
上野総社神社/群馬県前橋市(Kozuke Soja Jinja,Maebashi-shi,Gunma,Japan)
2017年5月16日(火)、前橋市元総社町にある上野総社神社(こうずけそうじゃじんじゃ)に参拝。市街地にある大きな神社。右隣に徳藏寺。青銅の第1鳥居、石畳参道。右に由緒板、左に斎館。境内はケヤキ、モミジ、スギなどの巨木の林。参道をゆく。左に石碑1基。白い第2鳥居、石畳参道。右に神輿庫、左に手水舎、白い鳥居のある小社。ケヤキの巨樹の周りに絵馬掛け。参道をゆく。左に蒼海城跡地板、彰忠碑、御芳名碑。奥に青黒屋根の社殿。社殿右に神楽殿、社務所。社殿左に御芳名板と蔵。社殿奥に九十九社、道祖神、稲荷神社(願掛けきつね納所)、石碑数基。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は第2鳥居前に居た。
阿吽像の配置は正常。岡崎型。阿像は玉を、吽像は子獅子を前足で守る。奉納年は平成3年3月31日(1991年)。
2対目は社殿前に居た。
左右の像ともに口を開く。彫り浅くがっしりとした体型。耳は水平、タテガミはウズを巻いて流れ、平たい尾は直立。左像は玉を前足で守る。奉納年は不明。
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------------ネットによると-----------
☆所在地
〒371-0846群馬県前橋市元総社町1丁目31番地45
Tel 027-252-0975
☆祭神
〇主祭神
・磐筒男命 (いわつつのおのみこと)
・磐筒女命 (いわつつのめのみこと)
・経津主命 (ふつぬしのみこと)
・宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと)
・須佐之男命 (すさのおのみこと)
☆由緒
社伝によると、崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという。安閑天皇の時には上毛野小熊が社殿を改築して「蒼海明神」と称し、天平10年(738年)には上野国549社を合祀し「総社明神」と称したともいう。しかしながら、諸国の国府で国中の神々を合祀する風潮が生まれるのは律令制の衰退期であり、当社の成立年代はさらに下ると見られている。
当地に移る以前は、蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)の地にあったという。また、長享2年(1488年)に万里集九が当社を訪れて記述を残しているほか、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建されたという。近世には朱印26石が与えられた。明治に入り、近代社格制度では県社に列した。
☆地名の由来
・前橋市:前橋は古くは「まやはし」と称しました。「厩橋」が「前橋」に改められたのは西暦1648年から1652年、酒井忠清が城主であった頃だと言われています。
「厩橋」の名は、現在利根川の流れているあたりに車川と称する流れがあり、そこにかかっていた橋を「駅家(うまや)の橋」と呼んだことから、自然に地名になったと伝えられています。
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2017年5月16日(火)、前橋市元総社町にある上野総社神社(こうずけそうじゃじんじゃ)に参拝。市街地にある大きな神社。右隣に徳藏寺。青銅の第1鳥居、石畳参道。右に由緒板、左に斎館。境内はケヤキ、モミジ、スギなどの巨木の林。参道をゆく。左に石碑1基。白い第2鳥居、石畳参道。右に神輿庫、左に手水舎、白い鳥居のある小社。ケヤキの巨樹の周りに絵馬掛け。参道をゆく。左に蒼海城跡地板、彰忠碑、御芳名碑。奥に青黒屋根の社殿。社殿右に神楽殿、社務所。社殿左に御芳名板と蔵。社殿奥に九十九社、道祖神、稲荷神社(願掛けきつね納所)、石碑数基。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は第2鳥居前に居た。
阿吽像の配置は正常。岡崎型。阿像は玉を、吽像は子獅子を前足で守る。奉納年は平成3年3月31日(1991年)。
2対目は社殿前に居た。
左右の像ともに口を開く。彫り浅くがっしりとした体型。耳は水平、タテガミはウズを巻いて流れ、平たい尾は直立。左像は玉を前足で守る。奉納年は不明。
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------------ネットによると-----------
☆所在地
〒371-0846群馬県前橋市元総社町1丁目31番地45
Tel 027-252-0975
☆祭神
〇主祭神
・磐筒男命 (いわつつのおのみこと)
・磐筒女命 (いわつつのめのみこと)
・経津主命 (ふつぬしのみこと)
・宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと)
・須佐之男命 (すさのおのみこと)
☆由緒
社伝によると、崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという。安閑天皇の時には上毛野小熊が社殿を改築して「蒼海明神」と称し、天平10年(738年)には上野国549社を合祀し「総社明神」と称したともいう。しかしながら、諸国の国府で国中の神々を合祀する風潮が生まれるのは律令制の衰退期であり、当社の成立年代はさらに下ると見られている。
当地に移る以前は、蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)の地にあったという。また、長享2年(1488年)に万里集九が当社を訪れて記述を残しているほか、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建されたという。近世には朱印26石が与えられた。明治に入り、近代社格制度では県社に列した。
☆地名の由来
・前橋市:前橋は古くは「まやはし」と称しました。「厩橋」が「前橋」に改められたのは西暦1648年から1652年、酒井忠清が城主であった頃だと言われています。
「厩橋」の名は、現在利根川の流れているあたりに車川と称する流れがあり、そこにかかっていた橋を「駅家(うまや)の橋」と呼んだことから、自然に地名になったと伝えられています。
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