
歌登八幡神社/北海道枝幸町(Utanobori Hachiman Jinja,Esashi,Hokkaido Japan)
2016年6月11日(土)、枝幸町歌登にある歌登八幡神社(うたのぼりはちまんじんじゃ)に参拝。道道120号沿いの郊外にある中くらいの神社。左側にはペンケナイ川河畔公園。道路向いは山崎牧場。石段を登り砂利参道。焦げ茶色の鳥居をくぐる。右に寄付者芳名碑。左に土俵、一段と低くなり道の向こうに新しい社務所。その並びに東歌登自治会館。境内はトドマツ、エゾマツ、広葉樹の巨木。木々は上部をすべて切り取ってある。陽光は燦々と降り注ぎ境内は明るく輝く。参道をゆく。左に手水舎、蛇口をひねると勢いよく水が出た。奥に焦げ茶色屋根の社殿。後ろにある本殿は別に石段を登ったところに建てられている。社殿左に神輿庫あり。
獅子狛犬は居ない。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒098-5202 枝幸郡枝幸町歌登東歌登609番地4
☆祭神
・品陀和気命(ほんだわけのみこと)
☆由緒
大正3年7月10日創立。明治26年、秋田県書記官檜垣直右は、当地方の開拓の重要性を痛感し、視察のため渡道。明治30年、檜垣農場が認可されて以来、農業開拓者が次第に入植し、戸数も増しはじめた明治43年現在の位置に小祠が建てられ、八幡神社と名づけられた。また例祭日を檜垣農場認可を記念して、7月10日と定められた。大正5年本殿を建立、翌6年拝殿の完成を見た。昭和2年植民軌道が敷設されると居住者も増加し、昭和23年に至り、本殿、拝殿とも老朽したので全面改築し9月完成した。爾来35年経た昭和58年全面改築がなされ、平成元年鎮座80年を記念して、新たに神輿と神輿庫が設けられた。
☆地名の由来
・枝幸町:アイヌ語の「esausi」(エサウシ/岬の意)から。
・歌登:アイヌ語「ウタ-ヌプリ」(すりばち型の-山)から。
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2016年6月11日(土)、枝幸町歌登にある歌登八幡神社(うたのぼりはちまんじんじゃ)に参拝。道道120号沿いの郊外にある中くらいの神社。左側にはペンケナイ川河畔公園。道路向いは山崎牧場。石段を登り砂利参道。焦げ茶色の鳥居をくぐる。右に寄付者芳名碑。左に土俵、一段と低くなり道の向こうに新しい社務所。その並びに東歌登自治会館。境内はトドマツ、エゾマツ、広葉樹の巨木。木々は上部をすべて切り取ってある。陽光は燦々と降り注ぎ境内は明るく輝く。参道をゆく。左に手水舎、蛇口をひねると勢いよく水が出た。奥に焦げ茶色屋根の社殿。後ろにある本殿は別に石段を登ったところに建てられている。社殿左に神輿庫あり。
獅子狛犬は居ない。
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☆所在地
〒098-5202 枝幸郡枝幸町歌登東歌登609番地4
☆祭神
・品陀和気命(ほんだわけのみこと)
☆由緒
大正3年7月10日創立。明治26年、秋田県書記官檜垣直右は、当地方の開拓の重要性を痛感し、視察のため渡道。明治30年、檜垣農場が認可されて以来、農業開拓者が次第に入植し、戸数も増しはじめた明治43年現在の位置に小祠が建てられ、八幡神社と名づけられた。また例祭日を檜垣農場認可を記念して、7月10日と定められた。大正5年本殿を建立、翌6年拝殿の完成を見た。昭和2年植民軌道が敷設されると居住者も増加し、昭和23年に至り、本殿、拝殿とも老朽したので全面改築し9月完成した。爾来35年経た昭和58年全面改築がなされ、平成元年鎮座80年を記念して、新たに神輿と神輿庫が設けられた。
☆地名の由来
・枝幸町:アイヌ語の「esausi」(エサウシ/岬の意)から。
・歌登:アイヌ語「ウタ-ヌプリ」(すりばち型の-山)から。
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