蓮舫の国籍問題を「外国人や日本国籍取得者への差別助長」、「多様性」の観点で論ずるのは問題のすり替え

2017-07-18 11:57:54 | Weblog

 民進党代表の蓮舫が7月11日(2017年)の党執行役員会で自身が台湾籍と日本国籍の「二重国籍」となっていた問題を巡り、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため、近く戸籍謄本を公開する方針を明らかにした。

 但しこの戸籍謄本公開の方針に賛否両論が湧き起こった。「産経ニュース」  

 民進党参議院議員有田芳生(よしふ)ツイッター。

 「戸籍を公開せよとツイッターで書いた民進党の国会議員は誰だ。黙せずに『うん』とか『すん』とか言えよ。安倍晋三政権が窮地にある局面で、『敵』に塩を送っている。公表を求めることは、社会的・歴史的な『いじめ』で間違っている。長年にわたる被差別部落問題などの闘いへの逆行だ」

 蓮舫がなぜ戸籍謄本を公開する必要に迫られたのか、その経緯を正しく理解していないようだ。

 2017年7月12日付「毎日新聞」記事は、〈民進党の蓮舫代表が日本と台湾の「二重国籍」問題で戸籍謄本を公開する意向を示したことに、党内から「外国人や日本国籍の取得をした人への差別を助長しかねない」と危惧の声が上っている。〉と伝えている。  

 国籍の違い(=民族の違い)によってその人間自体の価値を決める一部日本人が国籍の違い(=民族の違い)を確認するために戸籍謄本の公開を求めて確認できたとき、その人間自体の価値を決めることは国籍(=民族)の違う人間全体に対する差別に当たり、このような観点から迫られた蓮舫の戸籍謄本公開であるなら、確かに差別の助長を招きかねないが、そのような観点から迫られた蓮舫の戸籍謄本公開では決してない。

 いわば人種や民族の違いを人間自体の価値に結びつける多様性の排除から出た蓮舫に対する戸籍謄本公開要求ではない。単に蓮舫自身が二重国籍でないことの証明のために求められた戸籍謄本の公開要求であり、蓮舫自身によるその証明のための戸籍謄本の公開に過ぎない。

 記事が7月12日の有田芳生の「ツイッター」投稿文を紹介していたから、アクセスしてみた。
  
 〈蓮舫代表が戸籍を公開(メディアを通じて戸籍をさらす?)して何が明らかになるのか。国籍選択日が記入されているというが、それがどんな意味を持つのか。政党の代表が戸籍というもっともプライバシーに属することの公開を強いられて、それが一般人へのさらなる攻撃材料になることは目に見えている。〉――

 蓮舫の出自が台湾人であることは多くの日本人が知っている。日本人の中には現在の国籍に関係なしに公党の代表が日本人以外の人間であることを問題視している者がかなり存在するようだが、このこととは関係なしに蓮舫の国籍が問題となった発端は二重国籍ではないかという指摘である。

 対して蓮舫は台湾籍は抜いたと、いわば日本国籍取得者であって、二重国籍ではないことを言明している。

 「国籍法」は以下のように規定している。

(この法律の目的)

第1条  日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。

(出生による国籍の取得)

第2条  子は、次の場合には、日本国民とする。

1 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
2 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
3 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

(国籍の選択)

第14条  外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が20歳に達する以前であるときは22歳に達するまでに、その時が20歳に達した後であるときはその時から2年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

2  日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。

 つまり日本の国籍法は二重国籍を許していない。

 次に「公職選挙法」

(被選挙権)

第10条 日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。

 要するに二重国籍者は被選挙権の有資格者たり得ない。いや、それ以前の問題として蓮舫は日本国籍なのか、台湾籍のままなのか、国会議員になるに際して国籍に敏感でなければならなかった。日本国籍が例え便宜的なものであって、台湾人であることを自身の精神的なルーツとしようがしまいが、きちんと処理して、誰憚ることのない被選挙権の有資格者になっている必要があった。

 それゆえの台湾籍からの離脱であり、日本国籍の取得であって、二重国籍の否定であったはずだ。

 ところが、蓮舫は2016年9月13日、国会内で記者会見し、台湾籍が残っていて、疑惑されていた通り、いわゆる二重国籍状態となっていたことを認めた。しかも二重国籍は自身の記憶違いから発した問題だとした。

 2016年9月13日付「産経ニュース」  

 蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。

 その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います。

 合わせて、私の高校生時代の記憶によって、この間当初から発言がある意味、一貫性を欠いていたことに対してもおわび申し上げると同時に、大好きな父の台湾の方々にも心配をさせてしまったので、本当に申し訳ないと思っています。

 その上で、私はこれまで一貫して、政治家としては、日本人という立場以外で行動したことは一切ないし、日本人として日本のために、わが国のために働いてきたし、これからも働いていきたいと思います。

 これも申し上げておりますが、台湾当局に、私の籍を抜く届け出をしているので、この手続きが完了すれば、この籍に関することは、最終的な確定をされるということです。大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております。ただ、私は17歳のときに、自分の判断で日本国籍を選択した。日本人です。このことはもう一度言わせていただきたいと思う。以上です」

 国会議員を目指すために被選挙権を行使するに際して国籍に敏感でも何でもなかった。

 ところが、今度は「17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていました」との発言が問題視された。

 「台湾籍を抜く作業をした」なら、台北経済文化代表処から台湾籍離脱証明書といった書類が後日届くはずで、届いた際、確認して、それを保管しておくという手続きを取るはずだから、あるいは少なくとも父親か母親に書類を見せられて説明を受け、中国語が読めないなりにそれが記してある個所を自分の目で確認し、父親か母親に保管しておくからと言われただろうから、例えそれが17歳のときであっても、台湾籍離脱の記憶と共に確認と保管の記憶まで併せ持たせていなければならない。

 少なくとも現在50歳近くと言う常識を備えていなければならない年令になっている以上、「台湾籍は抜いた」と発言する際は台湾籍離脱の記憶だけで発言することは許されず、離脱証明書を受け取った際の離脱の確認とその書類の保管の記憶を裏付けとしていなければならなかったはずだし、それだけの責任を有していたはずだ。

 もしその記憶がなかったなら、以上の裏付けを取ってから発言すべきで、記憶もないまま、裏付けを取らないまま、「台湾籍は抜いた」と発言したなら、責任という点からも、誰が蓮舫の言葉を信用するだろうか。

 いわば一見国籍の問題に見えるが、実際は蓮舫の言葉の信用性の問題がかかっていたのであり、戸籍謄本の公開は言葉の信用の有無の証明でもあった。

 国籍の違い(=民族の違い)によってその人間自体の価値を決める差別観や多様性の排除からの戸籍謄本公開とは一線を画していたはずだ。
 
 1967年11月28日生れの蓮舫が30歳頃の1997年に雑誌「CREA」(文藝春秋)のインタビューで「自分の国籍は台湾だ」と発言していたことも問題視された。蓮舫は「多分、編集の過程で『だった』という部分が省かれてしまった」と釈明、「自分の国籍は台湾だ」は自身の発言ではないとした。

 要するに発売前にインタビュー記事のゲラ刷りを見せられなかったし、発売後も目を通していなかったことになる。インタビューがテーマを決められていて、そのために言葉を用意していたとしても、出たとこ勝負の言葉となる場合もあるのだから、インタビュー後に相応しい発言であったかどうかを確認しないというのは責任という点でも、言葉の信用性という点でも、非常に疑わしい。

 蓮舫の言葉の責任、言葉の信用性という点で見逃してはならないのは民進党代表であった岡田克也評である。

 2016年9月13日の日本外国特派員協会の記者会見。

 蓮舫「変わらぬ安定感、知識への欲求、ものすごくまじめな姿勢、全てにおいて学ばせていただいた。素晴らしいリーダーだ」(産経ニュース)  
 
 ところが遡ること約20日前の2016年8月23日の同じ日本外国特派員協会で岡田克也評。

 蓮舫「私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」――

 この発言がマスコミに取り上げられて問題視されると、蓮舫は同日の自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と釈明している。

 「ユーモアのない真面目さ」が岡田克也という政治家としての資質だとしても、そのことが政治家としての資質の有無の基準となるわけではない。だが、「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」と言っていることは、自身の政治家としての資質の有能性を誇っている言葉であって、岡田克也には「ユニークさがない」と言う指摘となる。

 だから、「1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います」という評価に繋がったはずだ。それをツイッターで「ユーモアのない真面目さ」だと言い替える言葉の信用性をどこに見つけることができるだろうか。

 いずれにしても蓮舫は「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」と言い切った。蓮舫の戸籍謄本公開を「外国人や日本国籍取得者への差別助長だ」、「多様性の排除だ」と論ずるのは問題のすり替えに過ぎないが、蓮舫が2016年9月15日に民進党代表に就任してから10カ月、言い切った割には代表としてどれ程の“ユニークさ”を発揮したのだろうか。

 2016年9月15日以前の岡田代表時の民進党支持率は9%前後あった。現在では6%前後、時事通信社の7月7~10日の世論調査に至っては、3.8%しかない。安倍内閣支持率が30%台から40%台に下げていて、その受け皿とすることができずに野党第1党の蓮舫民進党の政党支持率が却って下がっている。

 蓮舫の言葉の信用性・自身の言葉に対する責任感の欠如は留まるところを知らない。反安倍人間としては先ずは“ユニークさ”を発揮して貰って、有権者から安倍政権の受け皿と目されるようになって貰いたい。そのためには言葉の信用の回復から始めなければならない。

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