話す」

 副島弁護士「断ち切られて、福祉と一切つながらない仕組みになっていると、社会の底辺の中で追いつめられていく。また犯罪にもつながっていく」

 女性解説者「周囲は彼らをどうケアすべきなのか。知的障害を持つ人たちが通う都内の施設を訪れた」

 『昭島生活実習所』のカンバンが取り付けられた建物。「認知度ごとに自分のあった作業を行う」と言うキャプション。

 オバサン施設職員が作業中の知的障害者の後頭部を撫で、「早いねー」と褒める。

 女性解説者「作業する利用者たちに常に付き添う職員」
 自分の力で靴を履かせようとしたのだろう、格闘しながら靴を履こうとしている知的障害者に「頑張れ」の掛け声をかけるオバサン職員。

 女性解説者「彼らをケアする上で大切なのはいつも目を話さず、パニックにさせないことだと言う」

 昭島生活実習所・笠間秀行施設長「パニックになったときはそうそうコントロール自分でできなくなっていくんじゃないですか。そのときやっぱり怪我をしたりとか、好きで本人がパニックなってるんじゃないので、そんなとき『ダメですよ』とかね、言っても意味がないので、辛いのはやっぱり本人ですからね」

 女性解説者「接見した弁護士に対し施設で責任にある立場に置かれたことでストレスが溜まったと話しているという吉岡容疑者。同じような犯罪を防ぐためには今何をすべきなのだろうか」

 (『日テレ24』は明らかに知的障害犯罪者個人よりも、彼らを取り巻く〝社会〟を重点に扱っている。)
* * * * * * * *
 早朝の『日テレ24』が終わって、同じ07年1月19日の5時半頃からのTBS『みのもんたの朝ズバッ』

 女性解説者「1998年大阪豊中市で2歳の女の子を連れまわすなど、これまでに誘拐などで6回逮捕されています」
 吉岡容疑者が通う障害者施設の記者会見「繁華街に出て行って、それで、あの、子どもを眺めたり、見たりすることが多いので、今回のような、何て言うか暴力的と言うか、卑劣と言うか、こういう行動に出るようについてはまったく想定外だったので――」

 女性解説者「吉岡容疑者が通っていた障害者施設には1000円以上の現金を持たせないなどの対策を取り、事件当時も施設の職員が付き添っていました」
 被害者のまだ若い父親「何とかね、これを最後にね、まあ、警察を含め、何とかそういう対策を考えて欲しいと思います」
 女性解説者「吉岡容疑者は璃音ちゃんに悪いことをしたとも供述しており、警察が事件の背景を詳しく調べています」

 いよいよ怒りのみのもんたの登場。「や、しかし、どこに怒りをぶっつけていいのかって、お父さんが言ったって言うけど、本当にそうですねえ。どうしたらいいんでしょう、これは。結局新しい判決出ないんじゃないんですか?」

 (「新しい判決」とは、一般健常者に対するような厳しい判決のことだろう。そのような判決で再犯の抑止にしようと望んでいることを示している。)

 以前長年TBSの報道番組アナウンサーをしていて、現在解説委員だかを務めている吉川美代子「また実刑判決が出ても、また同じようなあれですよねえ・・・・」

 (みのもんたにしても吉川美代子にしても、再犯の可能性を個人性からのみ把えているから、刑の軽重に話が向かってしまうのだろう。この意識性を突き詰めていけば、再犯を絶対的に防ぐには一般社会と遮断した施設に一生閉じ込めておく〝刑〟(=まったく「新しい判決」)を与える以外にないということになる。一般社会に生きていても、ある意味遮断された生活を余儀なくされているなどといった考えを働かせる想像性など持ち合わせてもいないに違いない。『日テレ24』と違って、明らかに〝社会〟よりも犯罪者個人に重点を置いている。)

 荒俣宏「この形では無理って言うことですね」

 (刑を厳しくする「形では無理って言うことですね」といことなら、何が有効か話さなければ、前2者と同じことを言っているに過ぎなくなる。荒俣宏はこれ以外に発言していない。いくらギャラ貰っているのだろうかと余計な心配をしてしまった。)

 現在TBS報道局取材センター社会部長だとかいう杉尾秀哉「そこまで職員が付き添っていたわけですから、そのときも職員の人がいたんだけれども、ちょっと目を離した間にっていうことなんで、非常に難しいですねえ、ええ」

 (あった事実を書き入れた原稿を読むだけの解説者なら許される、単なる表面をなぞっただけの解説に過ぎない。「職場がいやだった。悪いことをすれば、戻れなくなると思った」という本質部分の動機を既に知っていたはずである。それが仕向けた事件であって、いくらでもある「ちょっと目を離した間」が仕向けた事件ではないし、問題とすべき事柄でもないだろう。)

 みの「でも、人権を考えると、今の方法ではそれ以上の方法はない」
 杉尾秀哉「でも、ただ今回の事件は相当重いと思いますけど」
 みの「でも、いずれ出てくるわけですよ」
 杉尾秀哉「まあ、まあ、そうですね。まあ、何らかの形ですけどね」

 (杉尾にしてもみのもんた同様に刑だけの面から論じている。重くすべきだとの意志を働かせて、再犯を刑のみで関連付けている。)
 
 ここで一旦この話題は打ち切りとなり、時間を変えて、再度同じ話題となる。新たに大沢弁護士の登場を待っていたのだろう。

 (以下は字数の関係で『子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その2』として別記事にします。) 

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