百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

ウォーキング開眼

2012-07-03 18:28:53 | ウオーキング

  7月4日(水)  平成17年1月1日より 2,751日目
         歩いた歩数       その距離
本日     17,307歩     12,115m
総計 38,464,326歩 26,925,028m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリ・カレーを経てロンドンに向かう、後 172,904m

 

 最近、朝のウォーキングで10000歩、一度も休まずに家に戻る事が普通になったが、それまでは折り返し地点で一息入れていた。休まずに歩いて来ると1km辺りで、疲れが出て歩き方が正常でなくなってしまうのが常だった。これが無着陸で往復出来るまでに若返ったのだから嬉しい話だ。

 疲れが出る最大の原因は、X線撮影で背骨が曲がっている事にあったようで、ノルディックウォーキングを取り入れてポールを使って歩くようになって傾きが直って楽になった。お蔭で皆さんから歩く姿勢が良くなったと言われ、スニーカーの減り按配も平均になった。

 スニーカーにはしばしば小粒の砂が入って困ったが、テレビで歩く度ごとに靴紐は必ず結び直す習慣を指摘されてからは小石も入らなくなったし、スニーカーと足が一体になって足が軽くなった。

 パソコンをやって居てるせいか猫背になって歩いて居る。腕を挙げて後ろに反らせると肩甲骨が着く。その姿勢で歩くとイイよと娘に奨められて実行してきたら、前方が良く見えるようになったし、姿勢が良くなって疲れ難くなった。

7月1日から iphoneのappを使って歩き始めた。勿論歩数計もつけているが、歩数計以上に素晴らしい記録が残されていることに驚いたし、興味をそそられた。歩いたコースがマップに記録される。歩いた実績が正確に残っている。ウォーキングの時間(何秒まで出る)、距離の他、カロリー・平均ペース・最高ペース、(1キロ毎に)そしてグラフも記録されているベスト・中間・ワーストの表示まで出来ることになっている。これからはこれを併用して活用して行こうと思って居る。目の覚めた思いだ。


ドーバー海峡を臨むカレーに到着

2012-07-02 18:02:41 | ウオーキング

  7月2(月)  平成17年1月1日より 2,749日目
         歩いた歩数        その距離
本日     15,419歩     10、793m
総計 38,447,019歩 26,912,913m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリ・カレーを経てロンドンに向かう、後 185、019m

         カ レ ー 到 着

カレーについてはドーバー海峡に接する港町で、イギリス側のドーバーとの間に「ユーロトンネル」で大陸とイギリスを結んで居るということしか知らないので、カレーを検索してみた。検索すると食べるカレーばかりが出るので、フランスのカレーと入力して改めて検索した所こんな逸話が出て来た。

                    
                       カレーの6人の市民像 (ロダン作)

 この像はロダン作の有名な彫刻の一つで1888年に完成したもの。百年戦争の時の1347年、カレーはイギリス軍に包囲されていた。イングランド王エドワード3世はクレシーの戦いで勝利を収めたのちカレーを包囲、フランスのフィリップ6世は支えきれず降伏。エドワード3世は、市の主要メンバー6人が自分の元に裸に近い格好で首に縄を巻き、城門のカギを持って歩いて来れば市民は救うという条件を出した。

 カレー市の指導者の一人ウスタシュ・ド・サン・ビエールが志願した所、5人の市民が後に続いた。彼らはズボンまで脱いでサン・ビエールを先頭に痩せ衰えた姿で城門へと向かった。これによって市民は救われた。ロダンは、これを題材に、この敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間を捉え迫力ある群像を作り出した。

この6名の運命は死によって終ることになっていたが、王妃の願いで許されたという。                    

 

 

 


パリ到着

2012-05-30 16:01:06 | ウオーキング

 5月30日 (水) 平成17年1月1日より 2,716 日目 
            歩いた歩数          その距離 
本日       16,397 歩       11,478 m
総計 37,983,884 歩 26,588,719 m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリを経てカレーに向かう、後  314,639 m 

             パ  リ  到  着

 成5年元旦(80歳)もう一度世界一周を目指して、あれから2716日、遂に華の都パリに着いた。これからカレーを経て、ドーバー海峡を渡りロンドに向かうのだが、最近、脚力が挙がって、先行き自信がついてきた感じだ。パリはフランスの首都で人口1184万(2007年)で政治・経済・文化の中心で世界に冠たる芸術の都・観光都市であることは周知の事実。今更説明することは無いのだが、パリを検索していて【パリ人肉事件】に行き当たった。初めて聞いた衝撃的な話なので全文を載せてお知らせします。 

 1981年6月11日、フランスの首都、パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺した。佐川は衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べた。

 6月13日、残った遺体をスーツケースに収め、ブローニュの森の池に捨てようとしたところを目撃され逃亡。目撃者が遺体を発見し警察に通報し、2日後に逮捕された。

 なお、この事件以前に、佐川は日本でも近隣に住むドイツ人女性を食肉目的で襲い逮捕されている。事件は父親の提示した示談金で告訴は取り下げられている。また、佐川は幼少の頃から人肉食の欲求が芽生えたと語っている。

 佐川は犯行を認め裁判では心身喪失であったとして不起訴処分で無罪となり、フランス国内の精神病院に入院する。翌年、帰国し東京都立松沢病院に1年間入院した。病院側の診断結果は、佐川は人肉食の性癖など一切なく、フランス警察に対する欺瞞であるというものであった。同院副院長(当時)の金子医師は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとしている。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針[要出典]であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。

 退院後、出版した書籍が大ヒットする。現在では作家やコメンテーターとして時々公に姿を見せ、また人肉を食したいとの発言もしている。(2010年1月29日新宿)

 


ノルディックウォーキング

2012-05-26 18:36:50 | ウオーキング

 5月26日 (土)  平成17年1月1日より 2,712日目
           歩いた歩数         その距離
本日       17
,723 歩       12,406m
総計 37,923,928歩 26,546,750m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツ・オランダ、ベルギーを経てパリに向かう、後 38,769 m

              
                                  北竜湖は菜の花盛り

             
                                 写生する人 ゆとり!

             
                      神社でおにぎり

  今月の湯の入り荘のウォーキングコースは北竜湖から小菅神社本宮まで。距離が短いので私は朝のウォーキングを済ましてから参加した。距離のないのを考えて遠慮したか、春の作付けに追われて参加できなかったのか常連の参加者は少なかった。その代り、地元の子供たちが大勢参加して呉れた。

 バスが出発点の北竜湖ついて目についたのは、辺り一面菜の花でうずめつくされていたことだ。花見の人こそ見かけなかったが、大きな三脚を担いで行き来するカメラマンやキャンバスに向かって静かに筆を動かす画家の皆さんにゆとりを感じた。突然ユートピアにまぐれ込んだ感じだ。

 静かさを破って私たちはウォーミングアップをやり、辺りの静寂を掻きまわすように歩き出した。歩きながら、こんな素晴らしい環境に誇りさえ覚えたが、環境をエンジョイしてる人たちに申し訳ない気にもなった。道々、会長から北竜湖の成り立ちや小菅神社の由来の話が語られ、目に触れる草花についての説明などもあった。

 小菅神社の本殿では、太鼓の音に合わせて祝詞が奏上されていた。何かの講の祈りか?会長からは【松子の祭り】「柱松柴灯神事」について詳しく誇らしげに語られた。3年に一度の行事で盛大に行われる。祭りは柱松に火をつけ、早く倒した方の勝ちで東が勝てば天下泰平、西が勝てば五穀豊穣という。

 私は無神論者なので、昔、この行事を見て、若者に負われた松子が火打ち石で火をつけるなら意味もあるが、若者が火をつけるので、松子は何の所作もしない。何のために松子を柱松に担ぎ上げたのかと疑問に思い、がっかりした思い出がある。

北竜湖


フランスに入りパリに向かう

2012-05-09 16:44:57 | ウオーキング

    5月09日 (水) 平成17年1月1日より 2,695日目
         歩いた歩数        その距離
本日       16
,608歩      11,626m
総計 37,651、384歩 26,355,969m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツ・オランダ、ベルギーを経てパリ
に向かう、後 229,550m 

            フ ラ ン ス に 入 境 パ リ に 向 か う

 ドイツからオランダ・ベルギーを通過してフランスに入境したが、この間39日。ヨーロッパの国々は大国でありながら自国の面積の小ささがよく判る。それに比べてアフリカの国は貧しく文化が遅れて居る為か面積の割に小国と思われがちだ。

 第二次大戦で思い起こすことは、ナチスドイツの台頭にフランスは堅固なマジノラインを構築して防衛線を張ったが、ドイツの空軍、空挺部隊・落下傘部隊の奇襲攻撃や戦車隊の機動攻撃で為す術もなく、連合軍はドーバー海峡から英国領に撤退し、パリは無防備都市を宣言、5月10日戦闘開始、6月14日、ドイツ軍は僅か一ヶ月でパリに無血入城を果たした。正に破竹の進軍だった。この時、私は15歳。軍国少年として、若き血潮は常に燃える思いだった。

 

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◯ 邢春さんに手紙を書いた。

県日中の緑化訪中団の一員として、6月12日石家荘市を訪問する。13日には外国語学校も訪問する。14日に植樹を行い15日には肖振嶺さんのお世話で存瑞小学校の訪問。老朋友にお会い出来るチャンス到来と胸踊らせて待っている・・・と。

◯ 堀内さんを偲んで

 午後、堀内さんのご夫妻が、葬儀のお礼に来て下さたことをママから聞いた。私が葬儀の際、お焼香に行って、三日のブログを持参して、【お斎にこのブログを披露していただけないでしょうか】とお願いしてきたことで、その報告と御礼に来たことを知らされた。堀内先輩に私の気持ちが届いたかと思うと嬉しかった。

◯ 三人の弁護人が、小沢一郎の無罪判決を不服として高裁に上告したニュースを聞きて

 日本の生き様に持っていた不透明なモヤモヤしていた暗い霧が晴れ渡った気分になった。弁護士の中には未だ骨のある奴も居るんだと思って見捨てたもんじゃないなぁと思ったが、政治家という奴には碌な奴が居ない。こんな奴に日本の舵取りを任していては、日本の将来が案じられる。