自民党政治「ご破算で願いまして」新しい日本へリセット

2008-09-30 19:22:57 | Weblog

 麻生所信表明演説の改革点はすべて自民党政治の無為・無策がつくり出した日本の現状

 新しい総理大臣となった自民党総裁麻生太郎が29日、所信表明演説を行った。

 <わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。>

 総理大臣としての華々しき国会デビューの第一歩である。 「かしこくも、御名御璽をいただき――」・・・・・。

 「御名御璽」とは、「御名」が「天皇の名前」「御璽」が天皇の公印のことで、「内閣総理大臣・最高裁長官の任命書、天皇の国事行為に伴って発せられる文書に用いられる」と『大辞林』(三省堂)に出ている。いわば天皇の署名の後に押す判子というわけなのだろう。9月24日の夜皇居で行われた首相親任式で天皇の名前が書いてあり、判子が押してある総理大臣任命書を有難くもいただいたということなのだろう。

 内閣総理大臣が国会で所信表明演説するとき、誰もが用いる慣例なのか「首相官邸HP」で調べてみたら、福田首相の2007年10月1日の所信表明演説は、「この度、私は、内閣総理大臣に任命されました」

 安倍首相の2006年9月29日の所信表明演説は福田首相とまったく同じ表現の「この度、私は、内閣総理大臣に任命されました」で、福田首相と同じく自分の名前は出していない。わざわざ自分の名前を告げなくても、「私は」で、それが誰か十分に理解できるからだろう。

 安倍晋三内閣総理大臣閣下は自分の名前こそ出さなかったが、続いて「日本が、厳しい時期を乗り越え、新世紀の発展に向けた出発点に立った今、初の戦後生まれの総理として、国政を預かる重責を与えられたことに、身の引き締まる思いです。多くの国民の期待を正面から真摯に受け止め、身命を賭して、職務に取り組んでまいります」と「初の戦後生まれの総理」であることをそれとなくアピールしているが、「身命を賭して、職務に取り組」むことなく、1年そこそこで呆気なく政権を投げ出してしまった。

 さらに小泉総理大臣の2001年年5月7日の所信表明演説は、「この度、私は皆様方の御支持を得、内閣総理大臣に就任いたしました」と、表現はほん少し違うものの、上記2人と同様に名前を出さないままあっさりと「私は」で終わらしている。

 以上3人の前任者のあっさりとした自己紹介から比べると、我が麻生太郎の<わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。>
は自分の名前まで出した上で、一方に「国権の最高機関による指名」なる手続きを置き、対した位置に天皇の署名捺印付きの内閣総理大臣任命書の受理を置いて、それを「かしこくも、御名御璽をいただき」と大時代的に表現したのはその時点で天皇と麻生太郎自身を響きあった関係に置くもので、突出した自己顕示を示しているということだけではなく、天皇を戦後的な存在ではなく、戦前的な存在と看做している様子を窺うことができる。

 天皇を戦前的な存在と看做しているとは、麻生太郎が天皇に対して自己を一国民の位置に置いているのではなく、臣下の位置に置いているということである。そうでなければとても「かしこくも、御名御璽をいただき」などという、それを名誉とする大仰に有難がる表現は出てこないだろう。

 このことは「就任いたしました」に続いての言葉、<わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。
 その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません>からも証明できる。

 「118年になんなんとする、憲政の大河」とは、1947〈昭和22〉年5月3日に日本国憲法の施行を受けて廃止された『帝国議会』が開催された1890〈明治23〉年11月29日から数えて「118年」の歴史を言っているのだろうが、麻生太郎は昭和戦前の軍部独裁の時代を画することなく一続きの歴史・「大河」として把えている。

 そう把えるのは、麻生太郎の意識の中で『大日本帝国憲法』の「第一章 天皇」の「第一条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と「第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」、いわば「天皇陛下バンザイ」を利用した「国民主権」とは程遠い昭和戦前の軍部独裁時代、侵略戦争時代と国民主権の昭和戦後が何の抵抗もなく流れを止めない力強いゆったりとした「大河」の如くにつながっているからだろう。

 だからこそ「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と言えるのであり、「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」と昭和戦前の天皇のありようとそれと響き合った国民のありようを肯定することができる。

 ここで一つ、就任5日にして辞任することになった中山成彬単純細胞センセイの懲りない自己正当化に過ぎない「言葉狩りしていると、政治が活性化しない」ではないが、似たような「言葉狩り」をしてみる。

 上記言葉の中で、「新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります」と言っているが、「新総理の任命を」の「を」は動作・作用の紹介に結びつける「を」のはずだが、どのような動作・作用を行うかの提示がなく、脈絡正しい一続きの文章となっていない。
 
 いずれにしても常に未来に向って延々と続く「今」が問題なのである。「統治の伝統」がどうであれ、「今」が意味のない瞬間であるなら、「統治の伝統」をどうあげつらおうと、それで「今」を正当化できるわけではない。

 麻生は「伝統」と言うハコモノをさも重大なこととのように言っているに過ぎない。その点で安倍晋三と近親相関関係にあると言える。

 麻生太郎は「統治の伝統」で「今」を正当化しようとしつつ、引き続いて日本の「今」の矛盾を言い立てる。自らが所属する自民党政治がつくり上げた矛盾であることを無視して。

 <民主党は国会運営に於いて「政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります。>と、さも自民党は「政局第一義」の政治行動は取ったこともなく、「国民の生活第一義」の政治を終始行ってきたようなことを言っている。

 では自民党は<国会運営に於いて「政局を第一義」>とせず、「国民生活第一義」としてきた結果、この格差社会、都市と地方の格差による地方の疲弊、自治体の財政破綻問題、1998年以降昨年の2007年までの10年間、自殺者が年間3万人を超える、主要国の中でも突出した「自殺大国」という金メダル、100万世帯を突破した生活保護世帯、各地で引き続く公立病院閉鎖、医師不足・看護師不足の問題、ワーキングプア等々の社会矛盾を成果とすることができたと誇ろうとでもいうのだろうか。

 そういった成果して手に入れることができなかったにも関わらず、<与野党の論戦と、政策をめぐる攻防は、もとより議会制民主主義が前提とするところです。しかし、合意の形成をあらかじめ拒む議会は、およそその名に値しません。>と、かくある格差社会、自殺天国社会 生活保護世帯創出社会等をつくり出してきた自民党の「国民の生活第一義」政治と「合意の形成」をと迫る。

 「合意の形成」などできようがないのは当然の動向であり、できようがないから、野党は政権交代を求めている。

 「合意の形成」を求めること自体が滑稽なことだと気づきもしない。アキバの漫画オタク、メイドオタクに人気があるからと、それを記念碑としていられる程に軽薄・単細胞に出来上がっているから、その滑稽なことに気づかないのだろう。

 このような滑稽・鈍感な総理大臣が単なる任命の儀式に過ぎない遣り取りを「御名御璽をいただき」とさも光栄なこととしているのだから、なおさら始末に悪い。

 日本経済の立て直しは三段階を踏んで行うと言っている。「第一段階は景気対策」、「第二段階は、財政再建」、「第三段階が改革による成長」と。

 だが、既に自民党の「国民の生活第一義」政治の正体がバレているのである。何をどう言葉を繕っても始まらない。<財政再建は手段、目的は日本の繁栄>などと言っている、いざなぎ超えの戦後最長の景気では大企業と一部富裕層のみが「繁栄」し、既に指摘しているように一般的な国民は年間自殺者数や生活保護世帯増加、一向になくならないワーキングプア層が証明しているように「日本の繁栄」から取り残された。「財政再建は手段」と言いつつ、財政再建のみが優先された結果の成果であろう。すべて自民党の口では言っている「国民の生活第一義」政治の成果ではなかったか。

 いや、「国民の生活第一義」は昨年07年7月の参院選挙で与党大敗を受けた政権交代逃れの急遽借り着したスローガンに過ぎない。自民党政治は常に大企業の利害代弁者として存在し、大企業の利害代弁を自らの存在証明としてきたのである。

 それを今さら、「国民目線」だとか「消費者第一」だとか「国民の生活第一義」を臆面もなく、あるいは鉄面皮にも掲げる。当然「国民の生活第一義」はどう言い繕おうと、キレイゴトの運命を免れることはできない。

 例えば『暮らしの安心』について次のようにキレイ事を並べている。「不満とは、行動のバネになる。不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安であります。国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません。」

 3万人を超える国民が既に「不満」の域、「不安」の域を超えて10年続けて自殺しているのである。このことと「不満」の域、「不安」の域を超えてはいるが、死と紙一重の場所にどうにか踏みとどまっている自殺予備軍の国民が少なからず存在しているだろうことを考えなければならない今の現実を考えると、「国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません」は現実感もなく無難な言い回しとしか言いようがない。「国民の生活第一義」が借り着でしかないから、認識が甘く当たり障りがない抽象的表現でとどまることとなっている。

 <「消えた年金」や「消された年金」という不安があります。個人の記録、したがって年金給付の確実さが、信用できなくなっております。>は歴代自民党内閣の所管大臣及び大臣統括責任者たる歴代総理大臣の監督責任の無能・無能力が関わった成果のはずで、そのことを棚上げにしている。

 官僚に教えられないと政治ができないから、官僚は好き勝手なことをするようになったに過ぎない。

 <救急医療のたらい回し、産科や小児科の医師不足、妊娠や出産費用の不安、介護の人手不足、保育所の不足。いつ自分を襲うやもしれぬ問題であります。日々不安を感じながら暮らさなくてはならないとすれば、こんな憂鬱なことはありません>はすべて自民党政治の失政が原因。「何をやっているんだ」という自民政治の由って来る資質・政治的創造性をまず検証・総括すべきだろう。同じ脳ミソを抱えていたのでは、言葉で装いを整えても、何も期待できない。

 自民党政治のありよう自体が「こんな憂鬱なことはありません」なのである。

 <すべからく、消費者の立場に立ち、その利益を守る行政が必要なゆえんであります。既存の行政組織には、事業者を育てる仕組みがあり、そのため訓練された公務員がありました。全く逆の発想をし、消費者、生活者の味方をさせるためにつくるのが、消費者庁であります。国民が泣き寝入りしなくて済むよう、身近な相談窓口を一元化するとともに、何か商品に重大な事故が起きた場合、その販売を禁止する権限も持たせます。悪質業者は、市場から駆逐され、まじめな業者も救われます。>

 「既存の行政組織には、事業者を育てる仕組みがあり」は国民の利害ではなく、企業の利害を代弁してきたことの暴露・告白に過ぎない。企業利害代弁を戦前の政治を継いで戦後も血とし肉としてきたのである。特に麻生が昭和戦前の天皇主義・国家主義の踏襲者ということなら、消費者・国民の立場に立つことなど、口先だけのスローガンで終わることは目に見えている。

 その他「持続可能な環境」とか、「誇りと活力ある外交・国際貢献」とかもっともらしく所信を表明しているが、今の日本を成果としている自民党「国民の生活第一義」政治の正体を問わず、さらに政権党としての資格・資質の有無を省みることもせず、すべてこれからの問題だとしているのだから、腐った土台の上に豪華マンションを建てるようなもので、マンション経営・販売のヒューザーやマンション建設の木村建設、姉歯建築士の耐震偽装よりも始末に悪く、今こそ<自民党政治を「ご破算で願いまして」新しい日本にリセット>する時期に来ていると言える。いや遅すぎるくらいだ。


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