神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

石狩弁天社(IshikariVenten Shrine)

2011年05月21日 | 神社と狛犬
石狩弁天社(IshikariVenten Shrine)
2011年5月20日石狩市にある石狩弁天社を訪れる。
神社の右隣には西国三十三個所霊場がある。広い芝生の中に観音様が置かれている。
獅子狛犬は居ないなあと思っていたら、格子のある犬小屋のような場所に格納されていた。嬉しかった。
1対有り、お尻を揚げた出雲形式「かまえ型」だ。残念ながら奉納年月は不明であった。


-------ネットによると--------------------------------------------

石狩弁天社

所在地〒061-3372
北海道石狩市弁天町18
.交通アクセス札幌駅からバスで
.創建年代 :1694
.お問合わせ0133-62-4611
.HPhttp://www.ishikari-kankou.net/

石狩弁天社は元禄7年(1694年)建立の歴史がある。松前藩から石狩直領場所に派遣された山下伴右衛門のサケの大漁、石狩に出入りする人たちの安全を祈る願いで建てられた。文化12年(1815年)、村山伝兵衛が石狩場所一括請負になったのを祝い、翌3年に弁天社を再興、石狩河口付近にあったのを現在の石狩八幡神社所在地に移転、村山家の守護神とした。松浦武四郎がその美しさを称えた記録がある。さらに明治7年、開拓使の命により現在地に移した。


創立1694年(元禄7)、鮭の豊漁を願って建てられた300年の歴史を誇る市内最古の建物。代々の石狩場所請負人などによって信仰され、かつては現在の八幡(はちまん)神社の場所に河口を向いて建っていましたが、明治7年八幡(はちまん)神社が八幡(はちまん)町から役所があり商店の多い本町地区に移ってきた際に現在の場所に移転しました。八幡(はちまん)神社にある鳥居は、もともと弁天社に奉納されたもので、「海上安全」の文字が刻まれています。主神は弁天様のほかに、石狩川の主を神格化「妙亀法鮫」通称サメ様が奉られています。

弁天社の内部。祭壇は歴史を感じさせる。安政3年(1856年)井上文昌作の「関羽盛装図」なども奉納されている。

石狩弁天社の鮫様(妙亀・法亀大明神像) いしかりべんてんてんしゃのさめさま

北海道指定有形民俗文化財

・石狩弁天社の鮫様は、文政8年(1825)に石狩場所の元小屋支配人であった山田仁右衛門が奉納したものです。
・この像は、金泥に塗られた台座上に、鎧を着け亀の背に乗った「妙亀」像と、衣冠束帯で鮫の背に乗る「法鮫」像の2像で構成されています。この2体で構成される本像の名称は、「妙亀・法鮫」の他に、「妙鮫・法亀」と呼称されることもあります。
・石狩場所請負人であった村山家が作成した「妙鮫法亀大明神由来」によれば、文政元年(1818)、石狩場所関係者の夢枕に石狩川の主とされる巨大な鮫と亀が現われて祭祀を依頼したことから、祠が建立され、続いて文政8年にこの妙鮫法亀大明神の像が奉納されました。以後、場所関係者などにより祀られ、現在も地元漁業者の信仰の対象となっている。
・鮫は、石狩地方のアイヌの人たちの伝承に見える「石狩川の主」としてのチョウザメと結び付くものと考えられ、アイヌの伝承と和人の信仰が混淆した北海道の特色ある様相を呈しています。
・なお、厨子には墨書がありその由来を知ることができます。このことから、これを付とします。


礼拝器(手水鉢)は文化2年(1845年)の作で、水戸藩主の書と言われる。元禄元年(1688年)水戸光圀が「快風丸」を派遣して以来、石狩は水戸藩と交流があった。


西国三十三個所霊場 

戦前、石狩のサケ漁業、北洋漁業で成功した吉田庄助が新潟の太郎代雨曝観音にあやかり、ここにも木彫りの太郎代雨曝観音(お堂の中に安置)を祭った。新潟と同じように三十三体観音を配したが、以前は石狩浜に点在していたのを本町地区の浄財でここに集めた。






























































































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