神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

伊佐須美神社/福島県会津美里町(Isasumi Jinja,Aizumisato-machi,Fukushima,Japan)

2017年05月22日 | 神社と狛犬
伊佐須美神社/福島県会津美里町(Isasumi Jinja,Aizumisato-machi,Fukushima,Japan)
☆岩代国一宮
2017年5月14日(日)、会津美里町宮林にある伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)に参拝。住宅地にある大きな神社。赤い立派な鳥居。アスファルト参道。右に「伊佐須美神社の森、福島県緑の文化財指定」の看板、大木が展示、由緒板。鳥居をくぐる。右に宝物殿、左にお休み処「福林亭」。左に末社:菅原神社。参道をゆく。右に御札授与所、左に参集所+資材庫。境内はスギ、シイなどの巨木の森。左に手水舎、正面に随神門。門をくぐり、右に御神籤コーナー。左に薄墨桜の木。花はすでに終わっている。正面に青黒屋根の仮社殿。本殿は2008年に放火により焼失したとのこと。左に飛竜藤が咲く。仮社殿裏に本殿跡。
獅子狛犬は居ない。
ポケモンGO:ジム×1、ポケストップ×5。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377
 tel:0242-55-5050
☆祭神
 ・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 ・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
 ・大毘古命(おおひこのみこと、大彦命) - 第8代孝元天皇の皇子。四道将軍の1人で、北陸道を進んだとされる。
 ・建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと、武渟川別) - 大毘古命の子。四道将軍の1人で、東海道を進んだとされる。  
☆由緒
 伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔、第十代崇天皇十年四道將軍派遣の時に始まり古事記には「東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ひき故れ其地を相津と謂ふ」と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。
即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾、冉二神)を会津高嶺の聖地、天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(五五ニ)当地にご鎮座されたのであります。
 その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内「名神大社」光格天皇宣下「伊佐須美大神宮」として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預かり御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります。
 会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が会津の開拓神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。
 境内は広く、内部には鬱蒼とした社叢が広がる。社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在は仮社殿を設けたうえで再建中である。
☆地名の由来
 ・会津美里町:会津美里町高田は、古事記に「会津」発祥の起源に 由来する地であると記されています。 神話時代に大毘古命とその子、建沼河別命が出 会ったところから相津(会津)の地名が起こったと伝えられています。両神は、稲作の技術も伝えたといわ れています。その出会いを記念して伊奘諾尊、伊奘冉尊が伊佐須美神社に祀られています。このことか らも伊佐須美神社は、会津文化発祥の地といわれて います。
------------------------------------














































































































































この記事についてブログを書く
« 楢葉八幡神社/福島県広野町... | トップ | 八槻都々古別神社/福島県棚... »